芭蕉db
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佛頂和尚
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(ぶっちょう)
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(1641年〜1715年12月28日)
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Who'sWho/年表/basho
- 茨城県鹿島の根本寺第21世住職。芭蕉参禅の師と伝えられている。芭蕉より3歳ほど年長。
佛頂は、鹿島神宮との間で領地争いがあって、その訴訟のため江戸に滞在することが多かった。そのときは、根本寺の末寺であった江戸深川の臨川寺(その頃は臨川庵と呼んでいた。臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺となったのは正徳3年のことという。)を使った。臨川寺は、芭蕉庵に近く、芭蕉は佛頂をしばしば訪ねて禅を教えてもらったという。芭蕉は、乞食僧へ独特の憧憬を持っていたが、そのことが佛頂の人生態度と一致していたため、強い尊敬の念を感じていた
ようである。
芭蕉は、素堂などとちがって生家が貧しく、青春時代に正統的教育の機会に恵まれなかったため、「一般教養」に欠けるところがあった。深川に転居して、幸運にも佛頂とめぐり合い、禅はともかく漢学一般、中でも特に老荘思想について佛頂から体系的に教授されたことで、芭蕉の人生が急展開したのではないか。特に『荘子(そうじ)』については、芭蕉の自然観全体に影響を与えた。それが、俳諧改革を促し、大詩人芭蕉の誕生につながったのではないだろうか。芭蕉にとって、佛頂の存在は「偉大」だったのである。
- 『奥の細道』では、那須の黒羽の雲厳寺にあった佛頂の修業跡を訪ねて「啄木鳥も庵は破らず夏木立」と詠み、また、『鹿島詣』ではわざわざ佛頂に会いに行っている。なお、佛頂は、
当時としては長命で、芭蕉没後21年経た正徳5年(1715)12月28日、那須黒羽の雲厳寺で死去した。
佛頂和尚の代表作
梅桜みしも悔しや雪の花
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