芭蕉db

芭蕉総合年表

(蕪村筆 芭蕉翁)

更新日:09/04/23

蓑笠庵梨一『奥細道菅菰抄』より「芭蕉翁伝」


西暦

年号

歴史的記事

1644 寛永21 松尾芭蕉、伊賀上野赤坂町に誕生。出生月日不祥。幼名金作
1651 慶安4 門弟向井去来、長崎に誕生
1656 2 18 明暦2 父・与左衛門死去。享年不祥。法名<松白浄恵信士>
8 14 明暦2 門弟森川許六、彦根にて誕生
1661 7 17 寛文1 門弟宝井其角、江戸堀江町にて誕生
1662 寛文2 藤堂新七郎家嗣子・良忠に出仕
1 3 寛文2 門弟野坡、斉藤庄三郎長男として福井に誕生
1664 寛文4 『佐夜中山集』に2句入集
1665 11 13 寛文5 主君藤堂良忠主催の句会に参加。評判獲得
1666 4 25 寛文6 主君藤堂良忠(蝉吟)死去。享年25歳
寛文6 以後6年間、京都の禅寺で修業。詳細は不明
1667 寛文7 『続山井』に伊賀上野松尾宗房の名で多数入集
1672 1 25 寛文12 『貝おほひ』を伊賀上野菅原神社に奉納
寛文12 江戸に下る。杉山杉風宅に草鞋の紐をといた(伝)
9 21 延宝1 年号を延宝に改元
1674 延宝2 春、伊賀上野へ初の帰郷
3 17 延宝2 北村季吟から俳諧論書『埋木』授与さる。子弟関係成立か
1675 5 延宝3 江戸来遊の西山宗因歓迎百韻にて、初めて桃青の俳号使用
1676 延宝4 この春、親友山口素堂と『江戸両吟集』を出版
6 20 延宝4 伊賀上野に二度目の帰郷。7月2日まで滞在後、桃印同道して江戸に戻る
1677 延宝5 この頃俳諧宗匠として立机。以後4年間水道工事監督に従事
1678 3 延宝6 信徳・素堂と三吟百韻3巻を『江戸三吟』として出版
1680 4 延宝8 『桃青門弟独吟二十歌仙』出版
延宝8 この冬深川の草庵に隠棲
1681 延宝9 この春、門人李下から芭蕉の株を贈られ、芭蕉庵を名乗る
7 延宝9 其角・揚水・才丸との四吟、百韻1巻・50韻1巻『次韻』出版
7 25 延宝9 現存する芭蕉書簡として最古の木因宛書簡
延宝9 『月侘斎』『茅舎の感』『寒夜の辞』執筆。木因宛書簡
9 29 天和1 年号を天和に改元
1682 2 天和2 木因宛『鳶の評論』書簡
3 天和2 千春撰『武蔵曲(ブリ)』で<芭蕉>の俳号使用
3 20 天和2 木因宛書簡。この頃濁子宛書簡
5 15 天和2 高山伝右衛門宛書簡認める
12 28 天和2 芭蕉庵消失。甲斐国谷村高山伝右衛門宅に寄留。翌年5月迄
1683 天和3 夏野の画讃』なる
6 20 天和3 母、死去。享年不祥。法名<梅月妙松信女>
天和3 この冬、友人知己の喜捨により新築された芭蕉庵に移る
1684 2 21 貞亨1 年号を貞亨に改元
8 中旬 貞享1 『野ざらし紀行』の旅に出発。千里同行。
8 20 貞享1 『野ざらし紀行』の旅で佐夜の中山を通過
9 8 貞享1 『野ざらし紀行』の旅の途次3度目帰郷。伊賀上野に45日間滞在
12 25 貞享1 『野ざらし紀行』の途次再度帰郷。翌年2月中旬まで滞在
1685 1 28 貞亨2 山岸半残宛書簡認める
2 貞享2 中旬、伊賀を出て奈良興福寺の薪能、二月堂お水取り見物
2 貞享2 下旬より京都鳴瀧の三井秋風の別荘に半月滞在。その後大津へ
3 貞享2 『野ざらし紀行』旅の途中東海道水口にて土芳と再会
3 貞享2 下旬、桑名本統寺琢恵(タクエ)上人方に3日逗留
3 25 貞享2 熱田を再訪。4月8日まで滞在
3 27 貞享2 白鳥山法持寺で桐葉らと歌仙興業
4 4 貞享2 鳴海の知足亭で九吟二十四句興業
4 5 貞亨2 熱田から其角宛書簡
4 9 貞享2 鳴海の如風亭で歌仙を興業
4 10 貞享2 鳴海の知足亭を出発。木曽路・甲斐路経由で江戸へ向う
4 下旬 貞享2 『野ざらし紀行』旅を終えて江戸帰着
5 12 貞亨2 千那宛書簡
7 18 貞亨2 千那・尚白・青鴉3人に宛てて書簡
12 貞享2 『自得の箴』執筆。この年、『野ざらし紀行』刊
1686 貞亨3 『垣穂の梅』執筆
3 20 貞享3 出羽鈴木清風の江戸屋敷で其角・嵐雪・曽良らと七吟歌仙
閏3 10 貞亨3 去来宛書簡
閏3 16 貞亨3 知足宛書簡
8 15 貞享3 芭蕉庵にて月見の会。其角らと隅田川で舟遊び
貞亨3 『笠の記』『四山の瓢』執筆
10 29 貞亨3 知足宛書簡
12 1 貞亨3 知足宛書簡
12 18 貞享3 この日、初雪。芭蕉庵に独居
貞亨3 『雪丸げ』出来る
1687 1 20 貞亨4 知足宛書簡
5 12 貞亨4 其角の母妙務尼五七日追善俳諧に列席
8 14 貞亨4 曽良・宗波を伴い鹿島神宮に向け江戸を発つ
8 25 貞亨4 『鹿島詣』成る
10 11 貞亨4 『笈の小文』の旅を前に其角亭で送別句会開催
10 25 貞亨4 『笈の小文』の旅に出発
11 4 貞亨4 『笈の小文』旅の途次、鳴海の知足亭に滞在。9日迄。8日林桐葉亭
11 10 貞亨4 越人を同道して伊良子へ。11、伊良湖崎畑村に蟄居中の杜国訪問
11 13 貞亨4 門人其角、『続虚栗』刊行
11 16 貞亨4 『笈の小文』途中、再び鳴海の知足亭に戻り、20日迄滞在
11 21 貞亨4 『笈の小文』途中、熱田桐葉亭に移り、25日迄滞在
11 24 貞亨4 知足宛書簡
11 25 貞亨4 『笈の小文』途中、名古屋荷兮亭に移り、12月中旬迄滞在
12 貞亨4 中旬、『笈の小文』途中、杖突坂で落馬する
12 貞亨4 『笈の小文』旅の途次帰郷。翌年3月19日まで滞在
1688 2 4 貞亨5 伊勢神宮参拝。17日まで滞在
2 11 貞亨5 平庵宛書簡
2 18 貞亨5 亡父三十三回忌追善供養を伊賀上野にて催す。杉風宛書簡
2 19 貞亨5 三河の杜国、江戸の宗波と共に密かに伊賀上野の芭蕉を訪問*宗七宛酒無心
3 貞亨5 土芳の新庵を訪問、蓑虫の句を詠む。庵を蓑虫庵と命名
3 19 貞亨5 杜国を同道して吉野行脚、高野山から3月末和歌浦に至る
4 8 貞亨5 奈良で潅仏会の参拝後、唐招提寺など見物
4 11 貞亨5 奈良を出立して、13日大阪
4 19 貞亨5 大阪から神戸着。翌20日須磨明石遊覧して1泊
4 20 貞亨5 須磨に一泊。『笈の小文』はここで終る
4 23 貞亨5 京都に入る。去来訪問。杜国、三河へ帰る
4 25 貞亨5 猿雖宛長文の書簡卓袋宛書簡。その後、再度卓袋宛書簡
5 4 貞亨5 京都で歌舞伎鑑賞。吉岡求馬を観る。5.5、求馬死去
5 15 貞亨5 去来の妹清水千子死去
6 5 貞亨5 大津へ。近江の門人らと歌仙数多くまく。1泊
6 8 貞亨5 岐阜到着、賀島氏「十八楼」で鵜飼見物。しばらく岐阜に滞在。これを機に岐阜蕉門成立
7 3 貞亨5 名古屋に移り、円頓寺に滞在
7 7 貞亨5 鳴海の知足亭に移り、13日まで滞在。7.10、立秋
7 14 貞亨5 再度名古屋に移り、8月上旬まで滞在
8 11 貞亨5 名古屋を出発して『更科紀行』の旅に出る
8 16 貞亨5 長野の坂城に到着、下旬、越人同道して江戸へ帰着
9 10 貞亨5 江戸の山口素堂亭での句会に参加。かせ屋市兵衛宛書簡
9 13 貞亨5 芭蕉庵で十三夜月見の句会。素堂・杉風ら参加
9 30 元禄1 元禄に改元
12 3 元禄元 益光宛書簡
12 5 元禄元 尚白宛書簡
12 17 元禄1 江戸芭蕉庵で「深川八貧」の句会開催
1689 1 17 元禄2 半左衛門宛書簡で送金不能を伝える
閏1 26 元禄2 嵐蘭宛書簡。この頃、猿雖宛書簡
2 7 元禄2 大垣のとう山を交えて句会。「かげろうほの」句を立句
2 15 元禄2 桐葉宛書簡
2 元禄2 『奥の細道』の旅に備えて杉山杉風の別宅に転居
  3 23 元禄2 安川落梧宛書簡
3 27 元禄2 『奥の細道』の旅に出発。千住から粕壁(春日部)着。(陽暦5月16日)
3 28 元禄2 『奥の細道』 粕壁から室の八島
4 1 元禄2 『奥の細道』の旅で日光に到着
  4 3 元禄2 『奥の細道』の旅で黒羽に到着 。以後2週間滞在
4 20 元禄2 『奥の細道』の旅で芦野の遊行の柳を見物。白河関へ
4 22 元禄2 『奥の細道』の旅で須賀川の等躬宅で7泊。ここで何云宛書簡
5 1 元禄2 『奥の細道』の旅で福島へ到着
5 2 元禄2 『奥の細道』の旅で飯塚(現:飯坂)着。雨に持病が重なり難渋
5 3 元禄2 『奥の細道』の旅で宮城県白石に到着
5 4 元禄2 『奥の細道』の旅で仙台に7日迄滞在
5 8 元禄2 『奥の細道』の旅で塩釜に入る
5 9 元禄2 『奥の細道』の旅で松島に到着
5 10 元禄2 『奥の細道』の旅で石巻宿泊
5 11 元禄2 『奥の細道』の旅で登米宿泊
5 12 元禄2 『奥の細道』の旅で一ノ関泊
5 13 元禄2 『奥の細道』の旅で平泉へ。一ノ関まで戻る
5 14 元禄2 『奥の細道』の旅で岩出山町投宿。その後尿前の関で難渋
5 15 元禄2 『奥の細道』の旅で尿前関を越え、堺田の新右衛門宅滞在
5 17 元禄2 『奥の細道』の旅で尾花沢鈴木清風宅滞在。26日まで
5 27 元禄2 『奥の細道』の旅で立石寺参詣。宿坊に泊る。蝉の声
5 28 元禄2 『奥の細道』の旅で大石田高野一英宅着。3泊
6 1 元禄2 『奥の細道』で新庄着。渋谷風流亭に2泊する
6 3 元禄2 『奥の細道』の旅で最上川舟下り。羽黒山南谷別院に6泊
6 10 元禄2 『奥の細道』の旅で鶴岡城下の藩士長山重行宅に3泊
6 13 元禄2 『奥の細道』の旅で酒田に到着。伊東玄順亭に2泊。この日頃、呂丸宛書簡
6 15 元禄2 『奥の細道』の旅で象潟到着
6 18 元禄2 『奥の細道』の旅で酒田に戻り、不玉邸で6泊
6 25 元禄2 『奥の細道』の旅で酒田発。大山、丸屋義左衛門方投宿
6 26 元禄2 『奥の細道』の旅で温海の鈴木所左衛門方投宿
6 27 元禄2 鼠ヶ関越え。北陸道へ。中村に着
6 28 元禄2 『奥の細道』の旅で村上の大和屋久左衛門方に2泊
7 1 元禄2 『奥の細道』の旅で築地村、次市郎方
7 2 元禄2 『奥の細道』の旅で新潟に着く
7 3 元禄2 『奥の細道』の旅で弥彦に宿泊
7 4 元禄2 『奥の細道』の旅で出雲崎に宿泊
7 5 元禄2 『奥の細道』の旅で鉢崎の俵屋六郎兵衛宅に宿泊
7 6 元禄2 『奥の細道』の旅で直江津に到着。2泊
7 8 元禄2 『奥の細道』の旅で高田の池田六左衛門方に3泊
7 11 元禄2 『奥の細道』の旅で能生の玉屋五郎兵衛方に宿泊
7 12 元禄2 『奥の細道』の旅で市振宿到着
7 13 元禄2 滑河到着
7 14 元禄2 『奥の細道』の旅で富山高岡に到着。猛暑に見舞われる
7 15 元禄2 『奥の細道』の旅で金沢に到着し、23日まで滞在
7 22 元禄2 金沢で一笑追善句会
7 24 元禄2 『奥の細道』の旅で北枝同道して金沢から小松へ。小松に3泊
7 27 元禄2 『奥の細道』の旅で山中温泉和泉屋に8日間宿泊。7.29、近藤如行宛書簡。8.2、小松の塵生宛書簡
8 5 元禄2 『奥の細道』で、旅の同行者曽良と別れる。小松に戻って2泊
8 11 元禄2 『奥の細道』で、永平寺・福井着。北枝と別れる。等哉宅に2泊
8 14 元禄2 『奥の細道』で敦賀着。名月は雨模様
8 21 元禄2 『奥の細道』終点大垣到着。近藤如行宅へ落着く
9 3 元禄2 曾良、長島より大垣へ来る
9 6 元禄2 伊勢神宮遷宮式奉拝のため大垣の如行宅を出発。『奥の細道』終り。曽良・路通・李下同道して揖斐川経由で伊勢へ。長島大智院に3泊。曾良と別れる。この頃 『紙衾の記』執筆
9 10 元禄2 貝増卓袋(かせ屋市兵衛)宛書簡。久居の長禅寺に一泊
9 11 元禄2 伊勢山田着。山岸十左衛門宛書簡。この頃、又玄夫妻宛に『明智が妻の話』を執筆
9 15 元禄2 伊勢山田より、木因宛書簡
9 22 元禄2 伊勢山田より、杉風宛書簡。月末まで外宮遷宮・二見浦など見物して伊賀上野へ帰郷
11 1 元禄2 良品亭で六吟歌仙を興業
11 3 元禄2 半残亭で土芳ら伊賀門人十五吟五十韻俳諧
11 22 元禄2 土芳の蓑虫庵で伊賀門人九吟五十韻俳諧
11 27 元禄2 路通同道して奈良春日大社若宮の御祭見物
12 24 元禄2 京都の去来亭で夜更けて空也僧の鉢叩きを聞く。この頃、去来宛書簡
1690 1 2 元禄3 荷兮宛書簡
1 3 元禄3 膳所から再度伊賀上野に帰郷。3月中旬まで滞在
1 4 元禄3 旧主藤堂探丸より招待あるも、風邪のため6日に伺候
1 5 元禄3 式之・槐市宛書簡
1 17 元禄3 杜国(萬菊丸)宛書簡
1 19 元禄3 智月宛書簡
2 6 元禄3 西島百歳亭で九吟歌仙興業
3 2 元禄3 伊賀蕉門・小川風麦宅で花見の宴。<軽み>に開眼
3 11 元禄3 荒木村白髭神社半歌仙興業。中旬、再度膳所に行く 『洒楽堂の記』執筆
3 20 元禄3 弟子=三河の杜国死去。4.6、芭蕉、訃報を受取る
4 1 元禄3 石山寺に参詣。源氏の間を見る
4 6 元禄3 国分山幻住庵に入庵。7月23日まで滞在。この後『幻住庵の記』執筆開始
4 8 元禄3 怒誰宛書簡
4 10 元禄3 如行宛書簡此筋・千川宛書簡。この頃乙州宛書簡あり
4 24 元禄3 北枝宛書簡
6 上旬 元禄3 中旬、京都に行き『猿蓑』企画、18日迄滞在。19、幻住庵に帰る。『四條の河原涼み』、『雲竹自画像の讃』執筆
6 20 元禄3 小春宛書簡
6 25 元禄3 乙州宛書簡
6 26 元禄3 浜田珍碩宛書簡
6 30 元禄3 菅沼曲水宛書簡
7 10 元禄3 水田正秀宛書簡
7 17 元禄3 立花牧童宛書簡 この頃、去来宛書簡
7 23 元禄3 幻住庵から大津の「つれ?」に移転。智月宛書簡。その後、9月下旬まで膳所義仲寺に滞在
7 24 元禄3 怒誰宛書簡
8 4 元禄3 千那宛書簡
8 15 元禄3 膳所義仲寺で近江門人と月見の会。持病に悩む。8.18、加生(凡兆)宛書簡
9 6 元禄3 曲水宛書簡
9 13 元禄3 堅田に行く。この後風邪を引く。25、義仲寺に戻る
9 26 元禄3 茶屋与次兵衛宛書簡
9 27 元禄3 京都に行く。28、義仲寺に戻り、与次兵衛宛正秀宛書簡を書き、直後伊賀上野へ出発。この頃おとめ宛書簡
10 21 元禄3 伊賀より嵐蘭宛書簡
12 元禄3 初旬京都に行く。句空宛書簡。年末に大津の乙州の新宅で越年
1691 1 3 元禄4 大津から北枝宛及び句空宛書簡
1 5 元禄4 大津から曲水宛書簡
1 元禄4 江戸下向の乙州餞別連句会開催。「梅若菜丸子の宿のとろろ汁
1 元禄4 大津より伊賀上野に帰郷。3ヵ月滞在。1.19、水田正秀宛書簡
2 13 元禄4 伊賀上野より嵐蘭宛書簡。この頃、奈良の薪能見物に行く
2 22 元禄4 伊賀上野から怒誰宛支幽/虚水珍夕宛書簡
3 4 元禄4 曾良、江戸から上方へ旅立つ。7月下旬まで
3 9 元禄4 伊賀上野から去来宛書簡。この以前に嵐蘭が伊賀の芭蕉を訪問
3 23 元禄4 伊賀万乎亭(マンコテイ)で花見、半歌仙
4 18 元禄4 5月4日まで西嵯峨落柿舎滞在。『嵯峨日記』執筆開始
4 20 元禄4 凡兆・羽紅夫妻落柿舎訪問。去来、下男の5人で同衾する
5 5 元禄4 6月19日まで京都野沢凡兆宅に滞在。『猿蓑』監修
5 10 元禄4 洛中より意専宛及び半残宛書簡
5 17 元禄4 京都の凡兆夫妻・曽良らと芝居見物
5 23 元禄4 凡兆夫妻・曽良らと再度芝居見物。正秀宛書簡
5 26 元禄4 京都で『猿蓑』編集会議。深更に及ぶ。俳文編撰集を断念
5 29 元禄4 曽良らと八坂神社神輿洗い神事見物
6 1 元禄4 去来・曽良・丈草らと一乗寺村石川丈山詩堂見物
6 8 元禄4 持病悪化して吐瀉あり
6 10 元禄4 夜、大津の乙州亭に到着
6 25 元禄4 9月28日まで新装なった膳所義仲寺に滞在
7 3 元禄4 京都井筒屋より『猿蓑』出版
7 12 元禄4 義仲寺新庵から去来宛書簡
8 14 元禄4 大津の梵江寺で待宵の句会開催
8 15 元禄4 義仲寺で仲秋の観月句会開催
8 16 元禄4 堅田で舟遊び。成秀亭での十六夜の観月句会に参加
8 18 元禄4 支考らと石山寺参詣
閏8 10 元禄4 正秀宛書簡。この秋句空宛書簡
9 9 元禄4 義仲寺から去来宛書簡。この後、23日まで京都に滞在
9 23 元禄4 京都から義仲寺に戻る。槐市/式之宛書簡
9 13 元禄4 之道らと石山寺参詣
9 28 元禄4 千那宛書簡。桃隣同道して、膳所から江戸へ向け出発
10 20 元禄4 尾張熱田に3泊。支考とここで落合う
10 元禄4 島田宿に投宿。『島田の時雨』執筆
10 29 元禄4 江戸日本橋橘町の彦右衛門方借家帰着
11 5 元禄4 江戸から曲水宛書簡
11 13 元禄4 曲水宛書簡
11 18 元禄4 槐市/式之宛書簡
1692 1 16 元禄5 句空?宛書簡
1 23 元禄5 正秀宛書簡
2 7 元禄5 杉風宛書簡
2 8 元禄5 呂丸宛書簡
2 元禄5 江戸俳諧界の堕落に異を唱えて『栖去の弁』執筆。この頃、『其角集』上梓
2 18 元禄5 浜田珍碩宛書簡菅沼曲水宛書簡
3 3 元禄5 桃の節句に其角・嵐雪を迎える。桃と桜の句
3 21 元禄5 正秀宛書簡
3 23 元禄5 窪田意専宛書簡
5 7 元禄5 去来宛書簡
5 元禄5 新築なった芭蕉庵に転居。『芭蕉を移す詞』
7 14 元禄5 怒誰宛書簡
8 9 元禄5 彦根藩の森川許六、桃隣の紹介で芭蕉の門下に入門
9 8 元禄5 去来宛書簡
9 16 元禄5 浜田珍碩(洒堂)芭蕉庵に来る
9 17 元禄5 曲水宛書簡
10 3 元禄5 赤坂御門外彦根藩邸に許六を訪ね、五吟歌仙をまく
11 元禄5 松倉嵐蘭の求めにより『机の銘』を執筆
12 3 元禄5 意専宛書簡
12 8 元禄5 許六宛書簡
12 15 元禄5 許六宛書簡
12 23 元禄5 此筋/千川宛書簡
12 25 元禄5 許六宛書簡
12 28 元禄5 許六宛及び怒誰宛書簡。この頃、曲水宛書簡あり
1693 1 11 元禄5 麹町天神町旗本小出淡路守屋敷を訪問
1 12 元禄6 許六宛書簡
1 20 元禄6 木因宛書簡
1 27 元禄6 羽紅宛書簡。この頃、曲水宛書簡
2 2 元禄6 呂丸、京都で客死。この頃、洒堂上京のため芭蕉庵を出る
2 8 元禄6 曲水宛書簡で借金1両2分申込み。桃印の結核治療で財政悪化
3 5 元禄6 呂丸の死につき公羽宛書簡3.73.103.12にもあり
3 20 元禄6 許六宛書簡
3 元禄6 甥の桃印、芭蕉庵にて死亡。享年33歳
3 29 元禄6 許六亭に寄寓。4月3、4日まで
4 元禄6 中旬、芭蕉庵にて十吟歌仙
4 元禄6 下旬頃、許六に「柴門ノ辞」を贈る
4 29 元禄6 荊口へ書簡発送。甥桃印の死で絶望していることを報告
5 4 元禄6 許六宛書簡
5 5 元禄6 森川許六帰郷に際し、芭蕉に別れのを贈る
5 6 元禄6 森川許六、彦根に向かって出発
5 30 元禄6 藤堂采女の江戸屋敷に伺候して1泊
7 元禄6 桃印の死で気力萎え、「閉関の説」を書いて庵の門を閉ざす
8 20 元禄6 白雪宛書簡
8 27 元禄6 弟子嵐蘭死去.享年47歳
8 28 元禄6 嵐竹宛書簡
8 29 元禄6 芭蕉の弟子其角の父東順死去
9 3 元禄6 弟子嵐蘭の初七日の墓参
9 13 元禄6 曽良・杉風らと七吟歌仙
10 9 元禄6 山口素堂亭の残菊の宴に列席。許六宛書簡
10 20 元禄6 深川で四吟歌仙
11 8 元禄6 曲水宛怒誰宛荊口宛書簡
11 元禄6 上旬、大垣藩邸で三吟歌仙
11 27 元禄6 松尾半左衛門宛書簡
1694 1 初旬 元禄7 松尾半左衛門宛書簡
1 20 元禄7 意専宛書簡
1 29 元禄7 曲水宛書簡怒誰宛書簡去来宛書簡
2 13 元禄7 梅丸宛書簡
2 23 元禄7 曲水宛書簡
2 25 元禄7 許六宛書簡
4 元禄7 『おくのほそ道』完成。柏木儀左衛門に清書依頼
5 2 元禄7 宛名不明の書簡有り
5 11 元禄7 帰郷のため寿貞尼の子二郎兵衛を伴って江戸を出発
5 13 元禄7 三島宿到着。沼津屋九郎兵衛宅に1泊
5 15 元禄7 島田到着。塚本如舟宅に投宿。大井川出水して4日間足止め
5 16 元禄7 島田から曾良宛書簡
5 22 元禄7 名古屋到着。荷兮亭に3泊。6回目の名古屋
5 25 元禄7 この夜、露川・素覧と三吟半歌仙「水鶏啼く・・」
5 28 元禄7 伊賀上野に到着。閏5月16日まで滞在
閏5 5 元禄7 氷固宛書簡
閏5 10 元禄7 雪芝宛書簡
閏5 11 元禄7 雪芝亭で歌仙興業
閏5 16 元禄7 伊賀上野を発ち、山城加茂の平兵衛宅へ投宿
閏5 17 元禄7 大津の乙州亭に1泊.京より来た支考に会う
閏5 18 元禄7 膳所に移り、曲水亭に4泊。去来宛書簡
閏5 21 元禄7 杉風宛書簡曾良宛書簡猪兵衛宛書簡
閏5 22 元禄7 膳所から京都落柿舎に移る。夜、去来・洒堂・支考・丈草・素牛らと歌仙興行
閏5 23 元禄7 落柿舎から支考宛書簡
閏5 30 元禄7 曲水宛書簡
6 2 元禄7 愛人寿貞尼死去
6 3 元禄7 杉風宛書簡村松猪兵衛宛書簡
6 8 元禄7 寿貞尼死去の訃報を受信。村松猪兵衛宛書簡
6 15 元禄7 許六宛李由宛書簡。落柿舎から膳所に帰り、7.5迄義仲寺無名庵に滞在
6 16 元禄7 曲水亭で歌仙開催。「夏の夜や崩れて明し冷やし物」の句あり
6 21 元禄7 大津の木節亭で支考らと歌仙
6 元禄7 大津の能大夫本間主馬宅で歌仙。『骸骨の絵讃』執筆
6 24 元禄7 杉風宛に書簡発送。上方で「かるみ」好評の由を伝える
6 28 元禄7 『炭俵』刊行
7 5 元禄7 義仲寺から京都桃花坊の去来亭に移り、10日迄滞在。
7 10 元禄7 曽良宛に書簡発送。上方で「かるみ」好評の由を伝える
7 15 元禄7 帰郷して伊賀上野松尾家の盂盆会(玉祭
7 28 元禄7 上野猿雖亭にて七吟歌仙
8 1 元禄7 万乎宛書簡
8 7 元禄7 上野望翆亭にて歌仙興業
8 9 元禄7 上野猿雖亭にて三吟表六句。去来に書簡
8 14 元禄7 智月宛書簡
8 15 元禄7 伊賀の門人から贈られた無名庵にて月見の会催す
8 20 元禄7 露川?宛書簡
8 23 元禄7 上野猿雖亭にて四吟歌仙興業
8 24 元禄7 上野猿雖亭にて八吟歌仙興業
9 3 元禄7 門弟支考、伊賀上野を来訪。9.4、七吟五十韻。『続猿蓑』完成。
9 5 元禄7 行く秋や手をひろげたる栗の毬」ではじまる歌仙?
9 8 元禄7 支考・維然同伴して大坂に向け出発。奈良に一泊。9月9日大坂着。その後発熱悪寒つづく
9 10 元禄7 去来?に手紙杉風にも手紙
9 13 元禄7 住吉神社の例大祭「宝の市」見物。升を購入。しかし途中体調悪化して帰宅
9 14 元禄7 畦止宅で七吟連句の会
9 17 元禄7 此筋/千川宛書簡
9 19 元禄7 其柳宅で八吟連句の会
9 21 元禄7 容体急変し下痢などの症状を訴える。車要亭で半歌仙
9 22 元禄7 前夜の半歌仙が深更に及び朝寝。『秋の朝寝』執筆
9 23 元禄7 郷里の兄松尾半左衛門宛書簡で無事を伝える。意専/土芳宛書簡
9 25 元禄7 水田正秀菅沼曲翠宛に手紙を書く
9 26 元禄7 大坂新清水の料亭浮瀬(うかむせ)で十吟歌仙
9 27 元禄7 園女(そのめ)亭にて九吟歌仙を巻く
9 28 元禄7 畦止亭で句会
9 29 元禄7 芝柏亭での句会を欠席。夜になって下痢。以後、衰弱が続く。「秋深き隣は何をする人ぞ」
10 5 元禄7 芭蕉の病床、南御堂前花屋仁右衛門貸座敷に移し、各地に危篤通知
10 6 元禄7 去来、京都嵯峨で芭蕉の危篤通知受理、直ちに大坂へ出立
10 7 元禄7 芭蕉危篤の報に各地の門弟馳せ参ずる
10 8 元禄7 芭蕉の延命を住吉神社に祈願
10 9 元禄7 夜更け2時頃、看病中の呑舟に「枯野」の句を代筆させる
10 10 元禄7 死期を悟り、兄松尾半左衛門宛口述筆記3通の遺書を認める
10 12 元禄7 午後4時、大阪南御堂前花屋仁右衛門宅で死去。享年51歳。夜、遺骸を川舟で伏見から大津へ運ぶ
10 13 元禄7 芭蕉の遺骸、膳所義仲寺に到着
10 14 元禄7 午前零時、遺骸を義仲寺境内に埋葬。導士・直愚上人。門人80人を含む300余人が会葬
1704 2 24 元禄17 門弟内藤丈草死去。享年43歳
9 10 宝永1 門弟向井去来死去。享年54歳
1705 6 宝永2 師北村季吟死去。享年82歳
1707 2 23 宝永4 門弟宝井其角死去。享年47歳
10 13 宝永4 門弟服部嵐雪死去。享年54歳
1711 2 9 正徳1 門弟で武田家臣団末裔・美濃国関の人=維然死去。6?歳
1714 正徳4 この春、門弟凡兆死去。享年不祥
1715 8 26 正徳5 門弟森川許六死去。享年60歳
1732 2 7 享保17 門弟の各務支考死去。67歳
6 13 享保17 門弟(鯉屋)杉山杉風死去。86歳
1740 1 3 元文5 門弟野坡死去。79歳
1893 11 13 明治26 正岡子規、日本に『芭蕉雑談』連載開始。'94.1.22迄
1934 7 18 昭和9 大阪毎日新聞、奥の細道の原本<去来本>発見を報道。→<西村本>
1950 11 6 昭和25 伊東の斎藤家で奥の細道<曾良本>発見
1996 11 26 平成8 大阪の古書店主所蔵『おくの細道』が芭蕉自筆原本と判明 →<野坡本>
1999 5 26 平成11 山形で洒堂宛真蹟書簡発見

Index

芭蕉句集

芭蕉文集

芭蕉書簡集

蕉門Who'sWho