芭蕉db

怒誰宛書簡

(元禄3年7月24日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


    高橋喜兵衛様                    桃青
先日者時節風流御尋被成被*、寛々与得芳慮珍重*に、山の名残与奉存候*。昨廿三日、出庵仕候*。其御地を先一旦大津まで引取申候。つれ御座候而、宿へも御案内不申上候。兼而外記殿*へも申置候は、出庵之節、郡代衆*など断も入可申かと御尋申上候へ共、くるしかるまじくと被仰候故、所之庄屋届置*、庵は神主に頼合罷出候。若御届に而可然事に御座候はば、万事御心まかせに指図にはからひ、乍慮外頼存*。爰元とても客月与宿も定不申候間*、名月比まで其元爰元逍遊可仕候間*、猶可御意候へ共、先は何も事も降不来内に*一旦膳所へ引取候合点に御座候間、其旨御意得被遊可下候*
在庵之内何の障りも無御座候へば、大慶仕候。此段御次手に外記殿へも被仰達、可忝候。老仙南花*、此かたまぎれ候間、形見に御所持可*。此度御厚志忝、態世間めき候へば、御礼不*。 以上
    七月二十四日

 幻住庵を出た芭蕉は、そのスポンサーであった曲水の弟である怒誰宛に出庵の報告を書いた。書いたのは大津らしい。23日に出たこと、その法律的手続きは曲水にかねて聞いておいた通り簡略に済ましてしまったこと、当分は未だ大津と怒誰の住む膳所の間に居ることなどを知らせている。