芭蕉db

句空宛書簡

(元禄3年12月頃 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


巻尤俳諧くるしからず候へ共、一體今の存念にたがふ事*、残念之事に御座候へども、和歌三神、其一分はかゝはり不申候間、其儘差置候*。かりそめの集等、皆冥利驕慢の心指(志)にとおもひ立候故*、皆見所を失ひ申候。何とぞ風雅のたすけにも成り、且は道建立之心にて*、言葉つまりたる時をくつろげる味に而、折々集を出し候處に*、三年昔の風雅只今出し候半は*、跡矢を射るごとくなる無念而巳に候*。何とぞ御さそひ候而、廿日ならず候はゞ、十五日之滞留にて、三月十日頃上津あれかし*。実に風雅に心をつくされ候様にと被存候*。乍去世上之人に而御座候へば、心にまかせぬ事も可御座候間*、上京成間敷候はゞ、何事も沙汰なしにて急々板行御すゝめ可成候*
集の題号、卯辰集と可有哉*。山の字重き様に被存候。是も拙者好に而も無御座、其元評伴(判)に御まかせ可成候*。 以上
句空様                           はせを
一、次郎助其元仕舞候而上り可申旨*、智月も次第に老衰、尤大孝候。則さも可有事被存候*。早々登り候と御心可付候*

 金沢の門人句空に宛てた書簡。日付が無い。また、冒頭が欠けている。執筆場所は不明だが、「上京」を促しているところからして京都である可能性が高いと思われる。

 『卯辰集』刊行の状況が推測できて面白い。『卯辰集』は、『奥の細道』の旅の途次、山中温泉での「山中三吟」で、芭蕉・曾良・北枝の三吟歌仙である。
 また追伸で、この時金沢に出張中の乙州に対して伝言して、すぐ大津に帰ってくるように促しているが、これは母の智月に頼まれたか、芭蕉自身が乙州を必要としたか随分執拗に書いている。