この比の垣の結目やはつ時雨 野坡
<このごろの かきのゆいめや はつしぐれ>。垣根の結い目は、シュロ縄で結んでいく。早くも初時雨がやってきて作ったばかりの雪囲い用の垣根の結い目をぬらして過ぎ去った。
しぐれねば又松風の只をかず 北枝
<しぐれねば またまつかぜの ただおかず>。時雨が来ると淋しい。来なければいいと思っていたら時雨は無かったが、かわりに松の風が淋しくないて、初冬の悲しさは避けられないようだ。
一時雨またくづをるゝ日影哉 露沾
<ひとしぐれ またくずおるる ひかげかな>。時雨というと、この時代の文人墨客は大いに有り難がったものだが、この作者は特別で、時雨が来ると折角の冬の日がかげって寒くなるのは気に入らないのである。
初しぐれ小鍋の芋の煮加減 馬見
<はつしぐれ こなべのいもの にえかげん>。小芋というのは煮すぎると崩れてしまう。煮えないと硬くて不味い。その煮え加減は実に難しい。芋の煮付けが旨くできればコックは完成である。その芋煮はちょうど初時雨の通過する短い時間がよいタイミングだ。
平押に五反田くもる時雨かな 野明
<ひらおしに ごたんだくもる しぐれかな>。「平押」とは、一気に押し進むこと。平討ち。ひたおし(『大字林』)。五反田は、五反(1500坪=5アール)もある広い田んぼのこと。時雨がすごい勢いでやってきたかと思うとたちまちにして、五反田を覆い隠してしまった。
柴賣やいでゝしぐれの幾廻り 闇指
<しばうりや いでてしぐれの いくめぐり>。柴売りは薪などの燃料を売り歩く田舎から出てきた女。柴売りよ、お前が出てきた田舎ではそのあと何度も時雨が来たことであろうな。
椀賣も出よ芳野の初時雨 空牙
<わんうりも いでよよしのの はるしぐれ>。「芳野(吉野)」の「椀売」は、吉野地方が漆器の産地であったこと、その山家の者たちが家内工業で産した漆器類を行商して歩いた。ちょうど山中で初時雨に遭遇したが、ここで椀売りに会えたら、彼のひがさで雨宿りができるのだがなぁ。
穴熊の出ては引込時雨かな 為有
<あなぐまの でてはひっこむ しぐれかな>。穴に棲む熊が、降っては去り、去ってはやって来る時雨に翻弄されて穴から出たり入ったりしていることだろう。
更る夜や鏡にうつる一しぐれ 鶏口
<ふくるよや かがみにうつる ひとしぐれ>。夜更けて時雨が通る。その時雨の白い雨すじが鏡に映る。色町での夜更けか???作者の谷口鶏口<けいこう>は江戸の人。
石に置て香炉をぬらす時雨哉 野萩
<いしにおきて こうろwぬらす しぐれかな>。庭石の上に置き忘れた香炉に時雨が通り過ぎていったために灰が水びたしになってしまった。
柿包む日和もなしやむら時雨 露川
<かきつつむ ひよりもなしや むらしぐれ>。枯露柿を作る季節の冬の日、ひっきりなしに時雨がやって来て柿を干す日和が無い。「柿包む」というのは、生乾燥した干し柿をワラに包んで保存することか。
高みよりしぐれて里は寐時分 里圃
<たかみより しぐれてさとは ねるじぶん>。高い山から順次、時雨はふもとに向かって下りていく。その時雨が人里に着く頃には人々は寝支度の時刻だろう。
浮雲をそなたの空にをきにしの
日影よりこそあめになりけり
沖西の朝日くり出す時雨かな 沾圃
<おきにしの あさひくりだす しぐれかな>。「沖西」は、南西の風で、一句はこの風が時雨を押しやってしまって、かわって朝日がさん然と出てきた。他方、前詞の和歌は、雲を沖西の風が運んでいったので、沖の西の方に日影が移り雨になってしまった、というのだが、それは話がおかしいのであって、こうあるべきだという句。前詞の和歌のの作者は不詳。理屈っぽくて面白くない句。
はつ霜や犬の土かく爪の跡 北鯤
<はつしもや いぬのつちかく つめのあと>。初霜が降りた。犬は何時ものように土を引掻く。その爪の跡は何時もは目に入ることも無いのだが、今朝は黒くくっきりと強い線となって残っている。
ひとつばや一葉一葉の今朝の霜 支考
<ひとつばや ひとはひとはの けさのしも>。ヒトツバの葉の上に霜が降りた。もともとヒトツハというぐらいで、一葉にみえるヒトツハのこと、この季節でもヒトツハであって、一葉一葉に霜が積っている。
元禄辛酉之初冬九月素堂菊園之遊
重陽の宴を神無月のけふにまうけ侍る事は、そ
の比は花いまだめぐみもやらず、菊花ひらく時
即重陽といへるこゝろにより、かつは展重陽の
ためしなきにしもあらねば、なを秋菊を詠じて
人々をすゝめられける事になりぬ
菊の香や庭に切たる履の底 芭蕉
柚の色や起あがりたる菊の露 其角
<ゆのいろや おきあがりたる きくのつゆ>。朝露に下を向いていた菊の花が、朝日に応じて起き上がると、日の光を受けて深い黄色の柚の色になっている。
菊の気味ふかき境や藪の中 桃隣
<きくのきみ ふかきさかいや やぶのなか>。菊の花の精の落ち着いた深い雰囲気があたりに一面に漂って、薮の中に素晴らしい境地を作り出している。
八専の雨やあつまる菊の露 沾圃
<はっせんの あめやあつまる きくのつゆ>。「八専」とは、陰陽道で、壬子(みずのえね)の日から癸亥(みずのとい)の日までの一二日のうち、丑(うし)・辰(たつ)・午(うま)・戌(いぬ)の日を除いた八日。一年に六度ある。棟上げに吉、結婚・畜類の売買・神仏のことを忌む日という(『大字林』)。この時期は雨が多くその雨を集めて、菊の露はできているのだ。
何魚のかざしに置ん菊の枝 曾良
<なにうおの かざしにおかん きくのえだ>。菊の花、ここでは食用菊のことだが、それをどの種類の魚の刺身にかざそうかというのである。
菊畠客も圓座をにじりけり 馬見
<きくばたけ きゃくもえんざを にじりけり>。「円座」は、わら・藺(い)・菅(すげ)などの植物の茎を、渦巻のかたちに円く平らに編んでつくった敷物。すわる時に敷く。わろうだ(『大字林』)。美しい菊畠に観賞に招かれた客。あまりの美しさに円座からにじり降りて、客だから決められた場所に座っていなくては失礼なのだが、菊に少しでも近づこうとしたのである。
柴桑の陰士*、無絃の琴を翫しをおもふに*、菊も
輪の大ならん事をむさぼり、造化もうばふに及
ばじ*。今その菊をまなびて、をのづからなるを
愛すといへ共、家に菊ありて琴なし*。
かけたるにあらずやとて、人見竹洞老人*、素琴*
を送られしより、是を朝にして、あるは聲なき
に聴き、あるは風にしらべあはせて、自ほこりぬ*
うるしせぬ琴や作らぬ菊の友 素堂
<うるしせぬ ことやつくらぬ きくのとも>。装飾の無い素琴同様、我が家の菊は人工の手を加えていない原種そのもの。この二つの組み合わせ、これがよいのだ。
水仙や練塀われし日の透間 曲翠
<すいせんや ねりべいわれし ひのすきま>。「練塀」は、土で作った塀のこと。武家屋敷などに使われた。その塀の割れ目があってそこから冬の日が漏れている。そこに水仙の花が咲いている。曲水の傑作のひとつ。
なを清く咲や葉がちの水仙花 氷固
<なおきよく さくやはがちの すいせんか>。「葉がち」は、葉のまさる水仙だろうが、葉が多くて花が少ないという意味か。作者はそういう水仙が好みだそうである。
水仙の花のみだれや藪屋しき 維然
<すいせんの はなのみだれや やぶやしき>。荒れ果てた薮。そこに一群の水仙が群落を作っている。ここはその昔誰かの屋敷跡で、この水仙花はその主人が楽しんだ花なのだろう。
笵蠡が趙南のこゝろをいへる
山家集の題に習ふ
一露もこぼさぬ菊の氷かな 芭蕉
山茶花は元より開く帰り花 車庸
<さざんかは もとよりひらく かえりばな>。「帰り花」とは、初冬の小春日和に咲く季節はずれの花。返り咲きの花(『大字林』)。山茶花は春の椿の返り咲きのように見えるが、そうではなくて元来が小春日和に咲く花なのだ、という花の定義を述べたような句。
冬梅のひとつふたつや鳥の聲 土芳
<ふゆうめの ひとつふたつや とりのこえ>。寒梅が一輪二輪咲き始めた。かすかな声で鳥も鳴いている。しかし本格的な春はまだ先のこと。この梅が満開の頃には鳥の鳴声ももっと豊かなものになる。
山茶花も落てや雪の散椿 露笠
<さざんかも おちてやゆきの ちるつばき>。雪の上に椿の花が散っている。これは寒椿のもので、初冬の山茶花の花はもうとっくに散ってしまったはずだ。露笠<ろりつ>について不明。
おもひなし木の葉ちる夜や星の数 沾徳
<おもいなし このはちるよや ほしのかず>。「おもひなし」は、思いなしか、の意。気のせいだろうが、今夜のようにしきりと木の葉の落ちる寒い冬の夜は、星の数が多いように思われる。
星さへて江の鮒ひらむ落葉哉 露沾
<ほしさえて えのふなひらむ おちばかな>。「ひらむ」は、平たくする、というような意味。星の冴える厳しい寒さの冬の夜は、落ち葉がしきりに落ちて沈んでいく。池の底でじっと眠っている鮒たちを埋めてしまおうというのであろうか。
冬川や木の葉は黒き岩の間 維然
<ふゆかわや このははくろき いわのあい>。すっかり水かさの少なくなった冬の川。秋に落ちた落ち葉は岩間にはさまって黒く腐敗してすんだ水中に黒々と見える。
麓より足ざはりよき木の葉哉 枳風
<ふもとより あしざわりよき このはかな>。奥山の落ち葉は麓の落ち葉より足触りがよい。それは針葉樹が多くなるからなのか?枳風<きふう>は江戸の人。
本柳坊宗比の庵をたづねて
はいるより先取てみる落葉哉 イセ一道
<はいるより まずとりてみる おちばかな>。「元柳坊宗比<ほんりゅうぼうそうひ>」については未詳。この人の庵を冬に訪ねるときには、庵に入るとすぐに室内にまで入り込んだ落ち葉を拾うほどなのだ。一道<いちどう>は伊勢の人。
枯はてゝ霜にはぢづやをみなへし 杉風
<かれはてて しもにはじずや おみなえし>。女郎花よ、頭に白い霜をかぶって枯れ果てて、恥ずかしくないのか?
牛の行道は枯野のはじめかな 桃醉
<うしのゆく みちはかれのの はじめかな>。冬の枯れ草を求めて牛と童が歩いていく。歩いていく先は冬枯れの野だろう。だから、今その場所が枯野の入り口だ。理屈っぽい句。桃酔<とうすい>については未詳。
冬枯に去年きて見たる友もなし 乃龍
<ふゆがれに こぞきてみたる とももなし>。冬枯れの景色を一緒に見た友は今居ない。ただ、去年と同じ光量とした枯野の景色が再び広がっている。
草枯に手うつてたゝぬ鴫もあり 利牛
<くさがれに てうつってたたぬ しぎもあり>。「鴫<しぎ>」は、チドリ目シギ科とその近縁の科の鳥の総称。一般に、長いくちばしと脚をもつ。水辺にすみ、小魚・甲殻類・ゴカイ類・昆虫などを食べる。長距離の渡りを行うものが多く、日本では春・秋に旅鳥として通過する種が大部分である(『大字林』)。つまり鴫は、秋には南に渡る。枯れ草の中に居る鴫は渡りをしなかったもの。これが鈍くて音をたてて脅しても逃げないというのである。
野は枯てのばす物なし鶴の首 支考
<のはかれて のばすものなし つるのくび>。冬枯れた野に居る鶴の首がにょきっと飛び出している。さえぎるものの無い冬の野のこと、鶴にとっては首を伸ばさなくても何もかも見えるであろう。
木がらしや色にも見えず散もせず 智月
<こがらしや いろにもみえず ちりもせず>。木枯らしは、目にも見えずにいながら、枯葉を落としていく。しかも自分は落ちたわけじゃない。すごい力だ。
凩や背中吹るゝ牛の聲 風斤
<こがらしや せなかふかるる うしのこえ>。木枯らしが背中から吹いている。牛はその風に呼応するように声を張り上げて啼く。古来、牛は追い風を好むと言われているので、背中を押す風は歓迎なのであろう。風斤<ふうきん>については不明。
木枯や刈田の畔の鐵氣水 維然
<こがらしや かりたのくろの かなけみず>。「鐵気水」は、鉄の錆びた匂いのする水で、実際鉄分を含む。茶に注ぐと紫色に変色する。刈跡の田んぼには地中から染み出してくる水があってそれがしばしば真っ赤になっている。あれは鉄気の水である。
こがらしや藁まきちらす牛の角 塵生
<こがらしや わらまきちらす うしのつの>。冬の寒さ対策に牛の角にワラ帽子をかぶせてやる。それが北風にあおられて周囲に飛び散る。
恵比須講鶩も鴨に成にけり 利合
<えびすこう あひるもかもに なりにけり>。恵比須講は商人の祭。この時の会食には、卓上のものに値をつけて遊ぶ風習があったという。そこで出されたアヒル料理にふざけて鴨の高い値をつけて興じたというのである。
のとの海をみて
塵濱にたゝぬ日もなし浦鵆 句空
<ちりはまに たたぬひもなし うらちどり>。「浦衛<うらちどり>」とは、浜辺の千鳥のこと。「塵浜」は、石川県羽咋市の千里浜。冬の季節にはここには毎日千鳥がやってくる。塵が舞い上がるように。
追かけて雹にころぶ千鳥かな 蔦雫
<おいかけて あられにころぶ ちどりかな>。浜辺に霰が降ってきた。それを追うように千鳥が駆けていくとき、転げて倒れた。多分うそだろうけど?
小夜ちどり庚申まちの舟屋形 丈草
<さよちどり こうしんまちの ふなやかた>。「庚申まち」とは、庚申の日に、仏家では帝釈天(たいしやくてん)・青面金剛(しようめんこんごう)を、神道では猿田彦を祀(まつ)って徹夜をする行事。この夜眠ると体内にいる三尸(さんし)の虫が抜け出て天帝に罪過を告げ、早死にさせるという道教の説によるといわれる。日本では平安時代以降、陰陽師によって広まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜を明かした。庚申。庚申会。おさるまち。さるまち(『大字林』)。
庚申待ちの夜、一晩川舟の中で夜を明かしたのだが、夜中千鳥の声を聞かされた。その声の寂しさは耐え難いのだ。
入海や碇の筌に啼千鳥 闇指
<いりうみや いかりのうけに なくちどり>。「入海」は入江のこと。ここの「碇<いかり>」は定置された錨のことで、一定の場所の海底に置かれている重しである。その在り処を示すのが「筌<うけ>」。この筌に千鳥がとまって啼いている。
たつ鴨を犬追かくるつゝみかな 乍木
<たつかもを いぬおいかくる つつみかな>。犬だって鴨を捕まえられないくらいのことは分かっているのだが、立場上追ってみるのか、運動のためか。。。原田乍木<さくぼく>は伊賀上野の人。
くむ汐にころび入べき生海鼠かな 亡人利雪
<くむしおに ころぶいるべき なまこかな>。塩田で汲み込む海水に一緒に海鼠も汲み上げられそうなものだが。。。
うかうかと海月に交るなまこ哉 車庸
<うかうかと くらげにまじる なまこかな>。浜にクラゲと一緒にナマコが打ち上げられている。ナマコは海底に、クラゲは浮遊しているのだから、一緒に捕獲されるわけはないのに。よほどナマコの馬鹿は、うかうかしていたのであろう。
見へ透や子持ひらめのうす氷 岱水
<みえすくや こもちひらめの うすごおり>。薄氷の付着したヒラメの胎には卵が有るのが透けて見える。
一塩にはつ白魚や雪の前 杉風
<ひとしおに はつしらうおや ゆきのまえ>。雪の季節を前にして初白魚の水揚げだ。これに一塩をふって頂くのだ。白魚漁は冬から初春にかけて行われる。江戸では佃島付近が漁場だ。
かくぶつや腹をならべて降霰 拙侯
杜夫魚は河豚の大さにて水上に浮ぶ、越の川に
のみあるうをなり。
<かくぶつや はらをならべて ふるあられ>。「かくぶつ<杜父魚>」とは、魚のカマキリの異名(『大字林』)。鰍の仲間で、霰が降ると腹を上にして水面に浮く癖がある。
喰ものや門賣ありく冬の月 里圃
<くいものや かどうりありく ふゆのつき>。何か食べ物を売る物売りが門の外で声を張り上げている。外は冷たい冬の月が出ているはずだ。作者はその声に関心はあるが、寒さの中に出て行く元気はないようだ。
あら猫のかけ出す軒や冬の月 丈草
<あらねこの かけだすのきや ふゆのつき>。丸々太った勇猛そうな猫。飼い猫なのかノラなのか?冬の寒々しい月の中、軒の下を走り去ってゆく。
何事も寐入るまでなり紙ぶすま 小春
<なにごとも にるまでなり かみぶすま>。紙子は寝具ではあるが、その保温性能は低い。それでも眠ってしまえば寒さを感じなくなるか。
水仙や門を出れば江の月夜 支考
<すいせんや かどをいずれば えのつきよ>。客を送って水仙の咲く門に出た。門外には川が流れていて、そこに冬の月が写っている。
埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉
侘しさは夜着を懸たる火燵かな 少年桃先
<わびしさは よぎをかけたる こたつかな>。コタツに夜着が懸けられている。貧乏ったらしくて情けない。大田桃先<とうせん>は白雪の息子。
自由さや月を追行置炬燵 洞木
<じゆうさや つきをおいゆく おきごたつ>。置炬燵の便利さは何と言っても移動が可能ということだ。冬の月見をしようたって寒くてはかなわない。そこでこの置炬燵の登場だ。これさえあれば窓辺まで持っていって暖かくしながら月見ができる。
初雪や門に橋あり夕間暮 其角
<はつゆきや かどにはしあり ゆうまぐれ>。初雪が降ってきた。我が家の門にかかる橋の上にもうっすらと真っ白な雪。夕闇の中に橋が浮かんで見える。そこを最初に渡って初雪の挨拶に誰がきてくることだろう。
朝ごみや月雪うすき酒の味 仝
<あさごみや つきゆきうすき さけのあじ>。「朝ごみ」は、朝っぱらに遊里に繰り出すこと。それも月がいいとか、雪が降ったからとかいうのじゃないので、何とも酒も美味くはないのだが。。。
雪あられ心のかはる寒さ哉 夕菊
<ゆきあられ こころのかわる さむさかな>。雪も霰も同じようなものだが、両者で寒さの心というか質というか、寒さの性質がちがうような気がする。
鷦鷯家はとぎるゝはだれ雪 祐甫
<みそさざい いえはとぎるる はだれゆき>。「はだれ雪」は、まだらに降った雪。ミソサザイは寒さに弱い鳥。それが村はずれのはだれ雪の中に居る。大丈夫か??
雪垣やしらぬ人には霜のたて 蔦雫
<ゆきがきや しらぬひとには しものたて>。「霜のたて<経>」は、霜が山野を紅葉にすることをいう歌語。「雪垣」は雪国で家の周囲に囲う雪害をさける囲い。「霜のたて」などという難しい言葉を知らない人は、雪垣を見て、これを霜のたてだと思うかも??
ふたつ子も草鞋を出すやけふの雪 支考
<ふたつごも わらじをだすや きょうのゆき>。幼子が雪の戸外に出たがる。余りの大雪に草履では無理と見たか、わらじを出してきた。
片壁や雪降かゝるすさ俵 圃吟
<かたかべや ゆきふりかかる すさだわら>。「すさ」とは、壁の補強、亀裂防止などのために、壁土に混ぜ込む藁屑(わらくず)・糸屑など。壁すさ。すさ藁(『大字林』)。すさ俵は、そのスサの原料となる俵のこと。片方の壁しか出来ていない工事場に雪が吹き付けている。壁塗り用のすさを作るための俵が転がっている。そこにも雪が吹き付ける。
圃吟<ほぎん>は不明。
思はずの雪見や日枝の前後 丈草
<おもわずの ゆきみやひえの まえうしろ>。大津に住む私は、普段近江側から比叡山を見ている。思いがけず京都に出てくる用事が出来た。そのために雪の比叡山のこちらと向こうと両方を眺めることが出来た。
髪剃は降來る雪か比良のたけ 陽和
<かみそりは ふりくるゆきか ひらのたけ>。「比良のたけ」は、滋賀県中西部、琵琶湖西岸にある山地。武奈ヶ岳(海抜1214メートル)を主峰とし、打見山・蓬莱山などを含む。狭義には蓬莱山をいう。近江八景の「比良の暮雪」で知られる。ひらのやま(『大字林』)。比良岳の頂に雪が積もると僧形になっていく。さしずめ降る雪が髪を剃る剃刀の役目を果たしていることになる。
伊賀大和かさなる山や雪の花 配力
<いがやまと かさなるやまや ゆきのはな>。伊賀や大和の連山に雪が降って、まるで雪でできた八重の花のように見える。
夜神楽に歯も喰しめぬ寒哉 史邦
<よかぐらに はもくいしめぬ さむさかな>。里神楽で、初冬に行われる。その夜更けての寒さは大変なもの。歯を食いしばって我慢していたが、とても耐えられぬ。
食時やかならず下手の鉢扣 路草
<めしどきや かならずへたの はちたたき>。「鉢たたき」とは、中世に広まった念仏信仰の一。また、その宗教者。空也を祖と仰ぐ。鉦(かね)や瓢箪(ひようたん)を叩き、念仏や和讃を唱え、念仏踊りを行なって、布施を求めた(『大字林』)。夕飯時ともなると毎日のように鉢たたきが来る。来るのはいいが、それがへたくそなのには閉口する。
久保倉露草<くぼくらろそう>は、伊勢の人。
鉢たゝき干鮭賣をすゝめけり 馬見
<はちたたき からざけうりを すすめけり>。「すすめけり」は、ここでは勧進を奨めているのである。つまり、幾許かの喜捨を求めているのだ。鮭を売るのは殺生だから、寄付をしたら罪が一等値下げされるというのであろう。
娵入の門も過けり鉢たゝき 許六
<よめいりの かどもすぎけり はちたたき>。今宵結婚式をひかえた家の門前を鉢たたきが通っていく。明々と燃える松明の灯の前を横切って。
狼を送りかへすか鉢たゝき 沾圃
<おおかみを おくりかえすか はちたたき>。よしんば狼が鉢たたきの跡をつけて歩いていようとも、その信仰におそれをなして退散することであろう。
煤はきや鼠追込黄楊の中 残香
<すすはきや ねずみおいこむ つげのなか>。「黄楊<つげ>」は、イヌツゲのこと。庭木などに多用される。常緑の小さな照り葉の低木。年末のすすはきをしていたらネズミが飛び出して、外に逃げて、黄楊の薮の中に入ってしまった。
煤掃やあたまにかぶるみなと紙 黄逸
<すすはきや あたまにかぶる みなとがみ>。「みなとがみ」は、和泉国(現在の大阪府)湊村で創製された粗製の鳥の子紙。壁の腰張りなどに用いる(『大字林』)。大掃除に交換のために腰張りから破ったみなとがみを、埃よけに頭に巻いて働く。
作者黄逸は、近江彦根の人。
才覚な隣のかゝや煤見舞 馬見
<さいかくな となりのかかや すすみまい>。隣の女房は実にホスピタリティのよい女だ。今日も今日とて当家で煤はきをしていると、何か手伝うことはありますかと尋ねてきた。
煤はきやわすれて出る鉢ひらき ミノァ如
<すすはきや わすれていづる はちひらき>。「鉢ひらき」は、托鉢の乞食僧。乞食僧が、世間では煤掃きで忙しいさいちゅだというのに、うっかり暮れの街にでてきて托鉢などしている。何ともうるさい坊主だ。
作者ァ如は美濃の人。
煤掃や折敷一枚踏くだく 維然
<すすはきや おしきいちまい ふみくだく>。「折敷<おしき>」とは、「へぎ<片木>」を折り曲げて縁とした角盆、または隅切り盆。足を付けたものもある。近世以降、食膳としても用いる(『大字林』)。大掃除をしていたらついうっかり折敷を踏んづけて割ってしまった。
餅つきや火をかいて行男部屋 岱水
<もちつきや ひわおかいてゆく おとこべや>。「男部屋」は、下男たちの起居する部屋のこと。餅つきの朝は、早朝からの作業で暗いうちから起きるので、行燈の火を明るくして働く準備をする。火を焚きつけていくのは女中たちだろう。
餅つきやあがりかねたる鶏のとや 嵐蘭
<もちつきや あがりかねたる とりのとや>。「とや」は、鳥屋で鶏の止り木、つまり巣である。餅つき音がうるさくて鶏は止り木にとまれないでいる。なぜなら鶏は庶民の家では土間にあったので、そこで餅を搗いているからなのだ。
もち搗の手傅ひするや小山伏 馬佛
<もちつきの てつだいするや こやまぶし>。「小山伏」とは、山伏の弟子のこと。師匠の山伏が世話になっている檀家の餅つきにいくのに弟子も付いていく。作者馬仏<ばぶつ>は彦根藩の武士。
こねかへす道も師走の市のさま 曾良
<こねかえす みちもしわすの いちのさま>。霜柱が溶けて泥だらけの道。師走ともなると人通りも多くますますもってぐちゃぐちゃ。この惨状こそ如何にも師走の気分を盛り上げるのである。
門砂やまきてしはすの洗ひ髪 里東
<かどすなや まきてしわすの あらいがみ>。「門砂」は、自分の家の前の道に撒く泥濘防止の撒き砂のこと。この時代、江戸では市民の義務だったのである。まして正月ともなれば、撒き砂をしてそこを掃き清めてようやく自分の髪の手入れにうつれたのである。
賣石やとてつもいなず年の暮 草士
<うりいしや とってもいなず としのくれ>。作者は庭石を売ったのだが、買い手の方は年末になっても取に来ない。おかげで気分がかたつかないので困ってしまう。草士<そうし>は、近江の人。無限とも。
猿も木にのぼりすますやとしの暮 車来
<さるもきに のぼりすますや としのくれ>。人間さまは年の暮の忙しさにあくせくしているのだが、我が家のサルの奴、のんきに木に登って下を睥睨している。
大年や親子たはらの指荷ひ 万乎
<おおどしや おやこたわらの さしにない>。「指荷い」は、「差し荷い」とも。棒などを使って二人で一つの物をかつぐこと。差し合わせ(『大字林』)。いよいよ迫った大晦日。親子で俵を荷っていく。何がどうしたのか???
袴きぬ聟入もありとしの昏 李由
<はかまきぬ むこいりもあり としのくれ>。年の暮の慌しさにまぎれて婿入りを済ませてしまおうという魂胆だろう。花婿が袴を着ないで、結婚式をやっている。
年の市誰を呼らん羽織どの 其角
<としのいち たれをよぶらん はおりどの>。羽織をちゃんと着た金持ちらしき紳士。供にはぐれたか大声で人を呼んでいるが、忙しい年末の街のこと、誰も気をとめてくれない。お気の毒さま。
打こぼす小豆も市の師走哉 正秀
<うちこぼす あずきもいちの しわすかな>。アズキが大量にこぼれている。こんな光景も年の暮ならではの光景なのだ。
引結ぶ一つぶ銀やとしの暮 荻子
<ひきむすぶ ひとつぶぎんや としのくれ>。「一つぶ銀」は、江戸時代に通用した秤量銀貨。秤量は五匁前後で、丁銀の切り遣いを避けるための補助貨幣として使用。小粒。小玉銀。豆板銀(『大字林』)。歳末の忙しさを避けるために商人は予め豆板銀を秤量しておいて、それを紙に包んで用意しておいたのである。
桶の輪のひとつあたらし年のくれ 猿雖
<おけのわの ひとつあたらし としのくれ>。桶の輪の一本が新しくなっている。これも新しい歳を迎える歳末の準備なのだろう。
天鵞毛のさいふさがして年の暮 維然
<びろうどの さいふさがして としのくれ>。ビロードの財布が見当たらないというので、家中大騒ぎをして探したがなかなか見つからない。最後に見つかったのだが、おかげで年末の忙しい中をこれだけで終わってしまった。
濱荻に筆を結せてとしの暮
此句は圖司呂丸が羽ぐろより京にのぼるとて、
伊勢にまうで侍りければ、そのとしの暮かゝ
る事もいひ残して、今はなき人となりし。
<はまおぎに ふでをゆわせて としのくれ>。「濱荻」は、芦のこと。蘆で筆の軸としたというのである。軽くて使い良かったであろう。山形羽黒の呂丸が伊勢によって、名物の蘆で筆を作ったといって喜んでいたのは、去年の年の暮のことだが、今は居ない。
余所に寐てどんすの夜着のとし忘 支考
<よそにねて どんすのよぎの としわすれ>。「どんす」は、繻子(しゆす)織りの一。経(たて)繻子の地にその裏組織の緯(よこ)繻子で文様を表した光沢のある絹織物。室町中期、中国から渡来(『大字林』)。つまり高級品。年末だというのに、俳諧でお邪魔した家に泊めてもらうことになったが、だされた夜具が緞子。ありがたいことで安眠できた。
漸に寐所出來ぬ年の中 土芳
<ようやくに ねどころできぬ としのうち>。大掃除で家の中はごった返して、寝る所も無い様だったが、ようやく片付いて、年の内に寝所を確保できたのはありがたい。
節季候や弱りて帰る藪の中 土芳
<せきぞろや よわりてかえる やぶのなか>。節季候は元祖ホームレス。暮の街に出てきて物乞いをして帰る場所といったら薮の中なのだ。
節季候の拍子をぬかす明屋哉 少年桃後
<せきぞろの ひょうしをぬかす あきやかな>。節季候たちが物乞いに踊りを見せようと入った家は実は明き家だったので拍子抜けしていることだ。桃後<とうご>は、白雪の息子。
裁屑は末の子がもつきぬ配 山蜂
<たちくずはすえのこがもつ きぬくばり>。「裁ち屑」は、裁縫をした後の切れはし。子供たちに年の暮には着物を新調して与えるのだが、末の子は小さくて裁ち切れをもらって喜んでいる。
一しきり啼て静けし除夜の鶏 利合
<ひとしきり なきてしずけし じょやのとり>。鶏は夜中に啼くもの。大晦日の夜中に啼くのを除夜の鶏という。しかしまだ暗いので、ひとしきり啼いた後、再び静まり返る。
小屏風に茶を挽かゝる寒さ哉 斜嶺
<こびょうぶに ちゃをひきかかる さむさかな>。茶席の小屏風の陰で抹茶を挽く。しずかに落ち着いて挽く。そこに静かに寒さが忍び寄ってくる。
植竹に河風さむし道の端 土芳
<うえたけに かわかぜさむし みちのはた>。川に沿って植えてある防風用か洪水防止用か竹薮がある。その竹薮を通って冬の風が吹いてくる。何とも寒い。
井の水のあたゝかになる寒哉 李下
<いのみずの あたたかになる さむさかな>。他の季節なら冷たいと感ずる井戸の水が冬のこの季節にはとても温かく感ずることだ。
寒聲や山伏村の長つゝみ 仙杖
<かんごえや やまぶしむらの ながつつみ>。「寒聲」は、山伏の中で声を出す者が発声の訓練を寒中に行うこと。この村は山伏が多い。長い堤上で大声を出して訓練している若者が居る。
霜ばしらをのがあげしや土龍 圃仙
<しもばしら おのがあげしや うごろもち>。霜柱が立って土が盛り上がっているが、モグラよお前が持ち上げたのではあるまいね? 圃仙<ほせん>については未詳。
火燵より寝に行時は夜半哉 雪芝
<こたつより ねにゆくときは やはんかな>。寒いのでぐずぐずとコタツにもぐっていて、布団に寝に行くときには夜半。
山陰や猿が尻抓く冬日向 コ谷
<やまかげや さるがしりかく ふゆひなた>。山陰の木の上に猿がたむろしている。そこに日が当たって、ちょっとした陽だまりになっている。猿達は所在無いのでお尻を掻いているだけだ。作者コ谷<ここく>については詳細不詳。
俎板に人参の根の寒さ哉 沾圃
<まないたに にんじんのねの さむさかな>。まな板の上に人参が乗っている。寒い流しの水に濡れた細い根が一層寒さを増幅する。
菊刈や冬たく薪の置所 杉風
<きくかるや ふゆたくまきの おきどころ>。秋には菊を植えて楽しんだ場所。今は枯れた菊だけが立っている。そこに薪を積むために枯れた菊を刈り取る。