芭蕉db
(殺生石 元禄2年4月19日)
是より殺生石*に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ*、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと 、
(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)
4月16日、日中好天、夜に雨。16・17日は高久の高久角左衛門方に宿泊。ここで「落ち来るや高久の宿の郭公」を詠んでいる。18日に那須湯本へ。和泉屋五左衛門方へ投宿。終日雨。この朝地震があった。
さて、この日4月19日は久しぶりに五月晴の快晴。正午ごろ温泉神社に参詣。那須与一の宝物などを宮司から見せてもらう。その後、本文にある殺生石を見に行った。夜は、和泉屋五左衛門方へ投宿。
黒磯常念寺境内の句碑(牛久市森田武さん提供)
口付のおのこ:<くちつきのおのこ>。馬子。実際はただの馬子ではなく館代桃雪の御者のようなしっかりした人物ではなかったか? この男に作ってやった「野を横に…」の句が後代まで残っているのがその証拠ではないか。曾良の『旅日記』では、図書家来角左衛門となっている。
殺生石:<せっしょうせき>。ここは、いまの那須温泉湯元。この石の周りには那須岳の火山性 有毒ガスが絶えず発している。殺生石は、玉藻の前の化身とされている。なお、ここでは、「湯をむすぶ誓ひも同じ石清水」、「石の香や夏草赤く露暑し」の2句を詠んでいた 。
真砂の色の見えぬほどかさなり死す:<まさごのいろの・・>地面が見えないほど蜂や蝶の死体が折り重なっていたというのだが、現在はすっかり玉藻の前の毒気も昇華されたか、噴気は無くなっている。
今も硫黄の匂いを振りまく殺生石周辺(那須温泉)
那須温泉の守護神になっている温泉神社。ここに那須与一は必勝を祈願したという。
全文翻訳
黒羽から殺生石に行った。黒羽の城代に馬で送られたのだ。その馬方が、「短冊に一句したためて下せえ」などと思いがけないことを言う。そこで、
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
殺生石は温泉神社のすぐ後ろにあった。石の毒気が未だに残っていて、蜂や蝶などが、土が見えないほど沢山折り重なって死んでいた。