- 芭蕉db 
- 水田正秀(孫右衛門)
- みずた まさひで 
- (〜享保8年(1723)8月3日、享年67歳) 
 Who'sWho/ Who'sWho/ 年表/ 年表/ basho basho
 
  -  膳所の「ひさご」連衆の有力門人。伊勢屋主人
	、後には医者になる。通称は孫右衛門。竹青堂・節青堂などの俳号もある。はじめ尚白に師事したが、元禄3年秋に蕉門に入る。
	この直後の芭蕉・去来の三人で行った句会の模様が『去来抄』に去来の後悔として記録されている。正秀は膳所義仲寺における芭蕉の物質的生活のサポーターであった。義仲寺境内の草庵
	「無名庵」は正秀らによる醵金で作られた。
 『炭俵』・『いつを昔』・『孤松』・『猿蓑』などに入句。
   
 
- 水田正秀宛書簡1  (元禄3年7月10日) 
- 水田正秀宛書簡2  (元禄3年9月28日) 
- 水田正秀宛書簡3  (元禄4年1月19日) 
- 水田正秀宛書簡4   (元禄4年5月23日) 
- 水田正秀宛書簡5(元禄4年閏8月10日) 
- 水田正秀宛書簡6   (元禄5年1月23日) 
- 水田正秀宛書簡7  (元禄5年3月21日) 
- 水田正秀宛書簡8                 
    (元禄7年9月25日) 
正秀の代表作
 (『猿蓑』)
  
  日当たりにせせくりなかすうずら哉 (『猿蓑』)
  
  猪に吹かへさるゝともしかな (『猿蓑』)
    
  
  しがらきや茶山しり行夫婦づれ (『猿蓑』)
    
  
  日の岡やこがれて暑き牛の舌 (『猿蓑』)
    
  
  澁糟やからすも喰はず荒畠 (『猿蓑』)
    
  
  月待や海を尻目に夕すヾみ (『猿蓑』)
    
  
  刀さす供もつれたし今朝の春 (『炭俵』)
    
  
  熨斗むくや礒菜すヾしき嶋がまへ (『炭俵』)
    
  
  なぐりても萌たつ世話や春の草 (『續猿蓑』)
    
  
  早蕨や笠とり山の柱うり (『續猿蓑』)
    
  
  春の日や茶の木の中の小室節 (『續猿蓑』)
    
  
  黙禮にこまる凉みや石の上 (『續猿蓑』)
    
  
  実にもとは請て寐冷の暑かな (『續猿蓑』)
    
  
  白雨や中戻りして蝉の聲 (『續猿蓑』)
    
  
  飛入の客に手をうつ月見哉 (『續猿蓑』)
    
  
  火の消て胴にまよふか虫の聲 (『續猿蓑』)
    
  
  打こぼす小豆も市の師走哉 (『續猿蓑』)