本書簡は、『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に到着した貞亨2年4月上旬から約半月後、近江の門人千那に宛てて書かれた返書である。「辛崎の松は花より朧にて」や「山路来て何やらゆかしすみれ草」などの句の推敲過程が見える。
貴墨辱拝見、御無事之由珍重ニ奉レ存候:<きぼくかたじけなくはいけん、ごぶじのよしちんちょうにぞんじたてまつりそうろう>と読む。お手紙を拝見しお元気のこと何よりです、の意。
其元滞留之内得二閑語ヲ一候而 :<そこもとたいりゅうのうちかんごをえそうろうて>と読む。『野ざらし紀行』の旅の途次、そちらに滞留していた時にはゆったりした時間を過させて頂いて、の意。大変楽しかったというのである。「其元」は近江の大津を指している。
御覚可レ被レ下候:ここに上げてある二つの句はそれぞれ初案では、「何とはなしに何やら床し菫草」、「辛崎の松は小町が身の朧」だったようである。旅を終えて推敲し、ここにあるように決定稿となった。
重而書付可レ申候:<かさねてかきつめもうすべくそうろう>と読む。このように旅の途次に読んだ句が53句も有るが、随時推敲していこうと思う、の意。
嵐雪他国へ罷候間不レ及二貴報一候:嵐雪はこの頃、主君井上相模守に随行して越後高田に出張中であった。だから、千那の手紙は彼にはとどかない、の意。