(貞亨4年8月・芭蕉44歳)
(つきはやし こずえはあめを もちながら)
(てらにねて まことがおなる つきみかな)
(あめにねて たけおきかえる つきみかな)
(つきさびし どうののきばの あめしずく)
神前
(このまつの みばえせしよや かみのあき)
(ぬぐはばやい しのおましの こけのつゆ)
(ひざおるや かしこまりなく しかのこえ)
田家
(かりかけし たづらのつるや さとのあき)
(よたかりに われやとわれん さとのつき)
(しずのこや いねすりかけて つきをみる)
(いものはや つきまつさとの やけばたけ)
野
(ももひきや ひとはなずりの はぎごろも)
(はなのあき くさにくいあく のうまかな)
(はぎはらや ひとよはやどせ やまのいぬ)
帰路自準に宿す
(ねぐらせよ わらほすやどの ともすずめ)
(あきをこめたる くねのさしすぎ)
(つきみんと しおひきのぼる ふねとめて)
貞亨4年8月、芭蕉は曾良と禅僧の宗波を引き連れ、鹿島神宮参詣と筑波山の月見の旅に出た
。この旅が『鹿島詣』である。月見のためだけではなく、実は芭蕉參禅の師佛頂が鹿島の臨済宗瑞甕山根本寺の住職であり、佛頂を訪ねるのももう一つの目的であった。このとき佛頂は根本寺ではなく付近の草庵に隠棲していたらしい。佛頂については、後に『奥の細道』では、黒羽の雲巌寺で佛頂座禅修行の跡を慕い「啄木鳥も庵は破らず夏木立」と詠んでいる。
さて、この旅は小旅行であったが、結局雨にたたれて筑波山の名月を見ることは叶わず、句作の旅としても、先の『野ざらし紀行』や、後の『笈の小文』・『奥の細道』の旅のように大成功したとは言い難い旅となった
。
ちなみに、この旅の行程は次のとおり。芭蕉庵→六軒堀→小名木川経由→行徳→千葉県市川市八幡→千葉県鎌ヶ谷市→我孫子市布佐→利根川船で鹿島上陸。
筑波山は別名紫峰と言われますが、紫に染まるのは年に数回です。これは今年2002年の2月に撮影したものです。仏頂和尚さんは幾度か見たと思いますが、果たして芭蕉さんは見られたか?(文と写真:牛久市森田武さん)
ここには、二つの句碑があります。「月はやし梢は雨を持ちながら」と「寺に寝てまこと顔なる月見かな」です。芭蕉さんが、鹿島へ来た時は、根本寺と鹿島神宮の争いも決着がつき、和尚さんは既に根本寺を出て居たようです。(文と写真:牛久市森田武さん)
先ほどまで降っていた雨は上がった。雲間を走る月は早く、木々のこずえはまだ露を抱いている。この句は根本寺での作とされている。
禅寺の清澄な雰囲気の中で仲秋の名月に参加していると、心はもとより顔までが引き締まったようになる。実際には雨が降っていたのだから、月見はできなかったのであるが、禅寺の雰囲気が清澄な気分をかもしたのであろう。
根本寺境内の句碑(同上)
一句は鹿島神社社前で詠んだもの。「実生え」は種子から発芽して育った樹木のこと<みしょう>という。鹿島神宮の松の下に立つと、この松が実生から目を出した頃の神代の秋の気が感じられる。
鹿島郡鹿島町宮中鹿島神宮(同上)
稲を刈りかけた田んぼに鶴がきてタニシをあさっている。そののんびりした情景はまことに里の秋というに相応しい。
潮来町大六天神社にある句碑(同上)
農家の子供が籾摺り機でもみを摺っている。その子が、月が出てくると籾摺りの手を休めて仲秋の月に見入っている。
「焼畑」は、やきはたの畑とも、また雨が降らずに陽に焼けた畑ともとれるがこの時代のことだから前者ではないか。焼畑に作付けされた里芋の葉が茂っている。そんな田園の仲秋の風景だ。
狼も一夜はやどせ萩がもと(泊船集)
がある。「山の犬」は狼のこと。萩は狼のような獰猛な動物にもやさしく夜の床を提供するといわれている。
塒せよ藁干す宿の友雀 主人
秋をこめたるくねの指杉 客
月見んと潮引きのぼる舟とめて 曾良
三吟の句碑
潮来市長勝寺にて(同上)
潮来の長勝寺(牛久市森田武さん提供)
「をりをりにかはらぬ空の月かげも ちヾのながめは雲のまにまに」:月の光はいつでも不変の輝きで輝いているというのに、私たちが見る月影は何時も違う。それは月を曇らす雲のせいである。転じて、真如の月影=仏の広大な心は変らないのに、人の心が曇るので、明暗が起こるのである。
「雨に寝て竹起かへる つきみかな」。宵の内の雨にがっかりして寝てしまったが、朝方になって雨もやみ、こうして夜明けの月見をすることだ。まるで雪に倒れた竹が起きかえるような気分だ。
「月さびし堂の軒端の雨し づく」:雨は上がったものの堂の軒端にはまだ雨だれがしきりに滴り落ちる。明け方の十五夜は淋しそうだ。
「ぬぐは ヾや石のおましの苔の露」この石は、鹿島神宮に神が降臨したときに着地した石でヘリポート。この石に苔が生えている。私はこれを拭い取ってあげたい。
「膝折 ルやかしこまり鳴鹿の聲」ここ鹿島神宮の鹿たちは、神社のありがたさにかしこまって膝を折って啼いている。
「夜田 かりに我やとはれん里の月」土地の百姓は今収穫のシーズンで、夜田刈りといって夜を日についで働いている。私も夜田刈りに雇われて、月の下で稲刈りをしてみたい。
「もゝひきや一花摺の萩ごろも」「一花摺」とは、花の色を一度だけ着けて染め上げる淡い染色方法。藤原實隆<さねたか>のうた「初萩の一花ずりの旅心つゆ置きそむる宮城野の原」から採った。本歌のロマン的な雰囲気には及ばないが私もこうして股引に一花摺りが染まりました。
「はなの秋草に喰ひ あく野馬哉」秋の草花の満開の季節、馬たちは腹いっぱい草を食べて満腹の体だ。
「塒せよ わらほす宿の友すヾめ」さあさあ、友雀のみなさん、私の家に泊まってください。寝床に使うワラはすっかり乾燥させて気持ちよく準備しておきましたよ。友の来訪の喜びを雀に譬えた。
「あきをこめたるくねの指杉」大変暖かい歓迎の言葉をありがとう。主人たるあなたのお心は、春に植えて丹精育てた杉の生垣の美しさで分かりますよ。ここの「客」は芭蕉。つまり、芭蕉の脇句である。
「月見んと 汐引きのぼる船とめて」川の水上から月見をしようと、海から上がってきた船を呼びとめる。
(since:97/11/20)