芭蕉db

嵐蘭宛書簡

(元禄3年10月21日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


蚊焼之言葉并発句、数返(遍)閑吟候*。折節京去来、俳文集撰候處*、内々貴様文章望之由申候故、是を渡し可申と拙者も大悦に存候*。愚難之處書付候*
○夫澤雉はとある所*、下へ云のべやうかひなく候に而*、対句を待やうに而、対句して対なき時の下へ移り無*。下しやう可有にや*。若又能対有之候はゞ尤珍重たるべく候*。義経盗跖之段、奇文関心不斜候*
      発句
    子や啼ん母や、、、、、、、
子や啼む其子のはゝも蚊の喰ワン*
山上億(憶)良が歌に、其子のはゝも我を待らん、と云し俤可為候*。状数取重候故、被仰越候段々十分一も不御報*。 以上
    十月廿一日                        はせを
    嵐蘭雅伯

 江戸の門弟嵐蘭宛書簡である。このころ芭蕉は、去来や凡兆とともに俳文という新しい俳諧のジャンルを開こうとしていたようである。最終的には失敗に及ぶが、『猿蓑』について俳文を盛り込もうとしたようである。それについて、嵐蘭から送られてきた俳文についての添削意見を述べたのがこの書簡である。書簡中、嵐蘭の句への芭蕉の手の入れ方が見えて面白い。