芭蕉db

近藤左吉(呂丸)宛書簡

(元禄5年2月8日 芭蕉49歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


幸便之条啓上、愈御無事被御座候哉*。先以、日外於御山御懇情之事共、難忘奉存候*。其後上方辺漂泊、仍而以書音申上*。和合院様へ御無音、背本意存候*。誠不思義(議)清談、夢之心地仕候*。其後風雅いかゞ被成候哉。去々年は路通と申もの参*、又々御懇意に預り申よし、少々風雅もとゞめ置候様に勧進帳と申ものに相見え候。且此盤子と申出家奥羽一見に参候間、暫時御山に滞留被仰付下候*。風雅も少相心得候間、御聞被遣可下候*。さてさて御懐敷のみ、折々宗五と御申出し候*。命候内には今一度と願申候*
尚々江戸筋御出被成候はゞ、御尋被成可下候*。此度所々状数多ク御座候条、早筆申上候*。頓首
     二月八日
  近藤左吉様                         はせを

 支考が奥州を旅するにつき、江戸から山形羽黒山の近藤左吉こと呂丸宛に、持たせた紹介状である。呂丸には、元禄2年6月2日より10日ちかい日数、『奥の細道』羽黒山で世話になった。末尾の尚書からみて支考に持たせた紹介状は相当多数に及ぶことが推察される。紛失を免れた貴重な一通である。