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芭蕉db
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(真蹟自画賛)
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(ちょうしょうの はかもめぐるか はちたたき)
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 元禄2年12月24日。この日、鉢叩きを見ようというので芭蕉は去来亭訪ねた。鉢叩きとは、空也僧が空也上人の命日の
旧暦11月13日から大晦日までの48日間、鉦を鳴らしたり、竹箒で瓢箪を叩きながら、念仏や和讃を唱えながら勧進して回る都の年末の風物詩であった。ところが、この夜はなかなか鉢叩きが現れず、困った去来は、
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箒こせまねてもみせん鉢叩き   (いつを昔) 
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と詠んで師を慰めたという。落柿舎でのことであろう。
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 しかし、二人の期待通り、鉢叩きは夜更けてようやくやって来てことなきを得たのである。この時の句。
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 なお、鉢叩きについては、「納豆切る音しばし待て鉢叩き」、「乾鮭も空也の痩も寒の中」などもある。
また、蕉門関係者には鉢叩きの名句が多く、
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米やらぬわが家はづかし鉢叩き  (湖春)
	おもしろやたゝかぬ時の鉢叩き  (曲翠)
	鉢叩き月雪に名は甚之丞     (越人)
	ことごとく寝覚めはやらじ鉢叩き (其角)
	千鳥なく鴨川こえて鉢叩き    (其角)
	今すこし年寄見たし鉢叩き    (嵐雪)
	ひやうたんは手作なるべし鉢叩き (桃隣)
	旅人の馳走に嬉し鉢叩き     (去来)
などがある。
 
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長嘯の墓もめぐるか鉢叩き
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 長嘯は、豊臣秀吉の正室ねねの甥で小浜城主木下若狭守勝俊のペンネーム。和歌を細川幽斎に学び、関ケ原の合戦後没落した彼は京都東山に隠棲して歌を詠んだ。『挙白集』がその歌集。長嘯の墓は、京都東山高台寺にある。
 長嘯の歌に、「鉢叩き暁方の一声は冬の夜さへも鳴く郭公」がある。