芭蕉db

北枝宛書簡

(元禄3年4月24日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


池魚の災承*、我も甲斐の山ざとにひきうつり*、さまざま苦労いたし候へば、御難儀の程察申。されども、やけにけり、の御秀作、かヽるときに望(臨)、大丈夫感心、去来・丈草も御作驚申斗に御ざ候*。名哥を命にかへたる古人も候へば*、かヽる名句に御替被成候へば、さのみおかしかるまじくと存候。知音*たれたれ、此度の難にまぬかれずや。連中たしかなる事不承候間、短帋も不遣候*。よく御伝達可下候*。 以上
    四月廿四日                           はせを
   北枝丈

 加賀百万石の城下町金沢は、芭蕉が『奥の細道』で訪れた翌年3月16日の深夜、大火に見舞われ、灰燼に帰した。本書簡は、その旅の折に入門した北枝宛の見舞と激励の書簡である。北枝が大火の後で詠んだ句「焼にけりされども花はちりすまじ」は、後に『猿蓑』に所収された。書簡では、この句を詠んだ北枝の詩心を賞賛することで励ましとしたのである。