芭蕉db

向井去来宛書簡

(元禄3年7月下旬 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


     追啓
点内見*、近比○、驚入候*。愚案少々書加へ候*。六七分迄の事には、惣而批言御書なきがよく候間、内々左様に御意得可成候*
此巻惣而さのみ見所もなく*、手薄きのみ*、評論に可及程之句もみえず*、多クは初心がちに候而、力ヲ可入巻ならず候*。ともかくも心一ぱいに点引なぐり可遣候*
一、近々他の地へ巣を移し可申候*。しばらく書音絶可申候*。文集も年内には調申まじく候間、春之事に可成候。春に成候はば、又々可御意候。江戸状参候はば御届可下為*、且御左右も互可承候間*、いづれの地に而も落付候方より、便り之處御しらせ可申候*。扨々不存知此度永々逗留*、加生御夫婦之厚情難忘たのもしき事に被存候。猶書状に而可申盡*。 以上
  去来様                           はせを
 猶貴様御心盡しは、兼而心当之事*に御座候へば、筆端断りに不及候へ共、心底には不浅事に存候*


 芭蕉は元禄3年7月23日に幻住庵を出るが、本書簡はその直前のものと思われる。この幻住庵在庵中も夏に暑さの京都に赴き、去来加生(凡兆)と会っている。この手紙では、去来に宛ててその礼を述べ、また凡兆夫婦についても謝意を述べているところから、この時期であることが分る。
 この書簡は本文が欠落した追伸部分だけである。本文は、去来が報告してきたであろう批点について、芭蕉の考えを書いて返書としたため、これが欠落したのではないか。本書簡だけでも、芭蕉の批点に対する態度(殆どそういうものに芭蕉自身は関心を喪失しているが)が見えて面白い。