芭蕉db

卓袋宛書簡

(貞亨5年4月25日 芭蕉45歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 大坂へ十三日に着候而、十九日発足*、久左衛門方に逗留いたし候。尤せばくやかましく、逗留之内さてさて難義、ざっと大坂にて大事之旅之興失ひ申候。気づまり候而、方々見物に出候。若は貴様御越可成かと、あたごは節句過まで残し置可申候*。乍*人をまちて約束はちがひ候へば興ヲうしなひ力をぬかし候*故、御出とは不存候間、尤成合に可成候*。大かたは節句過、七日八日までは逗留可致候。先日大坂よりも以書状申進候。奈良に而遊興、誠旅中之慰み、与兵・貴様、御物入推量いたし候*。猶追而具に可進之候。当着*いまだ間も無御座候故、早々申残候。与兵へ殿・権左衛門殿へ可然御意得被成可下候*。又々いが衆なつかしく罷成候。 以上
   卯月廿五日               芭蕉桃青 書判
  卓袋丈
 尚々奈良墨やも大坂に而見舞被申候*。留守に而遭不申候。道々云出し語出し笑ひ申候。

 猿雖宛書簡』と同じ日付の書簡である。『笈の小文』後半を終えて京都から発している.須磨・明石へ出発する前の一週間大阪での滞在に難儀したことが不満とともに語られている。
 奈良での散財で卓袋の懐も大変だろうといいながら、京都へ出てくることを暗に促しているところが面白い。郷里の仲間への思慕が伺われる。