五月十五日 松尾桃青
(こどもらも じねんのあわれ もよおすに つばなとくれて いちごかるはら)
(しずめとかかるよもぎうのこい よごしつむ あかざがそのに かいまみて)
(いまやみやこはふぐをくうらん ゆうはづき かぶははごしに なりにけり)
(といわれしところすぎほととぎす こころのを こころにわくる いくちまた)
(やまざといやよのがるるとてもまちいおり たいうるこえにさけのしをふす)
(かさいのいんのすみすてしあと ずいきのと ふきつぼのまは しもをのみ)
この書簡の年の暮、八百屋お七の放火による江戸大火のおり世話になることになる門人麋塒への俳諧教授の書簡。ここには、芭蕉中期の俳論が述べられている。俳諧に革命を起こした芭蕉の、次第に高まっていく世間の風潮との軋轢が行間に表出されている。麋塒が送った作品が見当たらないので、具体性に欠けるが、芭蕉の文学の基本が語られている意味で極めて貴重な書簡である。
そういいながら、まだ芭蕉の作品は今から見れば若かったのであるが・・・・