(佛頂和尚山居跡 元禄2年4月5日)
竪横の五尺にたらぬ草の庵
むすぶもくやし雨なかりせば*
(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)
木啄も庵は食らはず夏木立
佛頂和尚の歌「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と
芭蕉の「木啄も庵は破らず夏木立」の句を書いた石碑
雲巌寺は今でも手入れの行き届いたたたずまいを見せている。残念ながら佛頂山居の跡は不明だった。
佛頂和尚:(1641〜1715)常陸国鹿島の臨済宗根本寺住職で芭蕉は、1682年頃彼について禅修業をしたらしい。『鹿島詣』で仲秋の月を見に出かけたおりは、根本寺に泊めてもらった。その佛頂は、しばしば雲厳寺に山居して修業していた。芭蕉の尊敬する人物の一人。芭蕉より長生きした。
竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば:5尺にも足りないちっぽけな庵とはいえ、雲水の身には不必要なものだが、雨を凌ぐためには致し方なく作ったものだ、の意。
佛頂和尚山居跡は、一般には撮影等の立ち入りは禁止されていますが、雲厳寺さんのご好意に
より撮影することが出来ました。(牛久市森田武さん提供)
十景尽る所:雲巌寺には寺内に名勝十景(海岩閣・竹林・十梅林・雲龍洞・鉢盂峰<ぼうほう>・水分石・千丈岩・飛雪亭・玲瓏岩)があった。
石上の小 菴岩窟にむすびかけたり:<せきじょうのしょうあんがんくつに・・>と読む。岩の上にある佛頂和尚の座禅修行の小さな庵が岩窟にもたせかけてあった、というのであろう。
妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし:かの高僧たちの修業跡を見るような気分であったという意味。妙禅師も法雲法師も中国の高僧。前者は「死関」という扁額を飾って洞窟の中で修業したと伝えられている。後者は不祥。
とりあへぬ一句を柱に残侍し:<とりあえぬいっくをはしらにのこしはべりし>。即興の一句を柱に書き付けた。
全文翻訳
下野国雲巌寺の奥に、わが参禅の師である仏頂和尚の座禅修行の跡があるという。
竪横の五尺に満たぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭で岩に書いておいた、といつか師から聞いたことがあった。そこで、その山居の跡を見ようと雲巌寺に向けて出発した。人々も誘い合ってやってきた。若い人たちが多く、道々にぎやかに騒ぎながら行ったので、麓までは思いがけず早く到着した。雲巌寺の山内は森々として、谷道はどこまでも続き、松や杉は苔むして濡れ、四月だというのに冷え冷えとする。雲巌寺十景の終わるところに橋があり、それを渡って山門に入った。
さて、山居の跡は何処かと探しながら、後ろの山を登っていくと、小庵が巌にもたれるようにして造ってあった。南宋の高僧妙禅師の死関、法雲法師の石室を見ているような気がしてきた。
木啄も庵はやぶらず夏木立
と即興の句を庵の柱に残してきた。