芭蕉db

笈の小文

(新大仏寺)


 伊賀の 國阿波の庄*といふ所に、俊乗上人*の旧跡有。護峰山新大仏寺*とかや 云、名ばかりは千歳の形見となりて*、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全おはしまし 侍るぞ*、其代の名残うたがふ所なく、泪こぼるゝ計也。石の連(蓮 )台・獅子の座などは 、蓬・葎の上に堆ク*、双林の枯たる跡*も、まのあたりにこそ覺えられけれ。

丈六にかげろふ高し石の上

(じょうろくに かげろうたかし いしのうえ)

さまざまのこと思ひ出す 櫻哉

(さまざまのこと おもいだす さくらかな)


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表紙 年表


丈六にかげろふ高し石の上

 1丈6尺(1丈は10尺だから16尺)の台座は、その上の仏像を失ったまま露出して立っている。そこに春の陽炎が立ち上っている。陽炎の中に蜃気楼のように佛の像が見えている。

 なお、この句は、『真蹟懐紙』および『三冊子』でそれぞれ、次のようになっている。

   阿波大仏

丈六にかげろふ高し石の跡 (真蹟懐紙)

かげろふに俤つくれ石の上  (三冊子)


三重県阿山郡大山田村の新大仏寺にある句碑(森田武さん撮影)

さまざまのこと思ひ出す櫻哉

 この句は藤堂家の句会に招かれての作。今は昔、藤堂新七郎の邸に出入りしていた時分、爛漫と咲いていていた桜の花が、その後 、人も変り時も移ったが、ただ一つ変らず今も盛りと咲いている。なお、藤堂新七郎の嗣子は探丸<たんまる>。
 このとき芭蕉の脳裏には、唐の劉廷芝りゅうていし(650〜680?))の詩が浮かんだことであろう。「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わりて)」「古人無復洛城東<こじんまたらくじょうのひがしになく> 今人還対落花風<きんじんまたたいすらっかのかぜ> 年年歳歳花相似<ねんねんさいさいはなあいにたり> 歳歳年年人不同<さいさいねんえんひとおなじからず> (昔、洛陽城の花を楽しんだ人達は既に亡く、今私たちは花の散るのを見て嘆いている。毎年美しい花は同じように咲くが、この花を見る人は皆ちがう。)


上野城址にある「さまざまの・・」句碑(牛久市森田武さん撮影提供)

 


(俊乗坊重源座像)