(元禄3年1月19日 芭蕉47歳)
書簡集/年表/Who'sWho/basho
膳所のサポーター智月に宛てた書簡。元禄3年1月3日、芭蕉が伊賀に帰郷したのが痔疾の療養のためであり、伊賀まで智月の奴僕を側につけて送っていったこと、水菜やサケの土産なども持たせたことが分る。智月の細やかな心配りが読み取れる書簡でもある。 なお、女性の文体のためかなが多用されている。
六兵へとめ申候:「六兵へ」は六兵衛。智月の家僕。その六兵衛を芭蕉の位が帰郷に際し、智月が送らせたのである。そして、六兵衛を伊賀に泊め、この書簡を持たせて膳所に帰らせたのである。
かごのうちにて:伊賀まで駕籠を多用したらしい。ということは芭蕉の今回の発病は胃痛や下痢ではなく痔であったことが分る。
よめご:これは智月の嫁、即ち息子乙州の妻にあたる。