芭蕉db

曾良宛書簡

(元禄7年5月16日 芭蕉51歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


はこねまで御大義(儀)*、次良(郎)兵へ(衛)も少学問致候よし申候へ共、漸々草臥之躰みえ申候。はこね雨難義(儀)、下りも荷物を駕籠に付て乗申候。漸々三嶋新町ぬまづ屋九良(郎)兵へと申飛脚宿、能宿とり申候*。今迄の一番にて御座候。十五日嶋田へ雨に降られながら着申候。つかもと孫兵へ(衛)宿に居合、先と留候*。其夜雨風、大井十六日渡り留り申候。定而十七日昼過渡り可有候。持病心無御座、定而無事に上着うたがひなく候へ共*、精分つかれたるやうにて気ぜはしく少々いそぐ気味御座候。与風持病も出可申哉などヽ被存候故、嶋田の逗留幸と休み申候*
宗波師・紅斎老*・近所衆へ皆々よろしく頼存候。寿貞も定而移り居可申候。御申きかせ乍慮外頼候*。以上
    五月十六日                             はせを
  ソラ様
尚々宗波老へ預置申候素堂書物、早々かへされ候様に頼申よし、御申可下候。浄永(求)へも御伝被成可下候*

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 芭蕉最後の西上の旅の途次、島田の宿から曾良宛に書いた書簡。この旅では曾良は箱根まで芭蕉一行を見送ったのでその謝礼が書かれ、江戸深川の人々への気遣いと、寿貞尼に関する記述が有る。特に寿貞尼については、彼女が芭蕉の発った跡の芭蕉庵に転居することになっていたことが文面から伺える。