芭蕉db

知足宛書簡

(貞亨3年12月1日 芭蕉43歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


貴墨*、殊更御国名物宮重大根弍本被芳慮*、尤賞玩可仕候*。毎々御懇情不浅、忝奉存候。愈御堅固珍重、此方露命いまだ無恙候。当夏秋之比上り可申覚悟に御座候へ共、何角心中障る事共出来延引*、浮生余り自由さに心変猶々難定候*
一、短尺十三枚、其後戸田左衛門表より之便りに七左衛門殿*迄頼、又々進じ候。
猶追々力次第に頼候而上せ可申候間*、老養御楽み可成候*。此比は発句も不仕、人のも不承候。猶思ひ付候而重而此便りに可御目候*。七左衛門殿へも御無さた、心計は何としてかとしてとのみ存候而、御書状さへ不御意候。御懐敷候。其元御連衆如風様*へも可然奉頼候*。御使も(ま)たせ置、返事したため候故、何を書候も不覚候。無常迅速*々々。
   極月一日            芭蕉桃青 書判
 寂照様
     貴報
尚々俳諧等折々御座候哉、承度候。誠誠遠路不絶御案内のみならず、御音信、御心ざし厚き事筆頭難尽候*

 鳴海の蕉門知足(寂照)宛の書簡である。先に知足から贈られてきたと思しき宮重大根の御礼、短冊13枚を桐葉宛に送ったことなどが書かれている。特筆すべき記事は特にない。