芭蕉db
(元禄7年1月29日)
年始之貴墨、忝致二拝見一候*。愈御無異、御家内・御子達御息災に御重年之事共、珍重候*。愚夫不レ相替春をむかへ申候*。
当年は武府之俳者、新三つ物共出し候とてさは(わ)ぎのゝしり申候へ共、正秀には我を折申候*。愚句京板*にて御覧可レ被レ成候へ共、
愈御無異、御家内・御子達御息災に御重年之事共、珍重候:<いよいよごぶい、ごかない・おこたちごそくさいにごじゅうねんのことども、ちんちょうにそうろう>と読む。
正秀には我を折申候:正秀は膳所の水田正秀のこと。正秀の三つ物の出来のよさに感服したというのである。他の書簡にも同様の記述がある。
伊勢に知人音づれてたよりうれしきとよみ侍る慈鎮和尚の歌より:慈鎮和尚の歌「このごろは伊勢に知る人音づれてたより色ある花柑子かな」を引用。芭蕉の引用と細部が異なるのは芭蕉の記憶ちがいか、芭蕉持参の『拾玉集』のミスプリントであろう。