芭蕉db

嵐蘭宛書簡

(元禄2年閏1月26日 芭蕉46歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


  嵐蘭雅伯                              芭蕉
御手紙忝*、御内室様より沢庵漬一器送被*、毎度之便り毎御心付られ忝*、御礼難盡事に奉存候*。先日御帰已後、風も静に成候而、一入御残多存候*。されども暫時得閑語、大望不之晴候*。且昨日とう山子へ参候*。貴様御事は不定に御座候へば*又重而催し可申候*間とて、昨日参候處、来月の御非番も皆あの方と相たがひ候*。一日番日御指替候へば、三番の刻皆逢申よしに御座候*。いかがなるべき御事に御座候哉。何とぞ御出合願申事に御座候。 以上
    壬正月廿六日
御ざ候*。尤見舞申度候へ共、却而さはりに成可申候間、延引可致候。随分御きもいられ可遣候。嵐竹子*へ御心得奉頼候。此短尺二枚急々御書可下候。青柳にいよいよ*、一牧(枚)に御書、外又いづれにても。頃日之梅の発句は桃の類、跡に而おもひ出し候*。短尺には御無用に御座候。

 岐阜大垣の門人とう山(「とう」は口偏に)が江戸に出てきた。それを歓迎して句会を開くことになった。その日取りのために浅草の門人嵐蘭におくった書簡である。この句会は元禄2年2月7日にとう山が泊っていた旅宿で「かげろふの我が肩に立つ紙子かな」を立句として催された。
 本書簡は、主文が散逸していて、追伸部分のみを残している。その二伸部分も先頭部分が鋏で切られており、つながりが不明になっている。