芭蕉db

月侘斎

延宝9年秋 38歳

文集へ 年表へ


 月を侘び、身を侘び、つたなきを侘びて、侘ぶと答へむとすれど、問ふ人もなし*。なほ侘び侘びて、

侘びて澄め月侘斎が奈良茶歌   芭蕉

(わびてすめ つきわびさいが ならちゃうた)       


侘びて澄め月侘斎が奈良茶歌

 支考の『俳諧十論』によれば、芭蕉は、「奈良茶三石喰ふて後、はじめて俳諧の意味を知るべし」と弟子に語ったとある。ここに奈良茶とは、奈良の東大寺などで食する茶粥のことで粥の中に煎った大豆や小豆などを入れた質素な食事のこと。奈良茶歌とは、奈良茶を食いながらわび住まいの中で詠まれた歌という程度の意味であろう。一句中、月侘斎は侘び住まいの隠士で、芭蕉自らを指している。芭蕉修業時代の心意気を述べたものと解釈される。なお、この年延宝9年には16句が現存している。