ようやく実行された『笈の小文』の旅。その途次名古屋熱田の林桐葉亭に滞在中の芭蕉が知足に宛てた書簡である。芭蕉は、この折、名古屋鳴海の知足亭に11月4日から9日まで、またその後21日までの間、前後10日間滞在した。その滞在期間中、芭蕉は新俳諧を門弟達に教えるため俳席では相当厳しく叱咤激励したようで、この書簡では長上の知足に対しても厳しい教示を与えたことを詫びている。
芭蕉にとっては、『笈の小文』の頃が精神的には最も充実していた時期であった。それだけにその教えも気力のこもったものであったのだろう。
為二御見舞一三郎左衛門殿被レ遣、誠辱奉レ存候:<おみまいのためさぶろうざえもんどのをつかわされ、まことにかたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。三郎左衛門なる人物は、知足の弟下里知之。知足が林桐葉亭に滞在中の芭蕉の見舞に弟を遣わしたことへの謝辞。
今日は若御出可レ被レ成かと御亭主共に相待居申候處:<きょうはもしおいでなされるべきかとごていしゅともにあいまちそうろうところ>と読む。貴方が今日はお見えになるものと、桐葉と二人で待っておりましたのに、の意。
先以此度は緩々滞留:<まずもってこのたびはゆるゆるたいりゅう>と読む。 貴殿宅にこの度は10日もの間滞在させて頂き、の意。
はいかい急に風俗改り候様にと心せかれ:あなたの古風な俳風を早く改めるようにと叱咤激励しましたが、の意。芭蕉鳴海での歌仙で知足ら門人に残る談林風俳諧を改めるよう厳しく指導した。
御耳にさはるべき事のみ、御免被レ成可レ被レ下候:<おみみにさわることのみ、ごめんなされくださるべくそうろう>と読む。お気にさわるようなことが有りましたら、お許し下さい、の意。歌仙の席上芭蕉は年上の知足らに厳しく指導したのであろうが、それを改めて詫びている。
猶露命しばらくの形見共思召可レ被レ下候:<なおろめいしばらくのかたみともおぼしめしくださるべくそうろう>と読む。(俳諧の風も随分と変化するときであるので、そのことを分かってもらうように厳しい言い方もしましたが)やがて消え行く私がここ鳴海での記念と思って頂いて、(御寛恕頂きたいのです)の意。
荷兮:Who'sWho参照。
可レ然御礼御意得奉レ頼候:<しかるべくおれいおこころえたのみたてまつりそうろう>と読む。鳴海の門弟達が笠覆寺まで見送ってくれたことに対して、御礼の挨拶をしておいて下さい、の意。
追付発足、山中より以二書状一具可二申上一候:<おっつけほっそく、さんちゅうよりしょじょうをもってつぶさにもうしあぐべくそうろう>と読む。芭蕉はこの後名古屋を後にして伊賀上野に向け出発する。山中は上野のこと。
此度万事御懇意忝難レ尽候:<このたびばんじごこんいかたじけなくつくしがたくそうろう>と読む。万事お心づかいあり難く御礼の言葉もありません、の意。