芭蕉db

濁子宛書簡

(天和2年3月上または中旬 芭蕉39歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


芭蕉之*   

杭瀬河之翁*こそ予が思ふ所にたがはず、鳶の評*、感会奇に候*。江戸衆聴人なきと申し候は聊偽*、彼翁が心ヲ謀ン為に候。爰元にも珍しきと而巳云人三分*、同物に同物付たる、古今類なきと云捨たる人二分、又道ヲ無して云度事云るゝなど嘲野輩も適々有*、予が心指*ヲ了察の士も一両人は有之候ヲ、千里ヲ隔テ自慢云散らしたるも却而*愚盲之至に御座候へ共、日来彼翁此道知りたる人と定置候へば*、聊了簡引見ン為、書付遣し申候處*、愚案一毫の違無御座*、誠不浅候*
       自慢之詞
古往達人、花に桜を附ルに同意去ルヲ本意と云リ*。増テ鳶に鳶を付て一物別意ヲ付分*、当時未来の作者に此句ヲ似せさせず、古往今来未来一句の格*、何レノ時か秋風来テ芭蕉の露もろく破レン迄の一句*、一生是のみに存斗に候と書内*、鼻高くをごめき、肩のあたり羽だゝき*するやうに候。

 本書簡は、江戸在住の芭蕉が、大垣蕉門の弟子中川濁子に宛てたものである。内容は、「鳶の評論」で木因から我意を得た返事を受けてそれを自慢した内容となっているが、断簡であってそれ以外の用件は残念ながら分からない。自慢話だけをそれこそ千里を隔てた濁子に送るわけも無いから、ちょうど何かの便りとともに送ったものであろう。