芭蕉db

去来宛書簡

(元禄7年1月29日)

書簡集年表Who'sWho/basho


荷兮集之事*日々に御申越、其仕かた賤敷凡情を顕し候事、御とがめ尤もに被存候*。され共平人の情、常之事に候へば、少も御とんぢゃく被成間敷候。萬世に俳風の一道を建立之時に*、何ぞ小節胸中に可置哉。彼等に似合敷心指にて候。立廻るうちに古く成候て、既三つ物五年七年此方一動の働も見えず候。

一、野坡三つ物御覧可成被一レ申哉*。沾圃三つ物進之候*。中々の出来にて候。善(膳)所正秀一組、扨々肝をつぶし、奇特千万大悦仕事に御座候*。□□長文草臥候間、重而可申進候。 以上
正月廿九日                        はせを
去来様
頃日発句致候

腫物に柳のさはるしなへ哉
(はれものに やなぎのさわる しなえかな)


 新春の江戸から去来宛書簡。前半部を欠く書簡。名古屋の門人荷兮らが、前年11月に『曠野後集』を出版して蕉門に公然と反旗を翻し、その保守的傾向に対して去来が再三再四非難・報告していた模様である。冒頭の一文は、その去来の指摘の正しさを言い、荷兮らの賤しさを非難していて興味深い 。
 また、「腫物」の句は「柳」の位置のことで門人間で論争になったことが『去来抄』に詳しい。
 この日は、他にも「曲水宛書簡」をも書いている。