義仲寺無名庵から水田正秀宛に書いた書簡。前夜米2斗を贈られてきたことへの謝礼。また、探子の発句に始まる持ち回り歌仙についても論評しているが、こういう風習が忍ばれるのは興味深い。
定家が力の程を見せんとて、石を五つに打わられ候:定家云々は、昔藤原定家が困窮して困っていた弟に米を5斗送ったところ、京童たちの間に、「定家(さだいえ)が力の程を見せんとて石を二つに割りてこそやれ」という狂歌が流行ったというという。5斗は1石の半分ゆえ、石を二つに割ったと洒落たものである。ここでは、米は2斗だから5分の1石で、石を5つに割ったと洒落たのである。
炭・薪さまざま被レ懸二御意一不レ浅、随分打寄賞翫可レ致候:<すみ・たきぎさまざまぎょいにかけられあさからず、ずいぶんうちよりしょうがんいたすべくそうろう>と読む。さまざまに御心を遣って頂き、衷心よりお礼申し上げなければなりません、の意。
第三御廻し可レ被レ成候:第三句については、書面でつけて欲しいものです、の意。持ち回りの句会を開いていたらしい。第三句とは、「脇」につける575の句のこと。
此柿少堅田より庭前もぎたて到来候間、御くめ殿へ進られ候べく候:堅田の誰か(竹内成秀?)から柿を送ってきたものを多すぎたのであろう、正秀の娘おくめに上げて呉といって転送したようだ。、の意。