- 芭蕉db 
- 窪田意専宛書簡
- (元禄5年3月23日) 
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いよいよ御無事に御入り、御一家何事無く候や。御痛み心もとなく存じ候*。拙者も持病持病と申しながら、年光*既に弥生の末に成り行き候。花もいたづらに散り果て、公辺の花*、名利の客*のみ騒ぎののしりて心得ず候ゆゑ、しかじか花にも出で申さず候。葎の内*、畠の畝の一重桜に張物の細引結ひたる萱が軒端の倒れかかりたるに、刈葱の酢味噌、躑躅の浸し物先づ思ひ出でられ、京屋*が句に案じ入りたる重き顔つき、土芳が軽口、なつかしきものの初めにて候*。次郎兵衛殿*、頃日俳諧召され候よし珍重珍重、さめぬうち心もとなく存じ候。発句も候はば*、御書き付け御越しなさるべく候。
        三月二十三日              ばせを
  意専様
   
 
-  伊賀の門人窪田意専への書簡。江戸橘町の仮寓から発信している。江戸の堕落退廃ぶりに嫌気して、花見にもでなかったのは『栖去の弁』の延長である。また、郷里伊賀に対する郷愁が一際強く表出されているのは、宛先が伊賀の意専だからというばかりではなさそうである。放浪の歌人芭蕉にも死ぬべき場所への郷愁が潜在していたようである。
御痛み心もとなく存じ候:意専にも持病があった。
    
  年光:時間の移り、ここでは季節。
    
  公辺の花:世間公認の花の名所、上野や谷中など。
    
  名利の客:新興成り金の商人など。元禄時代は我が国最初のバブル経済時代であった。羽振りのよい商人が花見の席で大騒ぎをしている軽佻浮薄が芭蕉にとって我慢なら無かった。
    
  葎の内:これは橘町の仮寓を指す。構文は、この仮寓の薮からの連想で伊賀へと想いが移っていく流れとなっている。
    
  京屋:伊賀の門人一桐。
  
  畠の畝の一重桜、・・・・土芳が軽口、なつかしきものの初めにて候:郷里伊賀上野の光景や人や人情を回顧している。一種の老人性欝病か、またはアイデンティティの危機でもあるのだろうが・・・。
    
  次郎兵衛殿:文脈から見て意専の息子か? 後続の文章からして、遠慮する中では無いようなので、芭蕉の身内の者で意専と深い関係の者のようでもある。
    
  発句も候はば:次郎兵衛の詠んだ発句でもあったら、送ってくれるようにの意。