- 芭蕉db
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洒楽堂の記
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(元禄
3年3月 47歳)
- 山は静かにして性を養ひ、水は動いて情を慰す*。静・動二つの間にして、住みかを得る者あり。浜田氏珍夕*といへり。目に佳境を尽し口に風雅を唱へて、濁りを澄まし塵を洗ふがゆゑに、洒楽堂といふ。門に戒幡*を掛けて、「分別の門内に入ることを許さず」と書けり。かの宗鑑が客に教ゆる戯れ歌*に、一等加へてをかし。且つそれ簡にして方丈なるもの二間、休・紹二子の侘び*を次ぎて、しかもその矩を見ず*。木を植ゑ、石を並べて、かりのたはぶれとなす。そもそも、おものの浦*は、瀬田・唐崎を左右の袖のごとくし、湖をいだきて三上山に向ふ。湖は琵琶の形に似たれば、松のひびき波をしらぶ*。比叡の山・比良の高根をななめに見て、音羽・石山を肩のあたりになむ置けり。長等の花*を髪にかざして、鏡山は月を粧ふ。淡粧濃抹*の日々に変れるがごとし。心匠の風雲*も、またこれに習ふなるべし。
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ばせを
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(しほうより はなふきいれて にほのなみ)
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四方より花吹き入れて鳰の波
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- この頃、芭蕉は膳所に滞在している。浜田珍夕は医師で、芭蕉門人の一人。珍夕の住居「洒楽堂」の、琵琶湖の水と周囲の山の動と静とを取り入れた居宅の風雅を讃美した一文。なお、珍夕は、芭蕉の軽みを理解し、自らの作風も軽みを体得していたとされている。
さて一句は、主人珍夕の風流を称えた挨拶吟。「鳰の海<にほのうみ>」は琵琶湖の別称。鳰はカイツブリで、これが琵琶湖に沢山渡ってくることからつけられた。
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大津市御殿浜にある句碑。牛久市森田清さん提供
山は静かにして性<せい>を養ひ、水は動いて情を慰<い>す:論語に「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。」とあるを引用。
浜田氏珍夕:洒堂。Who'sWho参照
戒幡:<かいばん>と読む。禅宗の山門にある「葷酒山門を入るを許さず」の類の看板をさす。これが、珍夕になると「分別の門内に入ることを許さず」となる。「分別」とは規矩をいう。主人の風流に筆者は大いに同感している。
宗鑑が客に教ゆる戯れ歌:宗鑑が隠棲していた山崎の庵の門には、「上は来ず、中は来て居ぬ、下は泊まる。二夜泊るは下々の下の客」とあったという。入り口に箒を逆さまに立てたのと同様の効果をねらったか?
その矩を見ず:形式に囚われていない、の意
休・紹二子の侘び:休は利休を、紹は武野詔鴎<じょうおう>。後者は利休の師。共に室町の侘び茶の宗匠。
おものの浦:膳所の古名
松のひびき波をしらぶ:
長等の花:ながら山。三井寺の裏山で桜の名所であるところから、後続の文章になる。同様に鏡山は月の名所ゆえ「月を粧<よそ>ふ」となる。
淡粧濃抹:蘇東坡の詩から。奥の細道象潟参照
心匠の風雲:心匠は心の中での芸術的工夫、風雲は風情や風趣の意