芭蕉db

村松猪兵衛宛書簡

(元禄7年6月3日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 一、桃隣いかが相勤められ候や。暑気の節、短夜といひ、会も心のままには成り申すまじく候。杉風・子珊、心にたがはざるやうに「実」を御勤め候へと、御申しなさるべく候*。京都俳諧師、五句付のことに付き閉門*、俳諧沙汰びつしりと蛭に塩かけたるやうに候*。様子段々*、拙者口から申しのぼせ候も気の毒ゆゑ、具せず候*。かやうのところ、ただ「実」を勤めざるゆゑと合点を致し、むさとしたる出合・会など*心持あるべき旨、桃隣へ御物語りなさるべく候。
一、市之進殿*、御無事に候や。しかるべく御心得たのみ存じ候。
一、この方、京・大坂貧乏弟子*ども駆け集り、日々宿を喰ひつぶし、大笑ひ致し暮し申し候。
一、理兵衛*、細工これなき時分、せめて煩ひ申さず候やうに、御気を付けらるべく候。右の通り、寿貞にも御申し聞かせ下さるべく候。おふう*、夏かけて無事に候や。様子つぶさに、御申し越しなさるべく候。
一、宗波老*・庄兵衛殿*へも、御心得なさるべく候。さだめて好斎老*たえず御見舞下さるべきと、存ずることに候。追て、書状を以て御意を得べく候。 以上
                                桃青

六月三日

猪兵衛様

 これは、京都落柿舎から松村猪兵衛に宛てた真蹟書簡である。健康に優れない寿貞尼、及びその係累達について気遣いを吐露している。実は、寿貞は既にこの世の人ではなかった。この数日後に寿貞の訃報が届くことになるが、本書簡執筆時点そのことを芭蕉は未だ知らない。
 京都俳諧師が博打俳諧をやって閉門させられたという伝聞情報によって弟子桃隣に注意を喚起するなど細かな配慮を示している。
 なお、本書簡は前半部が一部紛失している。