芭蕉db

内藤丈草

ないとう じょうそう

(寛文2年(1662)〜元禄17年(1704.2.24))

Who'sWho/年表basho


 尾張犬山藩士内藤源左衛門の長子として生まれる。幼くして母に死別し、継母に はたくさんの子供が産まれ、丈草に注がれるべき両親の愛情は薄かった。このトラウマは、丈草の生涯つきまとうこととなる。
 そもそも、内藤源左衛門は、元来は越前福井の貧乏武士だったのだが、源左衛門の妹、丈草の叔母が犬山藩江戸屋敷に奉公中に藩主成瀬正虎のお手がついて一子をもうけ、この縁で、特に功も無いまま犬山藩に取り立てられたものである。このタナボタ的幸運は長続きせず、藩主の代替わりと叔母・松壽院の死によって瓦解する。丈草の従兄弟に当たる松壽院の一子直龍は尾張徳川家に養子に出されたが狂疾を口実に蟄居させられ失脚するに及んで内藤家も没落。丈草は、この直龍に仕えていたので、この悲劇をまともに受けることになった。こういう度重なる不運に人生のはかなさを知った丈草は、武士を捨てて遁世、近江松本に棲む。 蕉門には元禄2年、元犬山藩士でもあった仙洞御所に勤める史邦を通じて去来経由で入門ぃたものと思われる。 後に、膳所義仲寺境内の無名庵に住み、芭蕉の近江滞在中は芭蕉の身辺で充実した時間を過ごした。『初蝉』・『有磯海』などに入集。
 詩禅一致の道をひたむきに求めながらも、芭蕉の死 後、自らの死までの10年間をひたすら師の追善に生涯を捧げ て世を去った。享年43歳。

丈草の代表作