芭蕉DB

鹿島詣

(鹿島紀行/かしま紀行)

(貞亨4年8月・芭蕉44歳)


 らくの貞室*、須磨の うらの月見にゆきて、「松陰や月は三五や中納言」*といひけむ、狂夫のむかし*もなつかしきま ゝに、このあき、かしまの山*の月見んとおもひたつ事あり。ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり*、 ひとりは水雲の僧*。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣の袋*を えりにうちかけ、出山の尊像*をづしにあがめ入テうしろに背負、拄丈*ひきならして、無門の関もさはるものなく*、 あめつちに独歩していでぬ。いまひとりは、僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの*、とりなきしま*にも わたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳*といふところにいたる。
 ふねをあがれば、馬にも のらず、細はぎのちからをためさんと*、かちよりぞゆく。
 甲斐のくによりある人*
の得させたる、檜もてつくれる笠を、おのおのいただきよそひて*、 やはたといふ里*をすぐれば、かまがいの原*といふ所、ひろき野あり。秦甸の一千里*とかや 、めもはるかにみわたさるゝ。つくばむかふに高く、二峯ならびたてり*。かのもろこしに双劔のみねありときこえしは廬山*の一隅 也。

ゆきは不申 むらさきのつくばかな*

と詠めし*は我門人嵐雪*が句 也。すべてこの山は、やまとたけるの尊の言葉をつたへて、連歌する人のはじめにも名付たり*。和歌なくばあるべからず、句なくば すぐべからず*。まことに愛すすべき山のすがたなりけらし。
 萩は錦を地にしけらんやうにて*、ためなかが長櫃に折入て、みやこのつとにもたせけるも*
、風流にくからず。きちかう*・をみなえし・かるかや・ 尾花みだれあひて、さをしかのつまこひわたる*、いとあはれ也。野の駒、ところえがほ*に むれありく、またあはれなり。
 日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさ*
といふ所につく。此川にて、鮭の網代といふものをたくみて、武江の市*にひさぐもの 有。よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやど、なまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さしくだして、かしまにいたる。
 ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚*、今は世をのがれて、此所におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を 發せしむと吟じけむ*
、しばらく清浄の心をうるにゝたり。
 あかつきの そら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば*、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たヾあはれなるけしきのみむねにみちて、 いふべきことの葉もなし*。はるばると月みにきたるかひなきこそ、ほゐなきわざなれ。かの何がしの女*すら、郭公の歌得よまでかへりわづらひしも、我ためにはよき荷憺の人*ならむかし。

をりをりにかはらぬ空の月かげも

     ちヾのながめは雲のまにまに* 和尚

月はやし梢は雨を持ながら  桃青

(つきはやし こずえはあめを もちながら)

寺に寝てまこと顔なる月見哉  同

(てらにねて まことがおなる つきみかな)

雨に寝て竹起かへるつきみかな*  曾良

(あめにねて たけおきかえる つきみかな)

月さびし堂の軒端の雨しづく*  宗波

(つきさびし どうののきばの あめしずく)

神前

此松の実ばへせし代や神の秋  桃青

(このまつの みばえせしよや かみのあき)

ぬぐはヾや石のおましの苔の露*  宗波

(ぬぐはばやい しのおましの こけのつゆ)

膝折ルやかしこまり鳴鹿の聲*  曾良

(ひざおるや かしこまりなく しかのこえ)

田家

刈りかけし田づらのつるや里の秋  桃青

(かりかけし たづらのつるや さとのあき)

夜田かりに我やとはれん里の月*  宗波

(よたかりに われやとわれん さとのつき)

賎の子やいねすりかけて月をみる  桃青

(しずのこや いねすりかけて つきをみる)

いもの葉や月待里の焼ばたけ   桃青

(いものはや つきまつさとの やけばたけ)

もゝひきや一花摺の萩ごろも*  曾良

(ももひきや ひとはなずりの はぎごろも)

はなの秋草に喰ひあく野馬哉*  同

(はなのあき くさにくいあく のうまかな)

萩原や一よはやどせ山のいぬ  桃青

(はぎはらや ひとよはやどせ やまのいぬ)

帰路自準に宿す

塒せよわらほす宿の友すヾめ*  主人

(ねぐらせよ わらほすやどの ともすずめ)

あきをこめたるくねの指杉*  客

(あきをこめたる くねのさしすぎ)

月見んと汐引きのぼる船とめて*  曾良

(つきみんと しおひきのぼる ふねとめて)

   貞亨仲秋末五日

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 貞亨4年8月、芭蕉は曾良と禅僧の宗波を引き連れ、鹿島神宮参詣と筑波山の月見の旅に出た 。この旅が『鹿島詣』である。月見のためだけではなく、実は芭蕉參禅の師佛頂が鹿島の臨済宗瑞甕山根本寺の住職であり、佛頂を訪ねるのももう一つの目的であった。このとき佛頂は根本寺ではなく付近の草庵に隠棲していたらしい。佛頂については、後に『奥の細道』では、黒羽の雲巌寺で佛頂座禅修行の跡を慕い「啄木鳥も庵は破らず夏木立」と詠んでいる。
 さて、この旅は小旅行であったが、結局雨にたたれて筑波山の名月を見ることは叶わず、句作の旅としても、先の『野ざらし紀行』や、後の『笈の小文』・『奥の細道』の旅のように大成功したとは言い難い旅となった 。

 ちなみに、この旅の行程は次のとおり。芭蕉庵→六軒堀→小名木川経由→行徳→千葉県市川市八幡→千葉県鎌ヶ谷市→我孫子市布佐→利根川船で鹿島上陸。


 


筑波山は別名紫峰と言われますが、紫に染まるのは年に数回です。これは今年2002年の2月に撮影したものです。仏頂和尚さんは幾度か見たと思いますが、果たして芭蕉さんは見られたか?(文と写真:牛久市森田武さん)


鹿島神宮(同上)


根本寺(同上)

 ここには、二つの句碑があります。「月はやし梢は雨を持ちながら」と「寺に寝てまこと顔なる月見かな」です。芭蕉さんが、鹿島へ来た時は、根本寺と鹿島神宮の争いも決着がつき、和尚さんは既に根本寺を出て居たようです。(文と写真:牛久市森田武さん)


 

月はやし梢は雨を持ながら

 先ほどまで降っていた雨は上がった。雲間を走る月は早く、木々のこずえはまだ露を抱いている。この句は根本寺での作とされている。

寺に寝てまこと顔なる月見

 禅寺の清澄な雰囲気の中で仲秋の名月に参加していると、心はもとより顔までが引き締まったようになる。実際には雨が降っていたのだから、月見はできなかったのであるが、禅寺の雰囲気が清澄な気分をかもしたのであろう。


根本寺境内の句碑(同上)

此松の実ばへせし代や神の秋

 一句は鹿島神社社前で詠んだもの。「実生え」は種子から発芽して育った樹木のこと<みしょう>という。鹿島神宮の松の下に立つと、この松が実生から目を出した頃の神代の秋の気が感じられる。


鹿島郡鹿島町宮中鹿島神宮(同上)

 

刈りかけし田 づらのつるや里の秋

 稲を刈りかけた田んぼに鶴がきてタニシをあさっている。そののんびりした情景はまことに里の秋というに相応しい。


潮来町大六天神社にある句碑(同上)

賎の子や いねすりかけて月をみる

 農家の子供が籾摺り機でもみを摺っている。その子が、月が出てくると籾摺りの手を休めて仲秋の月に見入っている。

いもの葉や月待里の焼ばたけ

 「焼畑」は、やきはたの畑とも、また雨が降らずに陽に焼けた畑ともとれるがこの時代のことだから前者ではないか。焼畑に作付けされた里芋の葉が茂っている。そんな田園の仲秋の風景だ。

萩原や一 よはやどせ山のいぬ

 この句には、

狼も一夜はやどせ萩がもと(泊船集)

がある。「山の犬」は狼のこと。萩は狼のような獰猛な動物にもやさしく夜の床を提供するといわれている。


塒せよ藁干す宿の友雀  主人
  秋をこめたるくねの指杉  客
  月見んと潮引きのぼる舟とめて 曾良  
三吟の句碑 潮来市長勝寺にて(同上)



潮来の長勝寺(牛久市森田武さん提供)



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