三月九日 芭蕉子
飛脚便御芳翰、舒巻再三御懐敷而已奉レ存候:<ひきゃくびんごほうかん、じょかんさいさんおんなつかしくのみぞんじたてまつりそうろう>と読む。貴方から来た飛脚便の手紙を再三にわたって開いてただただ懐かしく思っております、の意。「舒巻」は手紙を開くこと。
春気気晴ふらふらといたし、此境又退窟(屈)に及候間、追付罷立候:<しゅんききはれ・・・このさかいまたたいくつにおよびそうろうかん、おっつけまかりたちそうろう>と読む。相変わらず持病には悩まされているが、春の気が立つとまたぞろここ伊賀にも退屈気味で、そろそろここを出て行きたくなりました、の意。
道々日を重ね候も、一六七之間京着と御待可レ被レ成候:<みちみちひかさねそうろうも、167にちのあいだきょうちゃくとおまちなさるべくそうろう>と読む。道中予定もないが、16日か17日迄には京に着いていると思いますので御待ち下さいますように、の意。実際には、芭蕉はこの春3月23日万乎亭の花見に参列しているので、このとおりには行かなかった。4月18日には去来の嵯峨野の別墅落柿舎に滞在しているので、この間に伊賀を出たのである。「芭蕉年表」参照。
此度不意に嵐蘭上り候而柴扉に尋:<このたびふいにらんらんのぼりそうろうてさいひにたずね>と読む。嵐蘭は江戸蕉門の高弟。嵐蘭が西上し、伊賀上野を尋ねた。このとき初めて京都で去来と親交を結ぶ。
出京は全貴様に懸二御目一度存念之由に御座候:<しゅっきょうはまったくきさまにおめにかかりたきぞんねんのよしにござそうろう>と読む。嵐蘭が京都に上るのは、去来に会いたいばかりのことだそうです、の意。
加生事も噂いたし、尤可レ懸二御目一よし、よろこばれ候:<かせいこともうわさいたし、もっともおめにかかるべきよし、よろこばれそうろう>と読む。「加生」は後の凡兆のこと。
乍レ去町屋、牢人めきたるも二三日も留置候半は、大屋手前、我等も、加生も気之毒に存候間、元志老か嵯峨之別墅か、御心当被レ成可レ被レ下候:<さりながらまちや、ろうにんめきたるも23にちもおきそうらわんは、おおや手前、われらも、かせいもきのどくにぞんじそうろうかん、げんしろうかさがのべっしょか,おこころあてなされくださるべくそうろう>と読む。といいましても、浪人風の嵐蘭を23日も置いておくのは大家の手前もうまくなし、わたしも、凡兆が気の毒におもいますので、元志の家か嵯峨野落柿舎にでも置いてくれるよう検討してくださいの意。元志は京の人だが詳細は不明。
京三日之滞留と被レ申、尤緩りとは居被レ申まじく候間:<きょうみっかのたいりゅうともうされ、もっともゆるりとはいもうされまじくそおうろうあいだ>と読む。嵐蘭は、京都には3日の滞在予定であるといっており、あまりゆっくりとはいないと思いますが、の意。
若遠方御出之御心指御座候共、此仁御待請被レ成可レ被レ下候:<もしえんぽうおいでのおこころざしござそうろうとも、このじんおまちうけなされくださるべくそうろう>と読む。もし、嵐蘭が遠くに出かける意思があっても、そこでお待ちになるようにしてください、の意。
器量之勇士にて御座候間、御心ざし相叶可レ申と:<きりょうのゆうしにてござそうろうあいだ,おこころざしあいかないもうすべくと>と読む。嵐蘭は、剛毅・清廉の人であったとされる。
御出合、拙者も一入大慶に存候:<おであい,せっしゃもひとしおたいけいにぞんじそうろう>と読む。この出会い(去来と嵐蘭の出会いか?)は、私も一入貴重なものと思っております、の意。
雛、扨々感悦申候:<ひな、さてさてかんえつもうしそうろう>と読む。「雛」は、去来の句「振舞や下座になをる去年の雛」を指す。この句には感嘆した、の意。
其まゝ御用可レ然候半歟:<そのままおもちいしかるべくそうらわんか>と読む。少々、問題もあるがそのままでよいように思うの意か?。
夜吟、新意明に顕候:<やぎん、しんいあきらかにあらわれそうろう>と読む。「夜吟」は不明、「独吟」か。それにしても、去来の寄せた句であろうが、何を指すか不明。その句が、新しい「軽み」の作風であることがはっきりしていて、大変よいというのである。芭蕉の「新意」にかける情熱がしのばれる。
猶追々御つゞけ、歌仙に御仕立可レ被レ成候:<なおおいおいおつづけ、かせんにおしたてなさるべくそうろう>と読む。なお,こういう調子で続けて、歌仙にまとめられたらよろしい、の意。
如レ仰、去歳より之ねがひ:<おおせのごとく、さるとしよりのねがい>と読む。去来から歌仙の添削を昨年来依頼されていたのであろう。
哥仙数日をこめ候を気の毒と、色々工夫申候處、三刻に不レ及就成(成就)候事、是以珎重不レ斜候:<かせんすうじつをこめそうろうをきのどくと、いろいろくふうもうしそうろうところ、さんこくにおよばずじょうじゅそうろうこと、これもってちんちょうななめならずそうろう>と読む。この歌仙に数日を費やすのは気の毒と思って、いろいろ考えていましたが、そう時間もかからずに完成したのは大変結構でした、の意か?。
懐帋之趣は少々糊気見え候へ共:<かいしのおもむきはしょうしょうのりけみえそうらえども>と読む。「糊気」は、歌仙の付句と前句とが密着しすぎて展開の幅が少なすぎることをいう。
惣躰新意を心指所ほのぼのと見え候而、先よろしき方に可レ評にや:<そうたいしんいをこころざすところ…ひょうすべきにや>と読む。全体新しい句体が見えて、結構と評すべきでしょうね、の意。
越人猫之句、驚入候:<えつじんねこのく、おどろきいりそうろう>。越人の猫の句(「うらやまし思ひ切時猫の恋」『猿蓑』)は、大変よくできていて驚きました、の意。
心ざし有ものは終に風雅の口に不レ出といふ事なしとぞ被レ存候:志さえあれば、何時かはそれが発揮されて自然と口からほとばしり出てくるものなのです、の意。
姿は聊ひがみたる所も候へ共:<すがたはいささか・・・そうらえども>と読む。越人の句は、初案は「思ひきるときうらやまし猫の恋」だった。「とき」の置き場所が落ち着き悪く、推敲の末上記のようになったのである。
孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難レ忍所:<こうもうろうそうのいましめ、かつぶっそすらしのびがたきところ>と読む。色恋の感情を指す。人々はそういうものを扱う俳諧を下賎なものとみなしてしまうのは残念だ、というのである。
夢鹿より預二書状一候へ共、追付参候間、不レ及二返翰一候:<むろくよりしょじょうあずかりそうらえども、おっつけまいりそうろうかん、へんかんにおよばずそうろう>と読む。夢鹿は、京都の門人らしいが詳細不明。彼から書状をもらっているが、早晩そちらに行くので返事は書かない、の意。
嵐蘭同道可レ致候間、是も一宿と御待候へと,御逢之砌御傅可レ被レ成候:<らんらんどうどういたすべくそうろうかん、これもいっしゅくとおまちそうらえと、おあいのせつおつたえなさるべくそうろう>と読む。嵐蘭を同道して訪問するので、一晩語り合いましょうと、貴方が夢鹿に会いましたらお伝え下さい、の意。
野水よりも案内、頓而面談、此度延引、御心得御申可レ被レ下候:<やすいよりもあんない、やがてめんだん、このたびえんいん、おこころえおもうしくださるべくそうろう>と読む。野水は、名古屋の蕉門の門人。彼からも招待があるので遠からず伺うが、今は延期するとお伝え願いたい、の意。
亡人御跡之事御取持被レ成候由、御尤千萬に存候:<ぼうじんあんあとのことおとりもちなされそうろうよし、ごもっともせんばんにぞんじそうろう>と読む。去来の知人の誰かが死んでその後見の話が手紙にあったのか?。