猿蓑脚注

猿蓑集 巻之四


 
  猿蓑集 巻之四
 
 
   春
 

梅咲て人の怒の悔もあり       露沾
<うめさきて ひとのいかりの くいもあり>。汚れの無い真っ白な梅の花が咲いた。それを見ていると、人に怒りをもったことなどもある自分にしみじみと悔いが湧いてくる。露沾の反省か、諦めか?

上臈の山荘にましましけるに候し奉
りて
梅が香や山路狩入ル犬のまね      去来
<うめがかや やまじかりいる いぬのまね>。前詞の上臈は不明だが、身分の高い人(摂関家?)が山荘に滞在しているところへ訪問しての句。まるで梅のかすかな香が匂いたつような上臈の人にお仕えしていると、なんだか自分が匂いを辿って山へ狩に入る犬のような気分になってくる。

むめが香や分入里は牛の角     加賀句空
<むめがかや わけいるさとは うしのつの>。芭蕉の句には「早稲の香や分け入る右は有磯海」があるが、梅の香の中に分け入ってみると、そこには天神様に連れられた牛が居ることであろう。。

庭興
梅が香や砂利しき流す谷の奥     土芳
<うめがかや じゃりしきながす たにのおく>。枯山水の砂利の川を敷き詰めたら、山奥の方から梅の香が下りて来た。

はつ蝶や骨なき身にも梅の花     半残
<はつちょうや ほねなきみにも うめのはな>。「はつ蝶」は羽化したばかりの蝶のこと。羽化したばかりの軟体の蝶にも梅の花の香りは分かるのだ。「たづねくるはかなき羽にもにほふらむ軒端の梅の花の初蝶」(「夫木和歌抄」)をパロディー化した句。

梅が香や酒のかよひのあたらしき   膳所蝉鼠
<うめがかや さけのかよいの あたらしき>。「かよひ」は、通い帳のこと。酒屋など売り手が買い手に発行する売り掛け帳面。梅の香の匂う新春で酒屋の真新しい通い帳が配られたが未だ何も書き込まれていない。新鮮な気分になることだ。蝉鼠は膳所の人。詳細不詳。

むめの木や此一筋を蕗のたう     其角
<むめのきや このひとすじを ふきのとう>。この句は、『俳諧勧進牒』の露沾亭で開かれた正月二九日月次興行<つきなみこうぎょう>の追加句として掲出。梅木に梅の花。その下の径にはフキノトウ。露沾の風流への共感か?

子良の後に梅有といへば
御子良子の一もと床し梅の花     芭蕉

痩藪や作りたふれの梅の花      千那
<やせやぶや つくりたおれの うめのはな>。痩せ薮に貧家。そこに貧相な梅の花。そのまま俳諧の図。

灰捨て白梅うるむ垣ねかな      凡兆
<はいすてて しらうめうるむ かきねかな>。「うるむ」は情景が不鮮明になること。垣根に灰を撒いたらそれがぱっと立ち上って白梅の像がうるんだようになった。

日當りの梅咲ころや屑牛房     膳所支幽
<ひあたりの うめさくころや くづごぼう>。「屑牛房」とは、不揃いなゴボウのこと。日当たりのよい場所の梅が咲き始める時分になると、昨秋活けておいたゴボウも余すところ屑ばかりとなっている。

暗香浮動月黄昏
入相の梅になり込ひゞきかな     風麥
<いりあいの うめになりこむ ひびきかな>。前詞の「暗香浮動月黄昏」は、林和靖の詩で「あんこうふどうしてつきたそがれなり」とよむ。一句の動機。黄昏の晩鐘の音は、梅園の梅の香の中を伝わって響く。

武江におもむく旅亭の残夢
寝ぐるしき窓の細目や闇の梅     
<ねぐるしき まどのほそめや やみのうめ>。芭蕉の餞別句「梅若菜鞠子の宿のとろろ汁」をもらって江戸に赴いた時の乙州旅中の句。寝苦しいので窓を細めに開けておいたら、朝が来て梅の香が入り込んできた。

辛未のとし弥生のはじめつかた、よ
しのゝ山に日くれて、梅のにほひし
きりなりければ、旧友嵐窓が、見ぬ
かたの花や匂ひを案内者といふ句を、
日ごろはふるき事のやうにおもひ侍
れども、折にふれて感動身にしみわ
たり、涙もおとすばかりなれば、そ
の夜の夢に正しくま見えて悦るけし
き有。亡人いまだ風雅を忘ざるや
夢さつて又一匂に宵の梅       嵐蘭
<ゆめさって またひとにおに よいのうめ>。嵐蘭の友人三上嵐窓は江戸の人。その嵐窓の句と西行の歌「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ」を主題とする。夢を見終えて後、梅の花の香りが部屋中に満ちている。

百八のかねて迷ひや闇のむめ     其角
<ひゃくはちの かねてまよいや やみのうめ>。かねて持っている百八の煩悩。その煩悩の迷いを晴らす寺の鐘が、闇夜の梅の香りの中を響いてくる。其角らしい技巧の句。

ひとり寝も能宿とらん初子日     去来
<ひとりねも よきやどとらん はつねのひ>。「初子日」は新年最初の子<ね>の日。この日は、寝の日にかけて、たとえ旅人が一人寝でもよい宿を取ることだろうと洒落た。「二人寝」ならもっとよい宿を取るのか否か?

野畠や鴈追のけて摘若菜       史邦
<のばたけや がんおいのけて つむわかな>。七日粥の素材の春の七草を摘みに野原に出てみると雁が追い立てられて次々と逃げまどう。七日粥は古くは初子日の行事であったが、後に一月七日の行事となった。

はつ市や雪に漕来る若菜船      嵐蘭
<はついちや ゆきにこぎゆくる わかなぶね>。新年初の市が立った。雪のちらほらと降る中を緑したたる若菜を積んだ舟が勇ましくやってくる。江戸の活気を表わす句。

宵の月西になづなのきこゆ也     如行
<よいのつき にしになずなの きこゆなり>。この句は正月七日の早朝、月が西の端に光っている頃。七草粥のナズナを料理するときに「七草粥、唐土の鳥と、日本の鳥が渡らぬ先に」と囃しながら七草をまな板の上で叩いたのである。

憶翁之客中
裾折て菜をつみしらん草枕      嵐雪
<すそおりて なをつみしらん くさまくら>。前詞の「」は翁(芭蕉)の客中をおもう=芭蕉の旅のことを想う、の意。今日は正月七日だが、我が師匠芭蕉翁は旅の折の正月七日には着物の裾を折って若菜を摘んだのではないかしら。

つみすてゝ蹈付がたき若な哉     路通
<つみすてて ふみつけがたき わかなかな>。人並みに若菜摘みなどしてみたものの、乞食の私にそれをどうするわけでもない。さりとて捨てた若菜を踏みつけることはできない。

七種や跡にうかるゝ朝がらす     其角
<ななくさや あとにうかるる あさがらす>。七草粥を作るときには、「七草粥、唐土の鳥と、日本の鳥が渡らぬ先に」と囃したてて作るが、夜が明けてからは「日本のカラス」が中々元気にやっているから面白い。

我事と鯲のにげし根芹哉       丈艸
<わがことと どじょうのにげし ねぜりかな>。ねぜりを摘もうと小川で採っていたら、ドジョウが自分が捕まえられるかと思ってあわてて逃げた。

うすらひやわづかに咲る芹の花    其角
<うすらいや わずかにさける せりのはな>。「うすらい」は「薄氷」のこと。川端に薄氷がついている。川の中の芹に花がかすかについている。芹の花はこの時期には咲かないので何かの間違い。

朧とは松のくろさに月夜かな     
<おぼろとは まつのくろさに つきよかな>。春の「朧」というのは、月にかすむ松の黒さを言うのではないか。芭蕉の名句「崎の松は花より朧にて」の句が念頭にある。

鉢たゝきこぬよとなれば朧かな    去来
<はちたたき こぬよとなれば おぼろかな>。鉢叩きが来なくなったなあと気がついた頃には、寒気も去って春の気がやってくる。

鶯の雪踏落す垣穂かな       伊賀一桐
<うぐいすの ゆきふみおとす かきほかな>。春の雪が降ったが、鶯が垣根に積った雪を落としながら飛んでいく。

鶯やはや一聲のしたりがほ     江戸渓石
<うぐいすや はやひとこえの したりがお>。鶯は春知り鳥、一声揚げて誰も知らない春の到来を告げてくれるのだが、当人はそれが得意なのであろう。

うぐひすや遠路ながら礼がへし    其角
<うぐいすや とおみちながら れいがえし>。「礼がへし」は年賀の挨拶の返礼。正月に遠路はるばる年始の挨拶に来てくれた人への返礼であろう。遠路来てくれたのだから、友なのである。その友に返礼に行くと道すがら新春だから鶯が鳴いている。

鶯や下駄の歯につく小田の土     凡兆
<うぐいすや げたのはにつく おだのつち>。畦道を歩いていると下駄の歯に泥が食い込んでくる。それに難渋しながら歩いているとどこかで鶯の鳴く声がする。

鶯や窓に灸をすえながら       伊賀魚日
<うぐいすや まどにやいとを すえながら>。窓の近くで灸をすえていると窓越しに鶯の声。自分は、灸の熱さに耐えながらその声を聞いている。

やぶの雪柳ばかりはすがた哉     探丸
<やぶのゆき やなぎばかりは すがたかな>。薮の中にはまだ雪が残っているから春とはいっても春は見えない。しかし、柳の枝ばかりは芽を出して、春の姿を露呈している。

此瘤はさるの持べき柳かな     江戸卜宅
<このこぶは さるのもつべき やなぎかな>。柳の木にこぶができている。これは猿が腰かけにしたもので、この柳はその猿の占有物かもしれない。柳に美人を暗喩しているかもしれない。そうであれば猿は、人間の男であろうが。

垣ごしにとらへてはなす柳哉     遠水
<かきごしに とらえてはなす やなぎかな>。遠水は江戸の人で、芭蕉の知人。垣根越しに柳の枝が通りにはみ出している。その先端を捕まえては放しながら通り過ぎた。

よこた川植處なき柳かな       尚白
<よこたがわ うえどころなき やなぎかな>。「横田川」は滋賀県の甲賀地方から流れ出て野洲川に流れ込む川。石だけの川といわれている。だからここに柳の木を植えようたって植える場所なんかない。

青柳のしだれや鯉の住所      伊賀一啖
<あおやぎの しだれやこいの すむところ>。青柳が枝垂れて水面に付くような場所に鯉は棲んでいるものだ。柳と鯉に何か暗喩が有るのかもしれないが・・・。一啖については伊賀の人という以外の詳細不明。

雪汁や蛤いかす場のすみ       木白
<ゆきじるや はまぐりいかす にわのすみ>。「場<にわ>」は家の中の土間のこと。土間に蛤を入れた桶がある。その中でハマグリがうごめいている音がかすかに聞こえる。作者木白は、苔蘇のこと

待中の正月もはやくだり月      揚水
<まつうちの しょうがつもはや くだりづき>。待ちに待った正月が来たかと思ったら、もはや20日の月になってしまった。「くだり月」は、十八夜から二十三夜あたりまで、二十日近辺の月をいう。

田家に有て
麥めしにやつるゝ恋か猫の妻     芭蕉

うらやましおもひ切時猫の恋     越人
<うらやまし おもいきるとき ねこのこい>。原案は、「思ひきる時うらやまし猫の声」だったことが、芭蕉の珍夕宛書簡で分かっている。あんなに 恋に執心していた猫共が、発情期が終えるとピタッと騒ぎをやめて平気な顔をしている。自分はああは行かないので、猫がうらやましい。なお、芭蕉はこの越人の作品について、去来宛書簡で「越人猫之句、驚入候。初而彼が秀作承候。心ざし有ものは終に風雅の口に不出といふ事なしとぞ被存候。姿は聊ひがみたる所も候へ共、心は高遠にして無窮之境遊しめ、堅(賢)愚之人共にをしえたるものなるべし。孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難忍所、常人は是をしらずして俳諧をいやしき事におもふべしと、口惜候。」と激賞している。 『去来抄』参照

うき友にかまれてねこの空ながめ   去来
思う恋人にしつこく言い寄って引っかかれたか噛みつかれたか、失恋した猫が屋根の上で空を眺めている。古今集「大空は恋しき人のかたみかは物思ふごとに眺めらるらむ」が下敷きにされている。

露沾公にて「餘寒」の當座
春風にぬぎもさだめぬ羽織哉     亀翁
<ろせんこうにてよかんのとうざ はるかぜに ぬぎもさだめぬ はおりかな>。「当座」は句会での即席の詠題のこと。ここでは、「余寒」という題が露沾によって即席で出されたのである。「余寒」は、立春後にやってくる寒波のこと。
 春風が吹いたのでうれしくなって羽織を脱いだものの、余寒の今日はまた着なくては。 

野の梅のちりしほ寒き二月哉     尚白
<ののうめの ちりしほさむき にがつかな>。野の梅が咲いて春が来たが、しかしその梅が散る頃に寒さが戻ってくる。

出がはりや櫃にあまれるござのたけ  亀翁
<でがわりや ひつにあまれる ござのたけ>。「出がはり=出替」とは、奉公人の人事異動である。年に二回(3月5日と9月10日)行われた。奉公人たちは身の回りに一切合財を櫃に詰めて持って異動していく。その櫃に入れきれなかったのかゴザが飛び出している。何とも貧乏ったらしい。

出替や幼ごゝろに物あはれ      嵐雪
<でがわりや おさなごころに ものあわれ>。出替りの日には、親しい丁稚さん達が居なくなる。幼心にそれがとても淋しかった。

骨柴のかられながらも木の芽かな   凡兆
<ほねしばの かられながらも きのめかな>。「骨柴」は、枝や葉を取り去った柴のこと。それなのにそこから芽を吹いている。生命力の凄さ?、老いて益々盛んな様を表現したか?

白魚や海苔は下部のかい合せ     其角
<しらうおや のりはしもべの かいあわせ>。白魚汁には、ちゃんと家僕の買い置いた浅草海苔が付けられる。なんと幸せなことか。其角の家僕は、鵜沢長吉で、後に医者になって長庵先生と号した。

人の手にとられて後や櫻海苔    尾張杉峯
<ひとのてに とられてのちや さくらのり>。桜海苔は紅色の海苔。この海苔とても人に摘んでもらってこそ賞賛されるのだ。杉峰については名古屋の人というだけで詳細は不詳。

春雨にたゝき出したりつくづくし   元志
はるさめが地面を叩いて、それに呼応して土筆が芽を出した。元志は尾張の人。未詳。

陽炎や取つきかぬる雪の上      荷兮
<かげろうや とりつきかねる ゆきのうえ>。春の雪。あとすっかり天気になって陽炎が立ち始めたが、さすがに雪に触れるわけにもいかず揺らいでいる。

かげろふや土もこなさぬあらおこし  百歳
荒く耕した土くれの上に陽炎が立ち昇っている。いよいよ農事の始まりだ。

かげろふやほろほろ落る岸の砂    土芳
川岸に土、冬の間中霜柱が立っていたのだが、春になって捕まえるものが無くなってほろほろと止むことなく川面に落ちていく。細かな観察力。

いとゆふのいとあそぶ也虚木立   伊賀氷固
<いとゆうの いとあそぶなり からきだて>。「虚木立」は、新築家屋の骨組みだけのできた状態を言う。そんな家の柱や垂木の間に陽炎が立ち昇っている。糸遊については、『奥の細道』参照。

野馬に子共あそばす狐哉       凡兆
<かげろうに こどもあそばす きつねかな>。陽炎の立つ春の野原。この春生まれたらしい狐の子供たちが母親と戯れている。その姿が、陽炎の中にシルエットになって見える。

かげりふや柴胡の糸の薄曇      芭蕉

いとゆふに貌引きのばせ作リ獨活    伊賀配力
<いとゆうに かおひきのばせ つくりうど>。「作り独活」は、独活にコモなどをかぶせて保温して白いモヤシのような芽を出させてから、土を盛り上げてかけておいしい部分を長く作るという技術。そういう独活を陽炎の立つ春の日に大いに伸ばそうというのである。

狗脊の塵にゑらるゝわらびかな    嵐雪
<ぜんまいの ちりにえらるる わらびかな>。ワラビは別名「紫塵」という。ぜんまいの中に蕨が混じったら塵だとして選り分けられてしまうのだろうか。今では、ワラビの方がスーパーマーケットの価格では高価じゃないかしら?

彼岸まへさむさも一夜二夜哉     路通
<ひがんまえ さむさもひとよ ふたよかな>。暑さ寒さも彼岸まで。この句は、春の彼岸。

みのむしや常のなりにて涅槃像    野水
<みのむしや つねのなりにて ねはんぞう>。涅槃図では、樹下涅槃図が有名。その絵の中では鳥や獣や虫たちまでが、佛の死に直面して身もだえして嘆き悲しんでいるのだが、そんなときでも蓑虫ときたら平然として木の枝にぶら下がっている。これぞ涅槃の境地と言わずして何というのだろう。

藏並ぶ裏は燕のかよひ道       凡兆
<くらならぶ うらはつばめの かよいみち>。ずらっと蔵の並ぶ蔵通り。その裏通りはツバメの飛び交う本通り。

立さはぐ今や紀の雁伊勢の雁    伊賀沢雉
<たちさわぐ いまやきのかり いせのかり>。伊賀の上空を一斉に北へ向かう雁の群。今行くあれは紀州の雁、そして又行く雁は、伊勢の雁。

春雨や屋ねの小草に花咲ぬ      嵐虎
<はるさめや やねのおぐさに はなさきぬ>。しとしとと柔らかく降る春雨に、ムギワラ屋根の上の名も知らぬ草に花が咲いた。嵐虎については詳細不詳。

高山に臥て
春雨や山より出る雲の門       猿雖
<はるさめや やまよりいずる くものもん>。高い山に一夜を過ごし、一夜明ければ下山する。その折、春雨を降らす雲が一面に山を覆い、最後にさおの雲の山門を通って里に出てきた。

不性さやかき起されし春の雨     芭蕉

春雨や田簔のしまの鯲賣       史邦
<はるさめや たみののしまの どじょううり>。「田蓑のしま」というのは、淀川河口付近の小島で歌枕。ここに春雨の中をドジョウ売りが売り歩いている。

はるさめのあがるや軒になく雀    羽紅
春雨が止んで、すずめが活発に巣作りを始めた。

泥龜や苗代水の畦つたひ       史邦
<どろがめや なわしろみずの あぜつたい>。泥亀はスッポン。苗代に水が入って、畦伝いにスッポンが歩いていく。

蜂とまる木舞の竹や虫の糞ン      昌房
<はちとまる こまいのたけや むしのふん>。「木舞」は、土壁の筋として使われる竹の骨。壁が崩れて木舞が露出している。それが虫に食われて糞がこぼれている。そこへ蜂が飛んできた。細かい観察。

振舞や下座になをる去年の雛     去来
<ふるまいや しもざになおる こぞのひな>。今年の新雛が上座に座って去年のものは下座に座らされている。 この時代の雛人形は紙で作った粗末なもの。そのかわり毎年新しく作る。古くなった雛人形は地位が下落して翌年は下座に置かれることになる。

春風にこかすな雛の駕籠の衆    伊賀萩子
<はるかぜに こかすなひなの かごのしゅう>。元々のしきたりでは、餅や甘酒などの桃の節句の祝いを籠に積んで親類に配ったものが、雛で作った籠に餅などをのせて運ぶようになった。一句は、その雛人形の駕篭かきに向かって呼びかけたのであろう。春風に吹かれて転んだりするなよと。

桃柳くばりありくやをんなの子    羽紅
<ももやなぎ くばりありくや おんなのこ>。節句の祝いの桃の花や柳の小枝を少女が配って歩いている。

もゝの花境しまらぬかきね哉    三川烏巣
<もものはな さかいしまらぬ かきねかな>。隣家との境にある桃の木は、花の盛りにはどちらからも愛でて境も所有者もはっきりしないまま、楽しんで見る。

里人の臍落したる田螺かな      嵐推
<さとびとの へそおとしたる なにしかな>。タニシが田んぼを這っている。きっとあれば里人のへそを落としていったものに違いない。作者嵐推については詳細不詳。

蝶の來て一夜寝にけり葱のぎぼ    半残
<ちょうのきて ひとよねにけり ねぎのぎぼ>。朝畑に行ってみると葱帽子に蝶がとまっている。一晩ここに泊まったに違いない。

帋鳶切て白根が嶽を行衛哉   加ьR中桃妖
<いかきれて しらねがたけを ゆくえかな>。紙鳶<いか>はいかたこで、凧のこと。凧の糸が切れて、白根が岳の遠く行方も知らないところへ飛んでいってしまった。白根と知らねをかけている。

いかのぼりこゝにもすむや潦    伊賀園風
<いかのぼり ここにもすむや にわたずみ>。潦<にわたずみ>は水たまりのこと。雨上がりの空に凧が上がっている。ふと地上を見ると、今の雨でできた水溜りにも写っている。

日の影やごもくの上の親すゞめ    珍碩
<ひのかげや ごもくのうえの おやすずめ>。「ごもく」は、小川の浅瀬に発生する水草。陽光のまぶしい春の昼下がり。水草の上を親スズメがひょいひょいと渡っている。軽みの句。

荷鞍ふむ春のすゞめや縁の先     土芳
<にくらふむ はるのすずめや えんのさき>。縁先につないだ馬の荷鞍に小雀がちょこんととまっている。

闇の夜や巣をまどはしてなく鵆    芭蕉

越より飛騨へ行とて、籠のわたりの
あやうきところどころ、道もなき山
路にさまよひて
鷲の巣の樟の枯枝に日は入ぬ     凡兆
<わしのすの くすのかれえに ひはいりぬ>。前詞の「籠のわたり」は、藤づるなどを渡して荷物などをそこを滑車のように滑らせて渡川する危険な箇所。一句は、そんな山中の夕暮れに大きな鷹の巣がくすのきの枯れ枝に作られているのが見える。そこに陽が沈んでいった。

かすみより見えくる雲のかしら哉  伊賀石口
かすみが消えて雲の頭が見えてきた。作者石口については詳細不詳。

子や待ん餘り雲雀の高あがり     杉風
<こやまたん あまりひばりの たかあがり>。ヒバリは自分の巣の上空で囀ると言われている。だから、あんな高いところでさえずっていると、下の巣の中の子供たちが待ち遠しいであろうに。

ひばりなく中の拍子や雉子の聲    芭蕉

芭蕉庵のふるきを訪
菫草小鍋洗しあとやこれ       曲水
<すみれぐさ こなべあらいし あとやこれ>。曲水は膳所藩の役目として江戸詰めの折、芭蕉旧庵を訪ねたのである。この話は、『嵯峨日記』に関連記述がある。ただし、そこでは「昔誰小鍋洗ひし菫草」となっている。
 一句は、芭蕉庵を訪ねたが、跡形もない。スミレだけが咲いていて、この辺りで師匠は小鍋を洗ったのかしらと想像するしかない。

木瓜莇旅して見たく野はなりぬ   江戸山店
<ぼけあざみ たびしてみたく のはなりぬ>。時は春。ボケに実がなり、アザミの花が咲いた。こうなるとそぞろ旅に出てみたくなる。

畫讃
山吹や宇治の焙炉の匂ふ時      芭蕉

白玉の露にきはつく椿かな      車来
<しらたまの つゆにきわつく つばきかな>。「きはつく」は際立つこと。露が白い椿の花弁について際立って美しい。春の椿で、白いワビスケの花。

わがみかよはくやまひがちなりけれ
ば、髪けづらんも物むつかしと、此
春さまをかへて
笄もくしも昔やちり椿        羽紅
<こうがいも くしもむかしや ちりつばき>。尼となった羽紅の人生を見通した一句。こうがいも櫛ももはや女の身だしなみをするものは昔話となってしまった。それはもうポトリと落ちる椿の花のよう。

蝸牛打かぶせたるつばき哉  津國山本坂上氏
<かたつむり うちかぶせたる つばきかな>。椿の花がポトリと落ちた。下を歩いていたカタツムリの真上に落ちたのでカタツムリが消えてしまった。坂上氏は摂津山本の植木職人。

うぐひすの笠おとしたる椿哉     芭蕉

はつざくらまだ追々にさけばこそ  伊賀利雪
<はつざくら まだおいおいに さけばこそ>。桜の中ではじめに咲いた花を初桜というのは、後から次々と咲けばこそなのだ。

東叡山にあそぶ
小坊主や松にかくれて山ざくら    其角
<こぼうずや まつにかくれて やまざくら>。東叡山は上野の寛永寺。山桜が咲き、小坊主らが忙しそうにしている。庭の松のかげに入ったり出たり。花の寛永寺の賑わい。

一枝はおらぬもわろし山ざくら    尚白
<いちまいは おらぬもわろし やまざくら>。桜を見に行ってきたといって家に帰っても、その感動を伝えることにはならない。やっぱり一枝は折ってかえらなくては。。。

鶏の聲もきこゆるやま櫻       凡兆
<にわとりの のこえもこゆる やまざくら>。山桜を求めて山里深く分け入ったところ、鶏の声も聞こえる山里に来た。

眞先に見し枝ならんちる櫻      丈艸
<まっさきに みしえだならん ちるさくら>。今、散っていく桜の花、あれは私が真っ先に開花を見届けた枝の花だ。

有明のはつはつに咲く遅ざくら    史邦
<ありあけの はつはつにさく おそざくら>。彌生も末の小さな有明の月。遅咲きの桜と月が初めて会った。

常斎にはづれてけふは花の鳥     千那
<じょうときに はずれてきょうは はなのとり>。「常斎」とは、毎月日を決めて同一檀家に招かれて読経をあげ、食事の布施を受ける僧侶の行事。千那はこれを受ける側の僧侶である。さくらの花が咲いて花にたわむれる鳥になったような気分でいたら、「常斎」の予定を忘れて一食抜いてしまったわい。

葛城のふもとを過る
猶見たし花に明行神の顔       芭蕉

いがの國花垣の庄は、そのかみ
南良の八重櫻の料に附られける
と云傅えはんべれば
一里はみな花守の子孫かや      芭蕉

亡父の墓東武谷中に有しに、三
歳にて別れ、廿年の後かの地に
くだりぬ。墓の前に櫻植置侍る
よし、かねがね母の物がたりつ
たへて、その櫻をたづね侘びけ
るに、他の墓猶さくら咲みだれ
侍れば
まがはしや花吸ふ蜂の往還リ     園風
<まがわしや はなすうはちの いきかえり>。母の言うように墓前に桜のある墓こそが未だ見ぬ父の墓。だが来てみるとどの墓にも桜が植えてあってさっぱり分からない。折りしも花から花へ往ったり来たりしている蜂と同じように私も行きつ戻りつしている。

知人にあはじあはじと花見かな    去来
<しるひとに あわじあわじと はなみかな>。花見に来て、知人に会わないように会わないようにと気をつかっている。知人の方も同じだろうに。

ある僧の嫌ひし花の都かな      凡兆
<あるそうの きらいしはなの みやこかな>。いま桜花爛漫。このけばけばしさを嫌って隠遁してしまった僧侶がいたっけ。誰のことだか??

浪人のやどにて
鼠共春の夜あれそ花靫        半残
<ねずみども はるのよあれそ はなうつぼ>。「靫」は矢を入れる円形の筒。浪々の身とてこれに花が插してある。その昔、仕官していた時分の品で高価なものだ。これを風流に桜の花を挿したのだから。天井のネズミ共よどうか騒がずに風流を堪能させてくれ。

腥きはな最中のゆふべ哉      伊賀長眉
<なまぐさき はなさいちゅうの ゆうべかな>。花のシーズン。ここかしこで花見の宴を開いて、その魚の生臭い匂いが立ち込める春の夕刻。作者長眉は伊賀の人以外の詳細不詳。

はなも奥有とや、よしのに深く吟じ
入て
大峯やよしのゝ奥の花の果      曾良
<おおみねや よしののおくの はなのはて>。大峰は、吉野の奥に花があるといわれるその花の究極である。「見渡せば麓ばかりに咲き初めて花も奥あるみよし野の山」(名所和歌集)

道灌山にのぼる
道灌や花はその代を嵐哉       嵐蘭
<どうかんや はなはそのよを あらしかな>。道灌の時代、道灌山は戦乱の嵐だった。いま桜が咲き、一陣の嵐に狂ったように花が舞う。

源氏の繪を見て
欄干に夜ちる花の立すがた      羽紅
<らんかんに よるちるはなの たちすがた>。源氏物語絵巻を見て。花散る夜の簾近く欄干に渡る光源氏の姿のなまめかしさ。

庚午の歳家を焼て
燒にけりされども花はちりすまし  式之
<やけにけり されどもはなは ちりすまし>。元禄3年3月16日夜から翌日にかけて金沢で大火があった。折りしも花の季節であったが、不幸中の幸い、桜は散った後だった。

はなちるや伽藍の樞おとし行     凡兆
<はなちるや がらんのくるる おとしゆく>。「樞<くるる>」とは、戸締り用に敷居の穴に詰める桟のこと。桜の散った春の夕方、大伽藍の広い寺内の一枚一枚の戸を番僧が閉めていく。そのとき樞を落としていく。

海棠のはなは滿たり夜の月     江戸普舩
<かいどうの はなはみちたり よるのつき>。海棠の花はいま満開だ。月も満開だ。

大和行脚のとき
草臥て宿かる比や藤の花       芭蕉

山鳥や躑躅よけ行尾のひねり     探丸
<やまどりや つつじよけゆく おのひねり>。尾長の山鳥が上手に尻尾の羽を調節しながらつつじの林の中を歩いていく。

やまつゝじ海に見よとや夕日影    智月
<やまつつじ うみにみよとや ゆうひかげ>。湖畔の山に植えられたツツジの花が夕日に真っ赤に染まっている。それが湖に反射して、山でなく海を見ろといっているように鮮やかだ。

兎角して卯花つぼむ弥生哉      山川
<とかくして うのはなつぼむ やよいかな>。こうして卯の花が散って彌生三月は過ぎていく。春も終わり。この巻もおわり。

鷽の聲きゝそめてより山路かな    伊賀式之
<うそのこえ ききそめてより やまじかな>。「鷽<うそ>」は、スズメ目アトリ科の鳥。スズメより少し大きい。頭は黒、背は青灰色。腹は灰色。雄のほおはバラ色。ヨーロッパ・アジア北東部に分布。日本では本州中部以北で繁殖し、冬は暖地に渡るものが多い。口笛を吹くように鳴き、よく人になれる。うそひめ。ことひき鳥。(大辞林)一句は、鷽の声を聴いた辺りから山路が山路らしくなってきた。 

木曽塚
其春の石ともならず木曽の馬     

春の夜はたれか初瀬の堂籠      曾良

望湖水惜春
行春を近江の人とおしみける     芭蕉



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