芭蕉db

水田正秀宛書簡

(元禄4年1月19日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 御芳簡かたじけなく、しみじみ拝見致し候。御老母様・御内・御むすめ子、御無事の由、めでたく存じ奉り候。拙者持病、暖気にしたがひ少しづつ快気候あひだ、御心安かるべく候。
一、乙州江戸へ立ち候に付き、後のこと御精に入れらるべき旨、乙州かたよりも申し越し、鉄の盾をつき並べ候。拙者も安堵、よろこび尽しがたく候。
一、歌仙さてさて感仕り申し候。かほどまで独働き、大切の風雅、驚き入り申し候。すなはち付墨致し候。さりながら、ここもとも人々とり付き候て、この返事の内も同名が茅屋ほこりの中へ大勢入り込み候て、御報も批判もしみじみならず候。疎なるところどころ、御免なされ下さるべく候。
一、同名かたへ、御手にかけられ候清茶一袋、さかな一種つかはされ、毎々かたじけなく、御厚志尽しがたく候。茶、拙者賞翫致し候。
一、粟津草庵のこと、先づは御深切の至り、かたじけなく存じ候。とかく拙者浮雲無住の境界大望ゆゑ、かくのごとく漂泊致し候あひだ、その心にかなひ候やうに御取り持ち頼み奉り候。必ずとこれにつながれ、心を移し過ぎざるやうのことならば、いかやうとも御指図かたじけなかるべく候。しばらく足のとどまる所は、蜘蛛の網の風の間と存じ候へば、足駄蔵も蔵ならず候。さすがの御仁に申すもくどく候へば、うちまかせ候。
一、風雅このごろ盛りに思し召し候由、もっとも、さこそと存ぜられ候。凡俗の人さへもてあそび候ものを、随分御精御出だしなさるべく候。及肩老へ、右の段御伝へ下さるべく候。一伝仕りたく候。何かと取り重なり候あひだ、先づ先づ早筆申し残し候。以上
   正月十九日            芭蕉
  正 秀 雅 丈
 昌房・探子両士へ御心得、かたじけなかるべく候。
  去歳中御心をかけられ、御懇情の段々は、世上がましく候へば、わざと御礼申し尽さず候。心底には、忘れがたきのみに候。

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 乙州と並ぶ膳所の大津蕉門の重鎮水田孫右衛門宛の書簡。元禄4年正月19日、郷里伊賀上野から宛てたもの。文中、粟津草庵についての記述が出てくるが、これは正秀らがこの頃芭蕉のために義仲寺境内に建築中の草庵のことである。随分簡素にしてくれるよう依頼しているが、清貧家の芭蕉の面目躍如である。