芭蕉db

松倉嵐蘭

<らんらん>

(〜元禄6年8月27日)

Who'sWho/年表basho


 松倉盛教。蕉門最古参の門人。江戸浅草在住。三百石取りの武士だったが、44歳で官を辞し、俳諧専一の生活に入った。老荘思想の持ち主で、芭蕉は彼と意気投合した。また、そのことで芭蕉も嵐蘭には一目おいていたらしい。元禄6年47歳の若さで急逝。嵐蘭急死の報に応えた弟嵐竹への書簡がある。「秋風に折れて悲しき桑の杖」「見しやその七日は墓の三日の月」の句は芭蕉が嵐蘭の死を悲しんで詠んだ挽歌。

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嵐蘭宛書簡1

嵐蘭宛書簡2

嵐蘭宛書簡3


嵐蘭の代表作

しら芥子にはかなや蝶の鼠いろ (『あら野』)

百舌鳥のゐる野中の杭よ十月 (『猿蓑』)

青くさき匂もゆかしけしの花 (『猿蓑』)

子やなかん其子の母も蚊の喰ン (『猿蓑』)

白雨や蓮一枚の捨あたま (『猿蓑』)

水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ (『猿蓑』)

笑にも泣にもにざる木槿かな (『猿蓑』)

あやまりてぎゞうおさゆる鱅哉 (『猿蓑』)

夢さつて又一匂に宵の梅 (『猿蓑』)

はつ市や雪に漕来る若菜船 (『猿蓑』)

道灌や花はその代を嵐哉 (『猿蓑』)

春雨やあらしも果ず戸のひづみ (『猿蓑』)

五月雨や露の葉にもる(やまごぼう) (『炭俵』)

夕がほや裸でおきて夜半過 (『續猿蓑』)

餅つきやあがりかねたる鶏のとや (『續猿蓑』)