芭蕉
むめがゝにのつと日の出る山路かな
<むめがかに のっとひのでる やまじかな>。立春を過ぎて残る寒い朝。梅の香が匂う山路には、何の前触れもなく朝日がひょっこりと昇ってくる。「のっと」という日常語を持ってきて、死後に一大流行を作り出した「軽み」の実践句。
處々に雉子の啼たつ 野坡
<ところどころに きじのなきたつ>。山路を歩いていくと、雉が「ケーン、ケーン」と勢いよく飛び立つ。春の日の出の清新さに元気な雉をもって発句に付けた脇句。
家普請を春のてすきにとり付て 仝
<やぶしんを はるのてすきに とりつきて>。農家では、田おこしまでの束の間の早春の時期に農閑期がある。そのすき間に家の普請を入れるのである。活気のみなぎる春の人事を付けた。
上のたよりにあがる米の直 芭蕉
<かみのたよりに あがるこめのね>。「上のたより」は「上方からの便」で大坂の米相場の情報のこと。当時の米価は大坂が相場を決定していたのである。それによれば、春先の米相場は強含みだという。田植えを前に普請の槌音にも元気が出てくるというものだ。
宵の内ばらばらとせし月の雲 仝
<よいのうち ばらばらとせし つきのくも>。季を秋に変えて時雨の季節へ。宵のうちに時雨が通ったかと思ったらもう月が出てきた。不安定な気候だが、それは来年の米の「でき」と「相場」にも影響する。不安に転じた。
藪越はなすあきのさびしき 野坡
<やぶごしはなす あきのさびしさ>。隣家は藪の向こうにある。その藪越しに話をする。時雨の後、すっかり肌寒くなった秋の月の夜の景。
御頭へ菊もらはるゝめいわくさ 野坡
<おかしらへ きくもらわるる めいわくさ>。「御頭」は町内の組頭、顔役など。やくざに近く、十手を持って民間警察機能を有するものもある。要するにアーバン権力の実現者。この御頭と藪越しに話していたら、丹精込めた菊をほめられてやらないわけに行かなくなったのである。残念なことだが仕方ない。秋のさみしさのなかにはこういう無念もあるのだ。
娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
<むすめをかとう ひとにあわせぬ>。菊だから仕方ない御頭に上げるけれど、この男、娘となると人にやるのがいやで人目につかないように人に会わせない。
奈良がよひおなじつらなる細基手 野坡
<ならがよい おなじつらなる ほそもとで>。「細基手」は零細資本の商売のこと。奈良とおそらく都であろう、その間の通商を商売としている零細商人。その友人が箱入り娘を大事にしているのが気に食わない。どうせ俺達は同じ面した貧乏商人じゃないかというのである。
ことしは雨のふらぬ六月 芭蕉
<ことしはあめの ふらぬろくがつ>。水無月六月だから雨が少ないのだろうが、それにしても奈良通いをするのに暑い夏だ。前句を仲間で集団で歩く行商人と見たてて。
預けたるみそとりにやる向河岸 野坡
<あずけたる もしとりにやる むこうがし>。向こうの河岸の味噌屋には前金を払って発注しておいた味噌がある。大川も干上がったことだし川舟で渡って味噌を取ってこようか。
ひたといひ出すお袋の事 芭蕉
<ひたといいだす おふくろのこと>。向こう河岸の味噌屋の親父ときたら顔を見るなり母親の話を始めた。長いつきあの味噌屋だから死んだ母親のことなどもよく知ってるのである。しかし、いきなりにはちょっと参ったなぁ。
終宵尼の持病を押へける 野坡
<よもすがら あまのじびょうを おさえける>。旅の旅籠で急病に苦しむ尼さんの看病。一晩中看病をしてあげながら亡き母のことを思い出す。
こんにやくばかりのこる名月 芭蕉
<こんにゃくばかり のこるめいげつ>。尼寺で名月鑑賞の催しをやっていたところ当の主催者たる尼が急病で寝込んでしまったために、月見の宴席は急遽お開きとなってしまった。名月鑑賞会のおやつに準備した蒟蒻田楽がすっかり残ってしまった。
はつ雁に乘懸下地敷て見る 野坡
<はつかりに のちかけしたじ しいてみる>。コンニャクばかりが残った送別の宴から一夜明けて、初雁のわたる秋の朝、旅路に使う駒の背中に座布団を敷いて試乗してみる。
露を相手に居合ひとぬき 芭蕉
<つゆをあいてに いあいひとぬき>。馬から降りて、朝露をおく草むらに向かって居合い抜きをしてみる。長旅への出発に勇む気持ちを抑えかねたのであろう。
町衆のつらりと酔て花の陰 野坡
<まちしゅうの つらりとよおて はなのかげ>。前句は大道芸人がやる見世物。がまの膏薬などと一緒に見せて商売をする。この大道芸が面白いというので町衆が酔っ払いながら冷やかしている。春祭りの桜花の下
。
門で押るゝ壬生の念佛 芭蕉
<かどでおさるる みぶのねんぶつ>。壬生は京都中京の染色の盛んな町。律宗の総本山壬生寺がある。壬生狂言は、この壬生寺の大念仏会で行う黙劇狂言で四月下旬に催される。鰐口<わにぐち>・締太鼓<しめだいこ>・横笛だけの囃子<はやし>で、多く能・狂言から影響を受けた筋を身振りのみの無言で展開する(『大辞林』)という。前句の居合い抜きもこの祭の際のこと。あまりの混雑に門のところで既に押し合いへし合い。
東風風に糞のいきれを吹まはし 仝
<こちかぜに こえのいきれを ふきまわし>。この季節ともなれば郊外では下肥をまいた畑ではあのにおいが充満している。それはそれで春の景。
たヾ居るまゝに肱わづらふ 野坡
<ただいるままに かいなわずらう>。ちかごろ二の腕が痛くて、家でじっと我慢しているだけ。家族はみんな畑に出て働いているのに残念だ。
江戸の左右むかひの亭主登られて 芭蕉
<えどのそう むかいのていしゅ のぼられて>。「江戸の左右」は江戸の景気や流行などの情報のこと。向かいに住む商売人の主人は商売のために江戸へ行って帰ってきた。療養の暇つぶしに向かいに行って江戸の様子を聞いてみる。
こちにもいれどから臼をかす 野坡
<こちにもいれど からうすをかす>。唐臼・碓<からうす>で米をつくのだが、隣人が江戸から帰ってきたばかりで白米の用意が無いので自分の順番を交代して先に使わせてやる。
方々に十夜の内のかねの音 芭蕉
<ほうぼうに じゅうやのうちの かねのおと>
。主に浄土宗の寺で、陰暦一〇月六日から一五日までの一〇昼夜、念仏を唱える法要。参籠者に「十夜粥<じゅうやがゆ>」を炊いてねぎらう。永享年間(1429-1441)、平貞国が京都の真如堂で念仏を行い、夢で来世の救済を告げられたことに始まるとされる。お十夜。十夜念仏。十夜法要。十夜念仏法要(『大辞林』)。碓を貸したのはこんな晩秋の季節のこと。
桐の木高く月さゆる也 野坡
<きりのきたかく つきさゆるなり>。この時期ともなれば葉の落ちた梧の木の上に晩秋の月が寒々と出る。
門しめてだまってねたる面白さ 芭蕉
<かどしめて だまってねたる おもしろさ>。そんな夜こそ、世間と隔絶して門を閉めて早々に寝てしまう。寝室からこぼれる月を見るのはなんと言えず風情がある。
ひらふた金で表がへする 野坡
<ひろうたかねで おもてがえする>。前句の風流人、実はとんでもない俗物で、街で拾ったお金で畳替えをしてしまった。その新しい畳の上で月夜楽しんで寝ているというのだから、不逞な輩だ。
はつ年に女房のおやこ振舞て 芭蕉
<はつどしに にょうぼのおやこ ふるまいて>。初午の祝いに妻の一家を招いてご馳走をする。畳は新しいし、ちょっと見栄を張ってみる。好いところのある奴だ。
又このはるも済ぬ牢人 野坡
<またこのはるも すまぬろうにん>。「牢人」は浪人のこと。前句の振舞ったのは妻の実家の親子の方であって、婿ではない。婿は春が来てもまだ浪人中。
法印の湯治を送る花ざかり 芭蕉
<ほういんの とうじをおくる はなざかり>。浪人中の人間がいるかと思えば、これから湯治に出ける僧侶がいる。文字通りの格差社会。花は万人に咲いて見せるが、見る人は様々な気持ちで花に向かうのである。
なは手を下りて麥の出來 野坡
<なわてをおりて あおむぎのでき>。「なわて=畷」は切り通しの直道のこと。法印の一行は畷をおりて青く穂の出た麦畑の道へ降りていく。
どの家も東の方に窓をあけ 野坡
<どのいえも ひがしのかたに まどをあけ>。沿道の家々は東の窓を開けて春の風を一杯に家の中に入れている。明るい気持ちの良い若葉の季節。
魚に喰あくはまの雑水 芭蕉
<うおにくいあく はまのぞうすい>。魚の入った雑炊ばかり食わされて飽き飽きした。前句のみんな同じように東の窓を開けている姿がマンネリと見ての付句。
千どり啼一夜一夜に寒うなり 野坡
<ちどりなく いちやいちやに さむうなり>。チドリが鳴いて秋は深まり、一夜一夜寒くなる。浜では豊漁が続くので実に主婦も多忙で毎夜毎夜魚雑炊ばかり食わされる。
未進の高のはてぬ算用 芭蕉
<みしんのたかの はてぬさんよう>。秋の深まりは納税の季節。年貢をまだ納めていないこの村では、ソロバンをはじきながらため息をつく。
隣へも知らせず嫁をつれて来て 野坡
<となりへも しらせずよめを つれてきて>。年貢も納められないような始末なので、跡取りのために嫁取りをしたものの隣近所にも知らせずにそっとやった。前句の年貢未納を村落全部から個人に引き換えた。
屏風の陰にみゆるくはし盆 芭蕉
<びょうぶのかげに みゆるかしぼん>。「かしぼん」は「菓子盆」。結婚式をやった家の翌朝か、屏風の陰に菓子盆が置いてある。
初夜を過ごした男女が寝床の中で食べたものなのか?。なまめかしい挙句で満尾。
兼好も莚織けり花ざかり
<けんこうも むしろおりけり はなざかり>。兼好法師は、「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは。」(『徒然草』137段)といって、満開の桜を愛でるばかりが能で無いと説いている。そう言いながら、花の盛りに人々が繰り出すのでそれを中て込んで花見の筵を織っていたのじゃないかしら。
あざみや苣に雀鮨もる 利牛
<あざみやちさに すずめずしもる>。「雀鮨」は、鮒鮨でフナの腹に飯を詰めて、腹のふくらんだ姿が雀に似ているところから雀ずしと呼んだ。大坂名物。脇句はアザミの葉やチサの葉を敷いてこの寿司を盛るというのだが、兼好法師の花見のご馳走だというのであろう。
片道は春の小坂のかたまりて 野坡
<かたみちは はるのこざかの かたまりて>。前句は、春の山道を登っていく人の弁当として、行きはぬかるんでいた小坂の山道も帰りはもうすっかり乾いているというのである。
外をざまくに圍ふ相撲場 嵐雪
<そとをざまくに かこうすもうば>。「ざまく」は乱雑な状態を表す。春祭りの奉納相撲の土俵を固めて作ったのだが、その外側の乱雑なものが見えないようにむしろか天幕で
そこを囲った。前句の「かたまりて」を、春祭りの奉納相撲の土俵の土を固めることに転じたもの。
細々と朔日ごろの宵の月 利牛
<ほそぼそと ついたちごろの よいのつき>。
前句の奉納相撲は京都松尾神社が有名。それがこの時代八月朔日から数日間行われたので、これにかけたか?朔日なので月齢は若く月は細々としているのである。
早稲も晩稲も相生に出る 野坡
<わせもおくても あいおいにでる>。八月の朔日といえば、早場米地帯の米はすっかり刈り取られていて、晩生種の稲も色づいてくる頃だ。
泥染を長き流にのばすらん 野坡
<どろぞめを ながきながれに のばすらん>。農繁期を前にして田に注ぐ必要の無くなった川の水で染色が行われている。ここでは泥染で、泥の中に木綿の布を浸して彩色する。これを川水に晒して余分な色を除去する捺染作業。布が流れに沿って長く伸ばされているので「長き流」と言った。
あちこちすれば昼のかねうつ 利牛
<あちこちすれば ひるのかねうつ>。長い布を伸ばすのに川を上下しながら作業していると、早くも正午を告げる鐘の音が聞こえる。仕事の忙しさの表現。
隣から節々嫁を呼に來る 野坡
<となりから せつせつよめを よびにくる>。捺染作業から昼飯を取りに帰ってきてみると嫁さんが居ない。昼食が食べられないが、どうしたことかと隣家に嫁の所在を尋ねてくる。
てうてうしくも譽るかいわり 嵐雪
<ちょうちょうしくも ほむるかいわり>。「かいわり」は、端を二枚貝が割れたように結んだ帯のこと。前句の嫁の帯は貝割り帯。それを賑々しく大げさに褒めてくれる。
黒谷のくちは岡崎聖護院 利牛
<くろだにの くちはおかざき しょうごいん>。黒谷は法然ゆかりの地。黒谷の知恩院に行くには北側の岡崎からでも南側の聖護院からでも行ける。前句の「かいわり」をカイワリ大根から聖護院大根に関連付けてそこへ法然の黒谷を持ってくるという牽強付会の付。
五百のかけを二度に取けり 野坡
<ごひゃくのかけを にどにとりけり>。京の街中から黒谷までたった五百文の掛け金を二度に分けて集金させられた。手間賃がたまったものではない。野坡は越後屋(現三越)の番頭だった。
綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ 嵐雪
<つなぬきの いぼのあとある ゆきのうえ>。「綱ぬき」は靴で、裏に鋲が打ってあるのでその跡が雪の上に付いている。前句の「掛取り」の商人の足跡であろう。雪の有るところから年末年の瀬の掛取り集金の模様。
人のさわらぬ松Kむ也 利牛
<ひとのさわらぬ まつくろむなり>。人跡未踏の山奥の松は黒々として原始の顔をしている。前句の「いぼ」のある靴はマタギの履物と見立てて。
雑役の鞍を下せば日がくれて 野坡
<ぞうやくの くらをおろせば ひがくれて>。「雑役<ぞうやく>」は、雑役の馬で、荷物を運んだり耕作に出たりと何でもやるが、駅馬などのような定型的な仕事では無いことをする馬。その馬の鞍をはずしてやる時刻になれば日はとっぷり暮れる。そんな時刻には庭の手入れの行き届いていない松が真っ黒に見える。
飯の中なる芋をほる月 嵐雪
<めしのなかなる いもをほるつき>。人馬一体となった一日の労働を終えて夕月の出た時刻の夕餉。今日の夕飯は芋飯。飯の中にサトイモを入れて炊いたもの。作者の好物。芋を箸で探してはじめに食べる。
漸と雨降やみてあきの風 利牛
<ようようと あめふりやみて あきのかぜ>。中秋の名月は別名「芋名月」ともいう。サトイモを月に供える風習から来た呼び方。前句を芋名月の夜と見て、月の出る前まで雨が降っていたのだが、月の時刻になって雨は上がり、かわって秋風が出てきた。
鶏頭みては又鼾かく 野坡
<けいとうみては またいびきかく>。雨にふられて仕事に出られない。この家の主人さっきまで庭先の雨の中の鶏頭を所在なげに見ていたが、雨が上がって秋風が吹いてきたというのに、またいびきをかいて寝てしまった。
奉公のくるしき顔に墨ぬりて 嵐雪
<ほうこうの くるしきかおに すみぬりて>。いびきをかいて寝ているのは丁稚奉公の少年。こき使われてくたびれているのであろう、いびきをかいて寝ている。その顔に同僚が面白がって墨を塗っている。余程疲れているのだろう。
抱揚る子の小便をする 利牛
<だきあぐるこの しょうべんをする>。女中奉公の女。朝から晩まで炊事に子守にと孤軍奮闘。寝ている子供のおしっこをさせようと抱き上げた瞬間に小便をかけられた。もちろん子供は主人の子供。
ぐわたぐわたと河内の荷物送り懸 野坡
<がたがたと かわちのにもつ おくりがけ>。河内行きの商品の発送に忙しい商店の店先。赤ん坊がちょこちょこ店先に出てきて危ないので抱き上げたらおしっこをかけられてしまった。
心みらるゝ箸のせんだく 嵐雪
<こころみらるる はしのせんだく>。良い箸を使っているかどうかセンスが見られる。前句の河内の買い付け先の仲買人に食事を提供しているのであろう。その際、接客に使う箸の質でこちらのホスピタリティが評価されるのである。
婿が来て娘の世とは成にけり 利牛
<むこがきて むすめのよとは なりにけり>。商家では男系相続より有能な能力を持つ婿養子に託す方が安全であるため、女系相続が多く行われた。婿をとると、家の切り盛りの実権は娘に移る。この家の娘はしまり屋で箸なども大切に使う。
ことしのくれは何も○はぬ 野坡
<ことしのくれは なにももらわぬ>。一家の権力が自分から娘夫婦に代わった今年の暮は、お歳暮も来なくなってしまった。さみしい!!。「○」は口偏に「羅」。
金佛の細き御足をさするらん 嵐雪
<かなぶつの ほそきみあしを さするらん>。金ぱくを張った仏像の御足をさすって、せめて来年が良い年でありますように、わけてもお歳暮に恵まれるぐらいの良い年でありますようにと祈るのであろう。
此かいわいの小鳥皆よる 利牛
<このかいわいの ことりみなよる>。人里離れた山寺の様子。和尚は仏像の清めに汗をかいていると、界隈の小鳥達がみな集まってきてにぎやかに囀っている。
黍の穂は残らず風に吹倒れ 野坡
<きびのほは のこらずかぜに ふきたおれ>。キビの茎は実によわく、その割には穂が重いので豊作の時には間違いなく倒伏する。すると雀など穀物を主食とする界隈の鳥がみな集まってきて穂をついばむ。
馬場の喧嘩の跡にすむ月 嵐雪
<ばばのけんかの あとにすむつき>。嵐に倒れたキビ畠のように騒乱の競馬<くらべうま>の馬場。昼は競技に喧嘩にと賑わっていたのが嘘のように今は秋の月に照らされて静寂そのもの。
弟はとうとう江戸で人になる 利牛
<おとうとは とうとうえどで ひとになる>。前句の喧嘩で思い出したのだが、喧嘩ばかりやっていた弟が江戸に出て頑張っていまでは成功している。
今に庄やのくちはほどけず 野坡
<いまにしょうやの くちはほどけず>。弟が江戸に出奔したことで人別帖を書き換えてもらいたいのだが庄屋はそれをかなえてくれない。
賣手からうつてみせたるたゝき鉦 嵐雪
<うりてから うってみせたる たたきがね>。梵鐘を売りつけに来た商人、自ら鐘を打ってその音の良いところをアピールしているのだが、しまり屋の名主は未だに買おうとは言わない。
ひらりひらりとゆきのふり出し 利牛
<ひらりひらりと ゆきのふりだし>。そのうちに雪がひらひらと舞い降りてきた。初冬の集落。
鎌倉の便きかせに走らする 野坡
<かまくらの たよりきかせに はしらする>
。降り始めた雪に触発されて鎌倉のことが回顧された。実朝の歌「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」か、謡曲「鉢の木」か?
かした處のしれぬ細引 嵐雪
<かしたところの しれぬほそびき>。細引は荷造り用の紐のこと。貸した細引きを返してもらいたいのだが誰に貸したのだか忘れてしまった。前句の「便」から荷送りを思い出した。
獨ある母をすゝめて花の陰 利牛
<ひとりある ははをすすめて はなのかげ>。夫に死に別れて年老いた母を花見に連れ出そうという親孝行。
まだかびのこる正月の餅 野坡
<まだかびのこる しょうがつのもち>。正月の餅がかびてはいるが残っている。それを老母と一緒の花見のご馳走にしよう。
ふか川にまかりて
空豆の花さきにけり麥の縁
<そらまめの はなさきにけり むぎのへり>。麦畑のまわりにはソラマメが植えてあって、それが紫と白の可愛い花をつけています。私も蕉門の縁に置かせてください。ソラマメのように可憐な花を咲かせて見せますから、というのかどうか??
昼の水鶏のはしる溝川 芭蕉
<ひるのくいなの はしるみぞがわ>。御覧なさい、ここらの川では、昼でも水鶏がよちよち歩いていますよ。孤屋の挨拶につけた芭蕉の歓迎の吟。水鶏は夜に登場する鳥。その鳴き声が戸をたたく音に似ていることから、夜の訪問者に擬人化されて詩に登場することが多い。その水鶏が時ならぬ真昼間に、よちよち歩いているとすることで孤屋の緊張を取り除こうというのである。
上張を通さぬほどの雨降て 岱水
<うわばりを とおさぬほどの あめふりて>。前句で溝の水が溢れているとしたので、それは防水着に水が通るほどの強い雨が降ったためだ、というのである。
そつとのぞけば酒の最中 利牛
<そっとのぞけば さけのさいちゅう>。そんな大降りの雨では仕事にならないというのでこの家の主人は朝から酒盛りを始めた。ソット覗いてみれば酒盛りの最中だ。
寝處に誰もねて居ぬ宵の月 芭蕉
<ねどころに だれもねていぬ よいのつき>。大店の奉公人部屋。就寝の時刻だというのに誰も布団の中には居ない。何処へ行ったのかとそっと覗いてみれば、酒盛りの真っ最中。
どたりと塀のころぶあきかぜ 孤屋
<どたりとへいの ころぶあきかぜ>。誰も寝床にいないというのもそのはずで秋風に塀がどさりと倒れたので今それを起こしている最中なのだ。
きりぎりす薪の下より鳴出して 利牛
<きりぎりす まきのしたより なきだして>。秋風の中に薪の下からコオロギが鳴き出した。単純な付。
晩の仕事の工夫するなり 岱水
<ばんのしごとの くふうするなり>。夜なべ仕事をしているのである。
いもうとをよい處からもらはるゝ
孤屋
<いもうとを よいところから もらわるる>。夜なべ仕事をするような堅実な男の妹だから良い口から結婚話が来たのであろう。
僧都のもとへまづ文をやる 芭蕉
<そうずのもとへ まずふみをやる>。「僧都」は、僧綱<そうごう>の一。僧正の下、律師の上に位し、僧尼を統轄する。初め一人であったが、のちに大・権大・少・権少の四階級に分かれる(『大辞林』)。妹の縁談に関して先ず尊敬する僧都に手紙を書いて報告する。
風細う夜明がらすの啼わたり 岱水
<かぜほそう よあけがらすの なきわたり>。弱いながらも風が吹いている。その中を烏が不吉な声を上げて飛んでいく。病人の最期を看取るために大急ぎで僧都に知らせるべく遣いを出す。
家のながれたあとを見に行 利牛
<いえのながれた あとをみにゆく>。秋の大洪水の夜が明けた。被害は如何程か?家々の流れた後を見に行く。毎年毎年の年中行事だったのである。
鯲汁わかい者よりよくなりて 芭蕉
<どじょうじる わかいものより よくなりて>。ドジョウ汁を食べたら元気になって若い者よりはつらつとしている。前句の洪水の見回りの折にドジョウを捕まえてきたのである。
茶の買置をさげて賣出す 孤屋
<ちゃのかいおきを さげてうりだす>。若い者より元気なのは身体だけではない。商才の方も負けてはいない。新茶の安い時期に仕入れておいたのを品薄になったのを倉から下げて売り出して大いに儲けたのだ。
この春はどうやら花の静なる 利牛
<このはるは どうやらはなの しずかなる>。前句の「さげて」は値下げの意ととって、不景気で商品が売れないので値下げして売り出したとする。不景気の春だから花見景気も起こらない。
かれし柳を今におしみて 岱水
<かれしやなぎを いまにおしみて>。こんな花のさみしい春には、きまって思い出すのは枯れてしまった庭の柳の木のことだ。鎌倉時代以後柳は庭木に珍重されるようになった。
雪の跡吹はがしたる朧月 孤屋
<ゆきのあと ふきはがしたる おぼろづき>。春の淡雪の降った後で、春風とともに現れた朧月。寒い春で、前句の柳の葉が枯れたのはこの寒さのせいだというのであろう。
ふとん丸げてものおもひ居る 芭蕉
<ふとんまるげて ものおもいいる>。朧月を見ながら物思いにふける女。寝床の布団を丸めてそれにもたれて。恋のわずらい。
不届な隣と中のわるうなり 岱水
<ふとどきな となりとなかの わるうなり>。前句の女の親は、隣家と仲が悪い。娘はその隣家の息子と恋仲になって、親の不仲の板ばさみで苦しんでいるのだろう。
はつち坊主を上へあがらす 利牛
<はつちぼうずを うえへあがらす>。「はつち坊主」は托鉢僧。何時もは門口で托鉢していくだけの僧侶を上へ招じ入れる。あちらは不届き、こちらはやさしいというこれ見よがしの行為。
泣事のひそかに出來し浅ぢふに 芭蕉
<なきごとの ひそかにできし あさじゅうに>。「浅ぢふ」は、「浅茅」でチガヤのことだが、ここでは浅茅の宿のことで貧しい家。前句の托鉢の僧を引き入れたのは悲劇、つまり葬儀が出来したためである。
置わすれたるかねを尋ぬる 孤屋
<おきわすれたる かねをたずねる>。なけなしのお金を何処に置き忘れたか見つからない。前句の「泣き事」とはこの貧乏家に起こった大事件、お金の隠し場所を忘れたことだったのだ。
着のまゝにすくんでねれば汗をかき 利牛
<きのままに すくんでねれば あせをかき>。大事なお金を肌身離さず懐にしまって寝るということになれば、当然懐を抱きかかえて一晩中動かずに横になっているわけで、汗だらけになってしまう。
客を送りて提る燭臺 岱水
<きゃくをおくりて さげるしょくだい>。夜中に出発する客を送らなくてはならないので旅籠の主人は着の身着のまま寝ていたのだが、その時刻になったので自ら燭台を下げて見送りに出る。
今のまに雪の厚さを指てみる 孤屋
<いまのまに ゆきのあつさを さしてみる>。遊里の朝帰りの客を送り出して外に出てみると雪が積もっている。その折に、雪の深さを測ってみる。燭台を持って出てきたのは遊女。
年貢すんだとほめられにけり 芭蕉
<ねんぐすんだと ほめられにけり>。年貢を秋の早いうちに完納したので、代官所から褒められた。今年の冬は雪が深いらしいと見当をつけたので、来年の豊作は間違いないと見て、早々納税を済ましたのだ。
息災に祖父のしらがのめでたさよ 岱水
<そくさいに そふのしらがの めでたさよ>。三代そろった健全な農家。おじいさんも白髪だが健康。年貢は納められたし、良い年を迎えられそうだ。
堪忍ならぬ七夕の照り 利牛
<かんにんならぬ たなばたのてり>。七夕は秋のはじめ。しかし、我慢なならないほどの猛暑が続く。そんな暑い季節にもかかわらず、一家の祖父は元気。
名月のまに合せ度芋畑 芭蕉
<めいげつの まにあわせたき いもばたけ>。七夕が過ぎれば、間も無く中秋の名月。お供えの芋の出来が気になる。ぜひ、それまでに実ってもらいたい。
すたすたいふて荷ふ落鮎 孤屋
<すたすたいうて になうおちあゆ>。芋畠の中を天秤棒に落ち鮎を入れて、朝市に間に合うようにすたすたと急いでいく人がいる。今宵は芋名月。
このごろは宿の通りもうすらぎし 利牛
<このごろは やどのとおりも うすらぎし>。最近は不景気で宿場の通りも人通りもまばらになってしまった。だから、棒振りの落ち鮎売りの百姓も客に呼び止められることもなくすたすたと歩いていくことになる。
山の根際の鉦かすか也 岱水
<やまのねぎわの かねかすかなり>。向こうの山の麓の寺の夕べの鐘の音さえも元気がなくなってしまったようにかすかにしか聞こえない。何から何まで元気がなくなってしまった。
よこ雲にそよそよ風の吹き出す 孤屋
<よこぐもに そよそよかぜの ふきいだす>。前句の「山の根際」に触発されて、「枕草子」冒頭「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の
ほそくたなびきたる。」を思い出した。そよそよ吹く風は春風であろう。
晒の上にひばり囀る 利牛
<さらしのうえに ひばりさえずる>。河原にひろげられた晒の布の上をひばりが囀りながら天高く上っていく。春の昼下がり。
花見にと女子ばかりがつれ立て 芭蕉
<はなみにと おなごばかりが つれだちて>。向島では桜が満開。商家の娘達であろう女ばかりの一団が着飾って花見にと出かけていく。
余のくさなしに菫たんぽゝ 岱水
<よのくさなしに すみれたんぽぽ>。これら女達を引き立てようとて、河原に咲いた花はタンポポと菫ばかり。臨場華やかさを一段と増してくれることだ。
芭蕉
孤屋
岱水
利牛
各九句
子は裸父はてゝれで早苗舟
<こははだか ちちはててれで さなえぶね>。「ててれ」は、「ててら」に同じ
、また「どてら」とも。労働用襦袢のこと。田植えのシーン。子供は裸で泥だらけになって早苗舟に乗っている。父親はそれに苗を載せて手押しして早乙女達に苗を運ぶ下働き。
岸のいばらの眞ツ白に咲 野坡
<きしのいばらの まっしろにさく>。田植えの季節は野バラの季節でもある。一重の白いつるバラがせせらぎの岸辺に可憐に咲いている。昔懐かしい情景。
雨あがり珠数懸鳩の鳴出して 孤屋
<あめあがり じゅずかけばとの なきだして>。この季節は雨季。雨が止むのを待っていたかのように鳩がなく。のどかな山村の田園風景。数珠懸鳩は「しらこ鳩」で、天然記念物に指定されている貴重な種。小型の鳩で、首に黒い線が珠数のように見えるところから命名されたらしい。
与力町よりむかふ西かぜ 利牛
<よりきまちより むかうにしかぜ>。雨上がりを待ってこちらも外出する。与力町から西の方角へ風に逆らいながら。
竿竹に茶色の紬たぐりよせ 野坡
<たけざおに ちゃいろのつむぎ たぐりよせ>。西風にあおられて選択竿に干しておいた茶色の紬の着物が東の端にたぐり寄せられてしまったようだ。
馬が離れてわめく人聲 孤屋
<うまがはなれて わめくひとごえ>。馬が突然暴れだしたという声が表通りから聞こえてきたので、こっちに来られては困るので大慌てで干し物を取り込む江戸下町のかみさん。
暮の月干葉の茹汁わるくさし 利牛
<くれのつき ひばのゆでじる わるくさし>。年の瀬の月がかかっている夜のこと。干し大根葉をゆでたゆで汁を馬のかいば桶にさしてやったいた折に、間違ってません棒をはずしてしまって、馬が小屋から飛び出したらしい。
掃ば跡から檀ちる也 野坡
<はけばあとから まゆみちるなり>。「檀」は「真弓<マユミ>」、ニシキギの変種で、秋に小さな実をつける。庭木に多用されいる。煮え汁をこぼしてしまったので箒で掃除をしていると、きれいになった庭に真弓の紅葉がはらはらと落ちる。
ぢゝめきの中でより出するりほあか 孤屋
<じじめきの なかでよりだす るりほあか>。「じじめき」は、雀・鼠などが鳴き立てたり。ざわざわと音を立てる。騒がしい音や声を立てること(『大辞林』)。ここでは、小鳥達が恐怖のあまり泣き叫ぶこと。愛玩用の赤瑠璃鳥を捕まえるためにマユミの木の近くにおとりをつけて置いたところ、沢山の小鳥が捕獲された。その中から赤瑠璃だけ取り出して以外は逃がすのだが、小鳥達は恐怖に騒いでいる。
坊主になれどやはり仁平次 利牛
<ぼうずになれど やはりにへいじ>。仁平次が、髪を落として坊主になったというが、相変わらず小鳥を捕まえている。瑠璃鳥を捕まえるのは殺生ではないらしいが、それにしても生き物を虐待することで、俗物の仕業に違いないのである。「仁平次」は特に誰というのではなく、俗人の代名詞として使われたもの。
松坂や矢川へはいるうら通り 野坡
<まつざかや やがわへはいる うらどおり>。「矢川」は伊勢の松坂にあったという伝説的な華街。仁平次はこの矢川に入る道筋に住んでいるのである。色町には近いが、悟りには遠いか?
吹るゝ胼もつらき闇の夜 孤屋
<ふかるるひびも つらきやみのよ>。「胼」は、ひび・あかぎれの「ひび」のこと。矢川に入る街角に立つ私娼。ひびが切れて寒風に痛む。つらい冬の闇夜。
十二三弁の衣裳の打そろひ 利牛
<じゅうにさん べんのいしょうの うちそろい>。「弁」は「弁官」で、律令制において、太政官を構成する機構の一。太政官とその管轄下の諸官司・諸国とを結んでその行政指揮運営の実際をつかさどった。左弁官・右弁官に分かれ、それぞれ大中少の弁(おおともい)があった。おおともいのつかさ(『大辞林』)。寒風吹く冬の夜、12,3人の弁官がそろって儀式に参列している。ひびやあかぎれの痛む冬の夜のことで、辛い勤めだ。
本堂はしる音はどろどろ 野坡
<ほんどうはしる おとはとろとろ>。この行事は、二月堂のおみずとり。その忙しいことといったら、氷の僧の靴の音が本堂のあっちへ行ったりこっちへ来たり。
日のあたる方はあからむ竹の色 孤屋
<ひのあたる かたはあからむ たけのいろ>。
前句の本堂を走る音というのは、右往左往で堂々巡りをしているためである。竹の幹と同じで日の当たるところは少し黄色くなり、反対側は緑色をしている。裏表を一周すれば黄と緑が交互に出てくる。堂々巡りと同じだというのである。牽強付会の付け。
只奇麗さに口すゝぐ水 利牛
<ただきれいさに くちすすぐみず>。竹林の脇から清冽な湧き水が滴り落ちている。その澄んだ美しさに思わず口をすすいだものだ。
近江路のうらの詞を聞初て 野坡
<おうみじの うらのことばを ききそめて>。「うらの詞」とは「浦の詞」で琵琶湖を擁する近江の国を称える言葉のこと。近江の国は国中に灰汁が無く、水に穢れが無い、という意味の讃である(「風俗文撰」)。前句の「きれいな水」に触発された付。
天氣の相よ三か月の照 孤屋
<てんきのそうよ みかづきのてり>。琵琶湖の浦に三日月が上がってきた。明日も良い天気になるだろう。
生ながら直に打込むひしこ漬 利牛
<いきながら すぐにうちこむ ひしこづけ>。「ひしこ漬」は小形のカタクチイワシを塩漬けにしたもの(『大辞林』)。前句を漁港の夕方の景と見て、獲りたてのいわしをすぐに塩漬けする浜の作業としたもの。
椋の實落る屋ねくさる也 野坡
<むくのみおちる やねくさるなり>。塩漬け作業小屋は大きな椋の木の下の粗末な藁屋根の建物。夏になると椋実が大量に落ちてきて、藁屋根を腐らせる。イワシのイメージから「腐る」藁屋根をイメージしたもの。
帯賣の戻り連立花ぐもり 孤屋
<おびうりの もどりつれだつ はなぐもり>。
椋の大きな木のある村中の道を、行商の帯売りたちが帰っていく。花ぐもりの春の日。
御影供ごろの人のそはつく 利牛
<おめいくくごろの ひとのそわつく>。「御影供<おめいく、又は、みえいく>」は、真言宗で、空海の忌日である三月二一日に、その画像をかけて行う法会。「みえく」とも。京都の東寺では四月二一日に行う(『大辞林』)。「そはつく」はそわそわして落ち着かないさま。この季節になると花に浮かれて人々は落ち着かなくなる。
ほかほかと二日灸のいぼひ出 野坡
<ほかほかと ふつかやいとの いぼひいで>。「二日灸<ふつかやいと>」とは、陰暦二月二日に据える灸。この日に据えると効能が倍あり、病気をせず、災難をのがれ、長寿を保つとされた。「ふつかきゅう」とも(『大辞林』)。「いぼひ出」は、灸の据え跡が化膿した状態からかさぶたが付いてイボ状になった状態。御影供の頃になると二日灸の化膿跡がかさぶたになってくる。こうなれば健康であると当時信じられていたのである。
ほろほろあへの膳にこぼるゝ 孤屋
<ほろほろあえの ぜんにこぼるる>。かさぶたが痛むので、「ほろほろ」あえのような「ぼそぼそ」した食べ物を食べると、「ぼろぼろ」こぼすことになるだろう。「ほろほろあえ」はフキの葉を煮て味噌を和えた持久食品といわれている。
ない袖を振てみするも物おもひ 利牛
<ないそでを ふりてみするも ものおもい>。無い袖を振ってみるとそこから何か「ほろほろ」とこぼれるであろうが、そうやってまでも無い袖を振って見せるのが誠実さというものだ。
舞羽の糸も手につかず操 野坡
<まいばのいとも てにつかずくる>。前句を、何もかも捨てて恋に生きる女として、その女は今日も恋に没頭していて織物に手が付かずにいる。「舞羽」は糸繰の意。
段々に西国武士の荷のつどひ 孤屋
<だんだんに さいごくぶしの にのつどい>。街道筋の運送業者。西国武士の参勤交代の荷物であろう、次々に到着する。糸繰は後回しにしてそちらに加勢しないといけなくなったので、この家の女主人は糸繰作業を一時中止。
尚きのふより今日は大旱 利牛
<なおきのうより きょうはおおでり>。忙しいのに天気はというと昨日より今日の方がはるかに太陽がかんかんと照って暑い。
切うじの喰倒したる植たばこ 野坡
<きりうじの くいたおしたる うえたばこ>。「切うじ」はガガンボの一種キリウジガガンボの幼虫。稲や麦の苗を食害する。(『大辞林』)。こういう暑い季節になると葉タバコの天敵であるキリウジが発生して被害が広がる。
くばり納豆を仕込廣庭 孤屋
<くばりなっとを しこむひろにわ>。寺の広い庭では、檀家に配る納豆作りが檀家総出で行われている季節。
瘧日をまぎらかせども待ごゝろ 利牛
<おこりびを まぎらかせども まちごころ>。こういう作業をしていると「おこり」による頭痛などを紛らわせることができそうなものなのだが、ついついそのことが頭から離れなくて困る。
藤ですげたる下駄の重たき 野坡
<とうですげたる げたのおもたき>。籐の鼻緒の下駄を履いて歩いてみたが、下駄が重く感じられて仕方が無い。前句の「おこり」病人の病状。
つれあひの名をいやしげに呼まはり 孤屋
<つれあいの なをいやしげに よびまわり>。長屋の上さんであろう、だみ声を振り絞って亭主の名前を呼びまわっている。夫婦喧嘩の延長だろう。籐で編んだ鼻緒の重たそうな下駄を引っ掛けてその格好たるや何ともいやはや!!
となりの裏の遠き井の本 利牛
<となりのうらの とおきいのもと>。前句の名前を呼んでいる場所が、隣家の裏にある井戸の辺りだというのである。亭主が井戸に飛び込んだとでも思っているのか?。
くれの月横に負來る古柱 野坡
<くれのつき よこにおいくる ふるばしら>。夕暮れ時の月の夜、誰だか知らないが古い柱を背負って井戸端にやってきた。横に背負っているから実に危ない。
ずいきの長のあまるこつてい 孤屋
<ずいきのたけの あまるこってい>。「こつてい」は「ことい」の転「こというし(特牛)」に同じ。古くは「こというじ」とも。強く大きな牡牛(『大辞林』)。「ずいき<芋茎>」はサトイモの茎を乾燥させて作った食品。前句の古柱は牡牛が背負っていること。その長さは芋茎の寸法に余るというから6尺程度であろう。
ひつそりと盆は過たる浄土寺 利牛
<ひっそりと ぼんはすぎたる じょうどでら>。庫裏の屋根の下には芋茎が干してあり、その向こうには牡牛も飼われている田舎の浄土宗の寺の初秋の風景。もう盂蘭盆も過ぎて日脚がすっかり長くなってきた。
戸でからくみし水風呂の屋ね 野坡
<とでからくみし みずぶろのやね>。この寺の風呂場ときたら戸板で囲って屋根を作ってある粗末なもの。
伐透す樅と檜のすれあひて 孤屋
<きりすかす もみとひのきの すれあいて>。樅木と檜木の幹がすれ合って風が吹くたびにキュウキュウと鳴る。間伐をして擦れ合うのを防ぐ。前句の風炉桶は庭にあって、そこに針葉樹が生えているのであろう。
赤い小宮はあたらしき内 利牛
<あかいこみやは あたらしきうち>。檜木や樅のはえる山際に新装なった新しい祠。朱塗りの赤がまぶしいくらいだ。何でも新しいうちは好いなぁ。
濱迄は宿の男の荷をかゝえ 野坡
<はままでは やどのおとこの にをかかえ>。浜の渡し舟の発着所まで宿の男が荷物を持って送ってきてくれた。その時、祠のそばを通ったのだが、小宮の朱色がきれいだねというと、男は、これも新しいうちだけですよと答えたというのである。
師走比丘尼の諷の寒さよ 孤屋
<しはすびくにの うたのさむさよ>。「諷」はそえうたで、他の事物に託して読む種類の詩。ここの「比丘尼」は勧進のための女性達で、何処かの寺の修造や新築の資金を集める目的で各地を歩くのだが、これが生きる糧となっている貧しい者達であった。彼女のうたう悲しい勧進の諷が師走の夕暮れの港に悲しく響いている。
餅搗の臼を年々買かへて 利牛
<もちつきの うすをねんねん かいかえて>。師走の街には、比丘尼の哀れな諷も聞こえるが、一方では毎年臼を買い換えるようなお大尽もいる。悲喜こもごもの年の瀬の風景。
天滿の状を又忘れけり 野坡
<てんまのじょうを またわすれけり>。「天満」は大坂天満。天満の誰彼宛の書状を年末の忙しさにかまけて出し忘れている。忘れているぐらいだから商売上の書状ではあるまい。
廣袖をうへにひつぱる舩の者 孤屋
<ひろそでを うえにひっぱる ふねのもの>。番隨院長兵衛が着たような幅広な上っ張りを着たやくざな格好の船乗り男。かれがその袖を片手で引き上げながら、おそらく長いつまようじを口に加えながらやってきた。忘れた天満の手紙を持参した。
むく起にして参る觀音 利牛
<むくおきにして まいるかんのん>。前句の男、起き抜けに観音にお参りする。海の安全を祈願するのである。
燃しさる薪を尻手に指くべ
て 野坡
<もえしさる まきをしりでに さしくべて>。長い薪がかまどの中で燃えてきて、少しになってきたので向きを反対にしてかまどの中に入れ換える行為。観音様の門前の茶屋のおばあさんの朝の湯沸しの模様。
十四五両のふりまはしする 孤屋
<じゅうしごりょうの ふりまわしする>。14,5両の元手で商売を切り盛りする零細企業経営者。その上さんは倹約家で燃料なども無駄には使わない。「ふりまわし」はやりくりすろこと。
月花にかきあげ城の跡ばかり 利牛
<つきはなに かきあげしろの あとばかり>。「かきあげ城」とは、簡単な堀を掘り土塁を盛った程度の小規模な城郭(『大辞林』)。この街は、そんな貧相な城があるだけの田舎町です。だから事業を経営するのは難しいのである。
弦打颪海雲とる桶 孤屋
<つるうちおろし もずくとるおけ>。「弦打」は、妖怪変化や魔性の物を退散させるまじないに、弓の弦をはじき鳴らすこと。また、それをする人(『大辞林』)。弓弦を鳴らすような音のする寒風の吹きすさぶ中、ここらの浜ではモズクを桶に取って零細な商をする。
機嫌能かいこは庭に起かゝり 野坡
<きげんよく かいこはにわに おきかかり>。庭に作った蚕室、その中で脱皮から醒めた蚕が起きる。このとき、蚕は倍の大きさになるので一つの床に入れる蚕を半減させる。養蚕農家の繁忙な時期である。海では漁師はモズク漁をしている。
小昼のころの空静也 利牛
<こひるのころの そらしずかなり>。「小昼」は仲入れの時刻。午前10時ごろの中休みを農家ではする。蚕の世話をしながら一休み。空は晴れて雨はなさそうだ。
縁端に腫たる足をなげ出して 孤屋
<えんばなに はれたるあしを なげだして>。足をくじいた病人が起きだしてきて縁側で閑な外を眺めている。家人たちはみな出はらった小昼の刻。
鍋の鑄かけを念入てみる 野坡
<なべのいかけを ねんいれてみる>。縁側の傍らには鋳掛け屋に修理させた鉄鍋があったので、それを暇にまかせてためつすがめつ眺めて職人の技量をはかろうとしているのである。
麥畑の替地に渡る傍じ杭 利牛
<むぎはたの かえちにわたる ぼうじぐい>。杭を打って境界を確定した替地の麦畑だが、この替地の面積の不足分を鍋一つで清算したのだが、前句は、そのもらった鍋を念入りに品定めしていたのである。
賣手もしらず頼政の筆 孤屋
<うりてもしらず よりまさのふで>。畑を売った相手は、物の価値の分からない人で。源三位頼政の筆になる書なども二束三文で交換していった。唐様に書く三代目なのであろう。
物毎も子持になればだヾくさに 野坡
<ものごとも こもちになれば だだくさに>。子持ちのだらしなさというもので、書の価値などどうでもよくなるのである。生活苦と多忙とでもみくちゃになっている中年女。
又御局の古着いたヾく 利牛
<またおつぼねの ふるぎいただく>。本当にもう近頃は子育てに精一杯で、書を楽しんだり絵を楽しんだりなどしておりません、と以前かしずいていたお局様に話したところ、それは大変ねと言って古着などを下賜してくださったのであろう。
妓王寺のうへに上れば二尊院 孤屋
<ぎおうじの うえにのぼれば にそんいん>。「妓王寺」は祇王寺で、京都市右京区嵯峨にある真言宗大覚寺派の尼寺。祇王・祇女とその母、および仏御前が隠棲した往生院の跡地にある。「二尊院」は、京都市右京区嵯峨にある天台宗の寺。山号、小倉山。正式名は二尊教院華台寺。承和年間(834-848)嵯峨天皇の創建。法然の再興。天台・律・真言・浄土の四宗兼学の道場だったが明治維新後天台宗に改宗。釈迦と阿弥陀の二尊を本尊とする(以上、いずれも『大辞林』)。前句の御局様は嵯峨野に住んでいるのであろう。
けふはけんがく寂しかりけり 野坡
<きょうはけんがく さみしかりけり>。「けんがく」は「懸隔」。祇王寺をたずね、今日は二尊院を訪問したのだが、二つの寺が今では没交渉と聞いて寂しくなってしまった。前句は、古くから両寺院と交流のあった人の報告だったのであろう。
薄雪のこまかに初手を降出し 利牛
<うすゆきの こまかにしょてを ふりいだし>。初めのうちはうっすらと降ってきた雪が、しんしんと降り出したようだ。山寺のさみしいわび住まいの景。
一つくなりに鱈の雲膓 孤屋
<ひとつくなりに たらのくもわた>。「雲腸<くもわた>」とは、鱈の腸。塩漬けにして吸い物などにする。菊腸<きくわた>とも(『大辞林』)。これが一塊になっているというのである。雪が降ってきて、早速鍋料理で雪見の料理を始めよう。
錢ざしに菰引ちぎる朝の月 野坡
<ぜにざしに こもひきちぎる あさのつき>
。「銭ざし(=銭差)」とは、銭の穴に通して束ねるのに用いたひも。主に麻縄・わら縄製。さし。銭縄、銭貫<ぜにつら>とも
(『大辞林』)という。早朝の魚市場。たらを商ったあとで、そのお金を藁の薦を引きちぎって銭ざしがわりにしばりつける。
なめすヾきとる裏の塀あはひ 利牛
<なめすずきとる うらのひあわい>。「なめすずき」は茸の一種エノキダケのこと。「あはひ」は、「間」のこと。ここでは、江戸や京都の町屋のせまい路地裏の薄暗い場所を指すのであろう。そこにエノキ茸を栽培していて、そこへ仲買人か誰かが買い付けに来て、その茸の床の藁を引きちぎって銭ざしとしたのであろう。
めを縫て無理に鳴する鵙の聲 孤屋
<めをぬいて むりになかする もずのこえ>。目を縫い合わせた鳥追いに使うモズ。モズは小鳥には天敵なので小鳥を追い出すのに使うのであろう。モズを鳴かすために、路地の薄暗いところから外を見ながら紐を引っ張っている情況か?
又だのみして美濃だよりきく 野坡
<まただのみして みのだよりきく>。知人に頼んで郷里の美濃の便りを聞く。故郷にいられなくなった男が江戸に出てきて鳥追いをやっているらしい。
かゝさずに中の巳の日をまつる也 利牛
<かかさずに なかのみのひを まつるなり>。「巳の日」は、陰暦三月上旬の巳の日に行われる祓。身のけがれを人形(ひとかた)に移し、川や海に流し捨てた行事。上巳<じようし>の祓
(『大辞林』)。この日には欠かさずまつりをする。前句の「美濃」に語呂合わせしただけのもの。
入来る人に味噌豆を出す 孤屋
<いりくるひとに みそまめをだす>。味噌を作るために大豆を煮ていると、いい香りに誘われて人がやってくるので、それを振舞っているという。前句の流儀で、「巳の日」を「味噌の日」と語呂合わせしただけ。
すぢかひに木綿袷の龍田川 野坡
<すじかいに もめんわせの たつたがわ>。ななめに竜田川を流れる紅葉の流水紋を描いた着物に木綿襟をつけた女が豆を食いに来た。派手ななりをしているところを見ると日本橋辺りの芸者かもしれない。
御茶屋のみゆる宿の取つき 利牛
<おちゃやのみゆる しゅくのとりつき>。宿場に入ってきたら、真っ先に見えたのが華街の御茶屋で、そこに前句の派手な着物を着た女がいたのである。
ほやほやとどんどほこらす雲ちぎれ 孤屋
<ほやほやと どんどほこらす くもちぎれ>。「どんど」はドンド焼のこと。正月15日の小正月行事。「ほこらす」は景気良くやること。正月15日の茜雲が消える頃にドンド焼を勢い良く始めた。華街の若い衆が御茶屋の前の通りで始めたのである。
水菜に鯨まじる惣汁 野坡
<みずなにくじら まじるそうじる>。「惣汁」は、家族や使用人など総出で食べる汁物の意。ここでは小正月に鯨肉を入れた水菜の汁を食べる習慣。野坡の出身の越前辺りでこういう風習があったのか??
花の内引越て居る樫原 利牛
<はなのうち ひっこしている かたぎはら>。「樫原<かたぎはら>」は京都西京樫原廃寺付近の地名。山陰へ続く街道筋。竹薮などの多い閑静な地。だから、桜のシーズンは京は賑やかで煩いのでこの期間ここに疎開している。そこで、水菜の鯨汁を食べている。
尻輕にする返事聞よく 孤屋
<しりがるにする へんじききよく>。この疎開先の使用人は尻軽で行動がきびきびしていて返事もはきはきしている。気持ちがいいものだ。
おちかゝるうそうそ時の雨の音 野坡
<おちかかる うそうそどきの あめのおと>。「うそうそ時」は、物がはっきり見えない夕暮れ時、または夜明け前(『大辞林』)。うすぐらくなる夕暮れ、急に雨が降ってきたので使用人に戸締りを命じたのだが、二つ返事でてきぱきと片付をしている姿。
入舟つヾく月の六月 利牛
<いりふねつづく つきのろくがつ>。水無月の江戸の芝辺りの港は入船で賑わう。そんな夕方に月が出ていたかと思ったら突然雨が来た。
拭立てお上の敷居ひからする 孤屋
<ふきたてて おうえのしきい ひからする>。水無月の乾燥して土ぼこりの上がる座敷の敷居を念入りに掃除して月夜でもぴかぴかに見えるように磨きこむ。富裕な交易商人の住まい。
尚云つのる詞からかひ 野坡
<なおいいつのる ことばからかい>。掃除をしながら下女達が喧嘩をしている様。下女頭が注意をしてもなおいいつのる。
大水のあげくに畑の砂のけて 利牛
<おおみずの あげくにはたの すなのけて>。洪水の後、畑は砂で埋まってしまった。隣家との境界線が不明になったために境界に立って百姓二人取っ組み合いの喧嘩をしている。
何年菩提しれぬ栃の木 孤屋
<なんねんぼさつ しれぬとちのき>。鎮守の神木だったトチノキが洪水でこの畑まで流されてきた。樹齢は何年なのか、旧いものだが。砂をのけて、さあどうしたものか??
敷金に弓同心のあとを継 野坡
<しききんに ゆみどうしんの あとをつぎ>。「同心」江戸幕府の下級役人。鎌倉時代など、もとは下級の兵士だった。同心株によって世襲されたが時としてこれが売買された。大きなトチノキのあるこの家は、代々続いた同心の家で、弓同心株を代々受け継いできた家柄。
丸九十日隰をわづらふ 利牛
<まるくじゅうにち しつをわずらう>。身代を受け継いだ直後からわずらってしまって、今日まで寝たきりの90日。どうも最初からうまくいかない。
投打もはら立まゝにめつた也 孤屋
<なげうちも はらだつままに めったなり>。寝たきりでイライラがたまったのであろう。腹立ち紛れに物を手当たり次第に投げてよこす。
足なし碁盤よう借に来る 野坡
<あしなしごばん ようかりにくる>。板状の碁盤を借りに来ては碁をうっているようだが隣家の男、負ける度に癇癪を起こして碁石を投げたりなどしているのだ。
里離れ順礼引のぶらつきて 利牛
<さとばなれ じゅんれいひきの ぶらつきて>。宿場の里から少し手前のところに陣取って碁を打ったり、ながらぶらついたりしている巡礼客の客引きをしているポン引き。
やはらかものを嫁の襟もと 孤屋
<やわらかものを よめのえりもと>。女巡礼の客がお金持ちかどうかを女性の襟元で確認するベテラン客引き。
氣にかゝる朔日しまの精進箸 野坡
<きにかかる ついたちしまの いもいばし>。「精進箸」は、忌い箸で忌日に使う塗りなどの無い質素な箸。月初めの祝い日に、食事の相棒が忌み箸を持ち出して食っている、その訳が分からないので気にする様子。この家に嫁に来た女だが、実家の誰かの忌日なのだろうか??聞くわけにも行かない。
うんぢ果たる八専の空 利牛
<うんじはてたる はっせんのそら>。「八専<はっせん>」とは、陰陽道(おんようどう)で、壬子<みずのえね>の日から癸亥<みずのとい>の日までの一二日のうち、丑<うし>・辰<たつ>・午<うま>・戌<いぬ>の日を除いた八日。一年に六度ある。棟上げに吉、結婚・畜類の売買・神仏のことを忌む日という(『大辞林』)。「うんじ」は運事。前句の忌み箸の件は、八専のためだったのである。
丁寧に仙臺俵の口かヾり 孤屋
<ていねいに せんだいだわらの くちかがり>。口かがリがきれいに結わえてある仙台から来た米俵。八専のためその口が切ってない。仙台米は大崎耕土からの米を北上川の舟運で運んで石巻から江戸に百石舟で運んだ。
訴訟が済で土手になる筋 野坡
<そしょうがすんで どてになるすじ>。この筋は一帯土手になる。境界争いで訴訟が続いていたのが結審して、工事が開始される。前句の口かがりのよい俵は土嚢である。これで土手を作るのだろう。
夕月に醫者の名字を聞はつり 利牛
<ゆうづきに いしゃのみょうじを ききはつり>。夕月の出たそんな場所を医者を探して歩いている。医者の苗字だけを聞いただけの情報だから心もとないのだが、余程緊急な事態なのであろう。
包で戻る鮭のやきもの 孤屋
<つつんでもどる さけのやきもの>。そうではなくて苗字も良く知らない医者を探したが見つからず、焼いた鮭を包んだまま戻っていく。焼いた鮭は快気祝いで、それを世話になった医者の家に持って行ったのだが会えなかったのであろう。
定免を今年の風に欲ぼりて 野坡
<じょうめんを ことしのかぜに よくぼりて>。「定免<じょうめん>」とは、江戸時代の徴税法の一。年貢高を固定し、ある一定期間、豊凶にかかわらず納めさせる方法。年貢高は、5年.10
年.20
年などある期間の平均をとって定められた。享保の改革で実施され、以後全国に普及した。定免法。定免取り(『大辞林』)。それなのに税率を上げると役人が言い出した。風害で税収が少ないからというのだが勝手にしろ、欲張りめ!!
もはや仕事もならぬおとろへ 利牛
<もはやしごとも ならぬおとろえ>。苛酷な税の取立てにもう仕事をするのもいやになった。気力もなえてしまったのだろう。
暑病の殊土用をうるさがり 孤屋
<あつやみの ことにどようを うるさがり>。暑気当りをした老人は、土用のこの暑さは耐えがたい。もはや余命いくばくも無い。
幾月ぶりでこゆる逢坂 野坡
<いくつきぶりで こゆるおうさか>。京都の暑さに耐えかねて故郷に帰る人。逢坂山を越えるのはあれ以来幾月のことだろう??
減もせぬ鍛冶屋のみせの店ざらし 利牛
<へりもせぬ かじやのみせの たなざらし>。逢坂山に続く街道筋の鍛冶屋の店先。来たときに飾ってあった商品が今もそのまま残っている。ほとんど商売になっていない様。
門建直す町の相談 孤屋
<もんたてなおす まちのそうだん>。せめて町の大門の作り変えでもしてくれたらこの売れない釘などが売れるだろうと役人に相談してみる。公共事業による需要喚起。
彼岸過一重の花の咲立て 野坡
<ひがんすぎ ひとえのはなの さきたてて>。それが何時かといえば一重のすみれの花の咲き始めた彼岸過ぎのことでした。
三人ながらおもしろき哉 執筆
<さんにんながら おもしろきかな>。一重の花だというが、三人は三重に春を楽しんだのです。三人は野坡の孤屋に利牛です。
蓬莱に聞ばや伊勢の初便 芭蕉
東雲やまいら戸はづすかざり松 濁子
<しののめや まいらどはずす かざりまつ>。「まいら戸」とは、表面に舞良子(まいらこ)という細い桟(さん)を、狭い間隔で横あるいは縦に取り付けた板戸。多く書院造りの建具として用いられる。(『大字林』)まいら戸を一杯の開け広げて、その奥に門松を立てている正月の屋敷。そこへ新春の太陽が昇ってくる。歳旦句。
みちのくのけふ関越ん箱の海老 杉風
<みちのくの きょうせきこえん はこのえび>。杉風は幕府御用魚屋の主人。年末に陸奥に向けて発送した箱詰めの海老も元日の今日は白河の関を越えたことであろう。
春や祝ふ丹波の鹿も帰とて 京去来
<はるやいわう たんばのしかも かえるとて>。「丹波の鹿」とは、春になると草の沢山ある丹波へ行き、冬になって丹波が雪に埋もれる頃には播磨に行くという鹿のことが『平家物語』にあるによる。一句は、このとおりで新春の訪れに、鹿たちは春を祝おうとて丹波へ向かって歩いているよ。
刀さす供もつれたし今朝の春 膳所正秀
<かたなさす とももつれたし けさのはる>。この新春のすがすがしい朝、私も士分となって二本差した家来を連れて年始周りでもできたらさぞや誇らしいだろうに。
いそがしき春を雀のかきばかま 大坂洒堂
<いそがしき はるをすずめの かきばかま>。「かきばかま」は渋柿色のはかまのこと。スズメの羽に近い色。新春だというのに渋柿色のはかま姿でスズメは忙しくさえずりながら餌をあさってるよ。
喰つみや木曽のにほいの檜物 岱水
<くいつみや きそのにおいの ひのきもの>。「喰つみ」は、「蓬莱(ほうらい)飾り=新年の祝儀として床に飾ったり年始の客に出したりする飾り物。三方の上に、白米・熨斗鮑(のしあわび)・伊勢海老・勝栗・昆布・野老(ところ)・馬尾藻(ほんだわら)・橙(だいだい)などを盛り付け、蓬莱になぞらえたもの。これらを食べると寿命が延びるとされ、一種の取り肴として行われたが、実際に食べないものが多くなり飾り物となった。蓬莱。宝莱。江戸では「食い積み」といった。」(『大字林』)というわけで蓬莱飾りの江戸での称。その蓬莱台が木曽ヒノキの白木で作られていていい香がしたのである。元朝に相応しいめでたさ。
猶いきれ門徒坊主の水祝ひ 沾圃
<なおいきれ もんとぼうずの みずいわい>。「いきれ」は、もっとやれぐらいの意味。「水祝い」は、この時代、去年嫁をめとった男に正月二日の朝水をかける風習があった。他方、門徒坊主は浄土真宗の僧侶で、肉食妻帯をこの宗派は公然としていたので、ここにも去年結婚した若い僧侶がいるはずだ、うんと水をぶっかけろ」というわけで、少々真宗に対する作者の偏向が見える歳旦句。
目下にも中の詞や年の時宜 孤屋
<めしたにも ちゅうのことばや ときのじぎ>。新年のかしこまった挨拶では目下に対しても普段のぞんざいな言葉ではなくて少し丁寧な挨拶を交わす。これこそ新春の時宜にかなった風習ではある。
初日影我茎立とつまればや 利牛
<はつひかげ われくくたちと つまればや>。「茎立」は青菜の苗のこと。元日の朝、乙女たちは茎立を摘んでいる。私も青菜の苗になって乙女の柔らかい手に摘まれたいものだ。
長松が親の名で来る御慶哉 野坡
<ちょうまつが おやのなでくる ぎょけいかな>。「長松」は、丁稚のこと。先年年季奉公が明けた丁稚が、主家に元日の挨拶にやってきたが、聞けば実家の親の名を襲名したとかで、立派な名前を告げて帰っていく。これというのも正月のめでたい光景なのだ。
梅一木つれづれ草の姿かな 露沾
<うめひとき つれづれぐさの すがたかな>。「つれづれ草」第10段に「多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。」とあるから取った。梅の木一本あるが、これに手を加えてないのは兼好法師の意見に合致して大いによい。
むめ咲や臼の挽木のよきまがり 曲翠
<うめさくや うすのひきぎの よきまがり>。今満開の梅の木のその曲がりは、石臼の挽き木に丁度よい曲がりだ。狂言『萩大名』で、主人の大切にしている梅の盆栽をほめるにこと欠いて、その曲がりが石臼の挽き木にぴったりだといってしかられる話を句にした作。
むめが香の筋に立よるはつ日哉 支考
<むめがかの すじにたちよる はつひかな>。梅の香が通る香の通り道。その方角から明るんで春の曙がやってくる。想像力豊かな作。
窓のうちをみこみて
むめちるや糸の光の日の匂ひ 伊賀土芳
<うめちるや いとのひかりの ひのにおい>。梅の花の散り始めた春の日。ふと窓を覗いてみると、春の陽光が一筋室内に差し込んでいる。そこに梅の香がただよって、光の筋は香の筋のように見える。
梅さきて湯殿の崩れなほしけり 利牛
<うめさきて ゆどののくずれ なおしけり>。梅の咲いた春の日。職人に風呂の壁の崩れを直させた。
赤みその口を明けりむめの花 游刀
<あかみその くちをあけけり うめのはな>。梅の花の咲く春の日。冬に仕込んだ赤味噌のふたを取ってみたら良い味噌の香がぷーんと立ち上ってくる。作者游刀は膳所なので赤味噌は滅多に作らないのだが?
みなみなに咲そろはねど梅の花 野坡
<みなみなに さきそろわねど うめのはな>。桜の花のように最後には木全体が開花するのと違って、梅の花は枝えだによって咲き方がまちまちだ。それが梅の花の良さでもあるのだが。。
紅梅は娘すまする妻戸哉 杉風
<こうばいは むすめすまする つまどかな>。「すまする」は住まわせること。源氏物語からの主題引用。按察使(あぜち)の大納言が、美しい女たちを囲ってそこの住いの妻戸口(寝殿などの両開きの板戸でできた出入り口)に紅梅を植えた。艶っぽい話だ。
おなごどもの七くさはやすをみて
とばしるも顔に匂へる薺哉 其角
<とばしるも かおにのいえる なずなかな>。「七草をはやす」というのは、七草粥の原料の春の七草をまな板の上で女どもが囃しながら叩く風習がった。そのとき顔に青い汁が飛び散って、春の香が顔中に広がるのだ。
七種や粧ひしかけて切刻み 野坡
<ななくさや けわいしかけて きりきざみ>。正月七日の朝、女は化粧をしかけたまま七草を切り刻み始めた。この女は誰だろう??
うちむれてわかな摘野に脛かゆし 仙杖
<うちむれて わかなつむのに すねかゆし>。若い娘たちがうち揃って七草摘みに春の野に出かけていったはいいが、若草がチクチク彼女らの白いすねを刺して、かゆくてしょうがない。
洛よりの文のはしに
朧月一足づゝもわかれかな 去来
<おぼろづき ひとあしずつも わかれかな>。女と別れた春の宵。朧月のさす中を一歩一歩歩くたびに別れが深くなる。去来の作り話?
大はらや蝶の出てまふ朧月 僧丈艸
<おおはらや ちょうのでてまう おぼろづき>。大原野の朧月夜、夜だというのに一匹の蝶が舞い出した。まさに夢幻の世界。大原という舞台と、夜の蝶という幻想の世界を創造した。
おぼろ月まだはなされぬ頭巾かな 仙花
<おぼろづき まだはなされぬ ずきんかな>。朧月が出ているといえば春の夜だが、未だ寒くて頭巾が取れない。何とも現実的な。
深川の会に
長閑さや寒の残りも三ケ一 利牛
<のどかさや かんののこりも さんがいち>。「三ケ一」とは、三日に一度の意。春になって三寒四温などというが、寒の戻りも三日に一度のよい季節になった。
十五日立や睦月の古手賣 大坂之道
<じゅうごにち たつやむつきの ふるてうり>。「古手売」は古着などの中古品商。正月の松の内などには古いものは無かったが、正月も15日を過ぎると、古手売が商いを再開して普段の生活になっていく。
猫の恋初手から鳴て哀也 野坡
<ねこのき しょてからなきて あわれなり>。猫の恋では、いきなり鳴き声から始まるから哀れをもよおす。あれをあわれと言うかどうか??
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉 其角
<ねこのこの くんづほぐれつ こちょうかな>。うららかな春の陽だまり。子猫が二匹、くんずほぐれつじゃれあっている。その上を胡蝶が舞う。まさに春本番。
うぐひすにほうと息する朝哉 嵐雪
<うぐいすに ほうといきする あしたかな>。鶯の初鳴きを聴いた。聴き終えて上手に鳴けたのでほうと思わず深呼吸をした。初音の鶯は、上手にホーホケキョとはいかないのである。
鶯に薬をしへん聲の文 其角
<うぐいしに くすりおしえん こえのあや>。初音の鶯には、声の出をよくする薬を飲ませてやりたい。
うぐひすの聲に起行雀かな 桃隣
<うぐいすの こえにおきゆく すずめかな>。鶯の鳴く声を聴いた雀たちが、一斉に囀り始めた。真似ようというのか、自分達だって良い声を持っているといいたかったのか。
うぐひすや門はたまたま豆麩賣 野坡
<うぐいすや かどはたまたま とうふうり>。鶯がさかんに美声を張り上げているというのに、あいにく表では豆腐売りが大きな売り声を張り上げている。
鶯の一聲も念を入にけり 利牛
<うぐいすの ひとこえもねんを いれにけり>。鶯は、一声を丹念に唄う。
こねりをもへらして植し柳かな 湖春
<こねりをも へらしてうえし やなぎかな>。「こねり<木練>」は、木ノ上で熟した柿、熟すにつれて自然に甘くなる柿。「御所柿<ごしょがき>」をいうこともある。甘柿。こねり。(『大字林』)ここでは、御所柿のことらしい。本当は腹にたまる柿を植えるべきところを、芽吹きの美しさを期待して柳を植えた。それがいまようやく大きくなって美しい新緑を湛えている。
障子ごし月のなびかす柳かな 素龍
<しょうじごし つきのなびかす やなぎかな>。柳の枝影を、月明りが障子に映している。そのゆっくりした動きは、まるで月が柳をゆるがせているようだ。
五人ぶちとりてしだるゝ柳かな 野坡
<ごにんぶち とりてしだるる やなぎかな>。柳の木が一本あって、その枝は枝垂れて立派なものだ。この家の主の禄高は5人扶持。本当は、武士階級としては最低の給与で、相当な貧困だが、これでこの主は充実している。
せきれいの尾は見付ざる柳哉 一風
<せきれいの おはみつけざる やなぎかな>。セキレイの尻尾は相当に長いのだが、柳の枝にとまるとさすがにその尾が長いとは思わなくなる。作者浜島一風<いっぷう>は尾張名古屋の人。
町なかへしだるゝ宿の柳かな 利牛
<まちなかへ しだるるしゅくの やなぎかな>。街道の宿の柳の大木。その枝が町中に垂れ下がってきている。
傘に押わけみたる柳かな 芭蕉
土はこぶ籮にちり込椿かな 孤屋
<つちはこぶ ふごにちりこむ つばきかな>。「ふご(畚)」とは、物を運搬するために用いる竹や藁(わら)で編んだかご。もっこ。(『大字林』)。いかつい畚の中に椿の花が落ちてくる。対照の面白さ。
枝長く伐らぬ習を椿かな 湖春
<えだながく きらぬならいを つばきかな>。椿の花を花入れにさすというときは、枝に一輪咲いているのを切ってきて差す習わしだ。しかし、花つきのいい枝に花が一杯ついているので、それをそっくり切っていきたくなる。
念入て冬からつぼむ椿かな 曲翠
<ねんいれて ふゆからつぼむ つばきかな>。春に咲く椿は、冬の間につぼみを念入りに準備して開花に備える。感心な花だ。
鋸にからきめみせて花つばき 嵐雪
<のこぎりに からきめみせて はなつばき>。「からきめみせて」は「辛き」「目」を「見せて」で、辛い思いをさせて、の意。椿の木はカリンなどと並んで大変に硬い木である。だからこの枝を切ろうというと鋸は辛い思いをさせられるのである。生け花に活けようというので鋸で枝を切るのだが、固い上に枝を揺すると椿の花びらがばらばらになって落ちるのである。
鳥のねも絶ず家陰の赤椿 支考
<とりのねも たえずやかげの あかつばき>。何時も鳥の鳴き声が聞こえてくるその家の陰には赤い花をつける椿の木が生えている。
はき掃除してから椿散にけり 野坡
<はきそうじ してからつばき ちりにけり>。庭の掃除を終えてやれやれとくつろいでいると、ポタリと椿が一輪落花した。徒労。
うえのゝ花見にまかり侍しに、人々幕打
さはぎ、ものゝ音、小うたの聲さまざま
なりにける。かたはらの松かげをたのみて
四つごきのそろはぬ花見心哉 芭蕉
めづらしや内で花見のはつめじか 杉風
<めずらしや うちではなみの はつめんじか>。「めじか」、鮪(まぐろ)の小さいもの(『大字林』)で、「はつめじか」は、その初物のこと。花の名所ではなくて、我が家の桜の下で花見をしようと、重箱をあけたら初物のめじかではないか。こんなものがあったのなら、上野のお山にでもくりだせばよかった。杉風は魚屋だから、メジナが入荷したことは知っていたろうに?
うかうかと來ては花見の留守居哉 丈艸
<うかうかと きてははなみの るすいかな>。花の盛りの季節、友人宅をうっかり訪れると、ちょうど花見に出かけるところ。いい按配だから留守番を頼まれてしまった。
何がしのかうの殿の花見に侍りて
中下もそれ相應の花見かな 素龍
<なかしもも それそうおうの はなみかな>。前詞の「なにがしのかう」は、「何某の守」で、大身の武士を指す。それゆえ、「中下」は、身分階級の上下を言っている。仰々しく大身の殿について花見に来たが、上はともかく、中も下々の者もそれ相応に花見を楽しんでいることだ。
花守や白きかしらを突あはせ 去来
<はなもりや しろきかしらを つきあわせ>。「さび」を象徴する、去来の代表句の一つ。
朝めしの湯を片膝や庭の花 孤屋
<あさめしの ゆをかたひざや にわのはな>。朝飯を食べ終えて白湯になったが、もはや庭先の桜が気になって立ち膝で見ている。
あすと云花見の宵のくらき哉 荊口
<あすという はなみのよいの くらきかな>。明日は花見に行くのだと思うと、前夜から天気のことが気になってしかたが無い。そうなると愈々、今夜の宵の暗さが気になることだ。
だかれてもおのこヾいきる花見哉 斜嶺
<だかれても おのこごいきる はなみかな>。「いきる」は、力む、興奮する、の意。抱かれているほどの小さい男の子でも、花を見ると興奮している。
柿の袈裟ゆすり直すや花の中 北枝
<かきのけさ ゆすりなおすや はなのなか>。「柿の袈裟」は渋柿色(茶色)の地味で粗末な僧侶の袈裟。満開の花の中で、場違いに地味な柿色の袈裟を着けた僧侶が、肩からずり落ちようとしているその袈裟を掛け直している。花と坊主の対照。
牡丹すく人もや花見とはさくら 湖春
<ぼたんすく ひともやはなみ とはさくら>。花といえば牡丹が最高、などと普段から言っている人が、桜が咲けばやっぱり花見に行くのだから面白い。
あだなりと花に五戒の櫻かな 其角
<あだなりと はなにごかいの さくらかな>。「五戒」は、在家の信者が守らなければならない基本的な五つのいましめ。不殺生(ふせつしよう)・不偸盗(ふちゆうとう)・不邪淫(ふじやいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゆ)の五つ(『大字林』)。花が咲けば、心ここにあらずで、家を空けて花見に行く。いけば酒を呑んで不飲酒、よって大言壮語すれば不妄語、枝を手折って家に持ち帰ればこれは不偸盗に反する。所詮五戒を守るなどとはできっこないのだ。
花はよも毛虫にならじ家櫻 嵐雪
<はなはよも けむしにならじ いえざくら>。「家櫻」は山桜に対して言った。櫻には毛虫がよくつくが、まさかこのきれいな花が毛虫になるのではあるまいな?
やまざくらちるや小川の水車 大津あま智月
<やまざくら ちるやおがわの みずぐるま>。春の小川に眠くなるようなゆっくりした水車が回っている。川面にはひっきりなしに山桜の花びらが流れている。
老僧も袈裟かづきたる花見哉
大坂之道
<ろうそうも けさかずきたる はなみかな>。大衆の楽しむ花見の喧騒の中に、袈裟衣を着た老僧も一緒になって花見を楽しんでいる。
誰が母ぞ花に數珠くる遲ざくら 祐甫
<たがははぞ はなにじゅずくる おそざくら>。遅桜が咲いている。その花に数珠を手にして拝んでいる年老いた女性がいる。誰の母親か知らないが、きっと彼女は子供を亡くしたのであろう。遅桜は、子供の死に「遅れた」ことを象徴している。
山櫻小川飛こすおなご哉 越前福井普全
<やまざくら おがわとびこす おなごかな>。山桜の咲き誇る山中の小川。女は思案していたが、えいっとばかりに着物裾をまくりあげて跳び越えた。普全は越前福井の人。
昆布だしや花に気のつく庫裏坊主 利牛
<こぶだしや はなにきのつく くりぼうず>。来る日も来る日も、昆布で出汁を作っている炊事当番の若い修業僧。気がついてみれば寺の庭には桜の花。
おちつきは魚やまかせや櫻がり 仝
<おちつきは うおやまかせや さくらがり>。「おちつき」は、花見の膳の最初に出るオードブル料理。それが、この家の主人は仕出屋の魚屋に任せて桜の説明に余念が無い。
折かへる櫻でふくや臺所 孤屋
<おりかえる さくらでふくや だいどころ>。手折って帰った桜の枝をさて何処に置こうかと、台所のほこりを拭いているのである。桜でほこりを拭くのではない。
祭まであそぶ日なくて花見哉 野坡
<まつりまで あそぶひなくて はなみかな>。この「祭」は、京都では祇園祭、江戸では山王祭で何れも夏祭り。花見が終わると夏祭りまでは庶民にとっては遊ぶ機会は無かったのである。それだけに花見は羽目をはずしもしたのである。
食の時みなあつまるや山ざくら 仝
<めしのとき みなあつまるや やまざくら>。桜見物に山中を散策してバラバラになっていた一行が、飯の時間になると奇妙にみんな集まってくる。
帯ほどに川のながるゝ塩干哉 沾徳
<おびほどに かわのながるる しおひかな>。春の大潮。沖合いはるかに潮が引いて、海に注ぐ川が蛇行して、遠ざかった海を追って流れていく。江戸の潮干は品川沖が有名だった。
昼舟に乗るやふしみの桃の花 桃隣
<ひるぶねに のるやふしみの もものはな>。伏見の桃は、伏見城の城址に江戸時代初期桃を植えたことで有名になった。春の淀川の川舟に乗ると、その桃の花がよく見えたのである。
かつらぎの神はいづれぞ夜の雛 其角
<かつらぎの かみはいずれぞ よるのひな>。「葛城の神」は、一言主神<ひとことぬしのかみ>。この神様は、大変醜い顔立ちの神。その昔、役の行者が葛城山から金峰山に橋を作っていた時、この神は容貌を恥ずかしがって夜間だけ手伝ってくれたという伝説がある。一句は、お雛様が飾ってあるが、その中に葛城山の神はどれですか、夜しか出て来ないというけど。
鬼の子に餅を居るもひゐな哉 みの如行
<おにのこに もちをすうるも ひないかな>。「ひゐな」は「ひいな」で「ひな=雛」のこと。ひな壇には、悪鬼も飾られているが、それにも餅を上げるが、ひな祭りなればこそだ、というのであろう。
日半路をてられて來るや桃の花 野坡
<ひなかじ てられてくるや もものはな>。「日半」は、半日のこと。朝から昼過ぎまで日向を歩いてくると、突然桃の花畑の真ん中に来た。
麻の種毎年踏る桃の華 利牛
<あさのたね まいねんふまる もものはな>。麻の種をまくのと、桃の花が咲くのが一緒。毎年毎年、麻の種を蒔くと、桃の花が咲いて、それを見物に来る人々にこの種は踏みつけられる。たまったものではない。麻は、この時代の繊維の原料として無くてはならないものであった。木綿が、使われるようになったのは近代になってからなのである。
藪垣や馬の貌かくもゝの花 孤屋
<やぶがきや うまのかおかく もものはな>。薮垣の向こうに桃の花が咲いている。一枝道路に出張った枝に咲いた花は馬の顔をなでている。
瀧つぼに命打こむ小あゆ哉
嵯峨田夫為有
<たきつぼに いのちうちこむ こあゆかな>。春、鮎たちはひたすら上流を目指す。それは命がけの旅でもある。春の長雨を飲み込んでどうどうと落ちる滝壺から、滝を攀じ登ろうと小鮎たちが決死のダイビングをしている。いい句だ。
散残るつゝじの蘂や二三本 子珊
<ちりのこる つつじのしべや にさんぼん>。「蘂<しべ>」は、花の生殖器官で、雄と雌がある。つつじが散って花糟が残っている。ツツジの花は、落花するものもあるが多くは、そのまま枯れてしべを覗かせている。
ほそぼそとごみ燒門のつばめ哉 怒誰
<ほそぼそと ごみやくかどの つばめかな>。燕が門に巣を作った。おかげでゴミを焼くのも手加減しないと、煙に巣が咽んでしまう。
鳥の行やけのゝ隈や風の末 伊賀猿雖
<とりのゆく やけののくまや かぜのすえ>。「鳥の行」は、渡り鳥が春に北へ向かって旅立つこと。その鳥の後を追うように野焼きの煙が風に吹かれて流れていく。
氣相よき青葉の麥の嵐かな 仙華
<きあいよき あおばのむぎの あらしかな>。青く茂った麦の葉を揺らしていく晩春の風。麦と風の取り合わせのよいこと。
旅行にて
法度場の垣より内はすみれ哉 野坡
<はっとばの かきよりうちは すみれかな>。「法度場」は、標野(標(しめ)をした所。皇室や貴人の所有地で、一般の者の立ち入りを禁止した野。禁野。「あかねさす紫野行き―行き野守は見ずや君が袖振る/万葉
20」(『大字林』)。こういう場所は人が足を踏み入れないからさぞやスミレの花などが咲いているだろう。想像の作。
此集いまだ半なる比、孤屋旅立事ありけ
るに品川までみ送りて
雲霞どこまで行もおなじ事 野坡
<くもかすみ どこまでゆくも おなじこと>。元禄七年三月、『炭俵』の編者孤屋が旅行に出た。そのときの餞別吟。品川まで見送るのだが、別離の悲しさは雲霞と同じで何処までも行っても無くならない。
梅さくらふた月ばかり別れけり 利牛
<うめさくら ふたつきばかり わかれけり>。旧暦で梅は、一月に咲き、桜は3月に咲く。その間二月。花と別れる。私たち『炭俵』の編者たち三人も別れが来ました。
塩うをの裏ほす日也衣がへ 嵐雪
<しおうおの うらほすひなり ころもがえ>。衣更えは陰暦の四月一日。これが漁村では、日干しの魚を盛んに作る季節。人々は浜に干した天日干しの塩をふった魚をひっくり返す作業に忙しい。
衣がへ十日はやくば花ざかり 野坡
<ころもがえ とうかはやくば はなざかり>。桜が散って十日が経った。この気温であれば、花見は軽装で楽しめたのに。この季節、急速に気温が上がって春から初夏へ一気に変る。
綿をぬく旅ねはせはし衣更 九節
<わたをぬく たびねはせわし ころもがえ>。旅の途中で衣更えを迎えた。そんなときには、それまで着ていた布子の綿を抜かなくてはならず、せわしないことだ。この時代、人々は律儀に衣更えを実行していた。四月一日と書いて「わたぬき」と読むことがある。
雀よりやすき姿や衣がへ 雪芝
<すずめより やすきすがたや ころもがえ>。衣更えをして、綿貫の袷を着てみると身も心も軽くなる。この軽快さは、もはや夏になっても冬のままのスズメよりもっと軽くなった気分だ。
花の跡けさはよほどの茂りかな 子珊
<はなのあと けさはよほどの しげりかな>。花びらが散って葉桜となった。気温も上がってきて、今日はどれくらい青葉が茂ったことだろう。
扇屋の暖簾白し衣がへ 利牛
<おおぎやの のうれんしろし ころもがえ>。扇を売る商売にとっては夏はかきいれだ。衣更えにあわせて暖簾も白一色にした。その白さが夏を呼ぶ。
卯の花やくらき柳の及ごし 芭蕉
うのはなの絶間たゝかん闇の門 去来
<うのはなの たえまたたかん やみのかど>。門の両側には卯の花が満開で夜目にもそれと分かる。漆黒の暗闇の中、この家の門が何処にあるのか全く分からないが、ただ卯の花の切れ目が門だろうと推量して叩いてみるしかない。
旅行に
うの花に芦毛の馬の夜明哉 許六
<うのはなに あしげのうまの よあけかな>。許六は、元禄6年5月6日最後の彦根へ帰る旅に出発。甲州街道を諏訪まで行き、そこから木曽街道に出て彦根に帰る。その江戸出立の朝の句。
卯の花に扣ありくやかづらかけ 支考
<うのはなに たたきありくや かずらかけ>。「かづら」は、「桶のたが」のこと。「かづらがけ」はたがやのこと。たがやの職人が、桶の底を叩きながら、桶の修繕の注文をとって歩いている。卯の花の咲く、初夏の風景。
棹の歌はやうら涼しめじか舟 湖春
<さおのうた はやうらすずし めじかぶね>。「めじか」はマグロの小さいもの。メジカ漁を終えた舟が帰ってきて。早くも浜辺は涼しい夕暮になってきたようだ。
髭宗祇池に蓮ある心かな 素堂
<ひげそうぎ いけにはすある こころかな>。宗祇は、こよなくひげを愛したことで有名な人。宗祇が髯を愛したように、私は池の蓮を愛している。
聞までは二階にねたりほとゝぎす 桃隣
<きくまでは にかいにねたり ほととぎす>。高い所のほうが遠くの物音を聞くことができる。その鳴き声を聴くまではというので、二階に寝てホトトギスの初音を聴こう。どこの二階に寝たのかは不明。この時代、二階家を建てられたのは武士階級や旅籠などごく一部のものだけだった。
ほとゝぎす一二の橋の夜明かな 其角
<ほととぎす いちにのはしの よあけかな>。「一二の橋」には諸説あって定まらない。一説には、京伏見街道の淀川にかかる橋、一つ二つの橋の意で、くるわの帰りに渡る橋の意だとか。いずれにしてもホトトギスを夜明けの空に聞いたのである。
行燈を月の夜にせんほとゝぎす 嵐雪
<あんどんを つきのよにせん ほととぎす>。ホトトギスの渡る空に月が無い。仕方ないので、行燈を月に見立ててホトギスの渡るのを待とう。
挑(提)灯の空に詮なしほとゝぎす
杉風
<ちょうちんの そらにせんなし ほととぎす>。夜道を歩いていると、頭上をホトトギスが鳴いて横切った。あわてて、提灯をかざしてホトトギスを見ようとしたが、所詮見えるわけも無い。
青雲や舟ながしやる子規 素龍
<あおぐもや ふねながしやる ほととぎす>。「青雲」は「青空」の誤りらしい。青空の下、舟を漕いでいると、頭上をホトトギスが渡っていく。思わず見とれていると、櫂をこぐ手を忘れて、舟は川下に流されている。
時鳥啼々風が雨になる 利牛
<ほととぎす なくなくかぜが あめになる>。ホトトギスが鳴きながら風を切って渡っていく。それを追うように雨がやってきた。
子規顔の出されぬ格子哉 野坡
<ほととぎす かおのだされぬ こうしかな>。ホトトギスが鳴いて渡っている。それというので窓によって見ようとすると、窓には格子が入っていて顔がぶつかって見られない。
柿寺に麥穂いやしや作どり みの荊口
<かきでらに むぎほいやしや つくりどり>。「柿寺」は、関が原近くの瑞雲寺。関が原合戦の前日に住職が徳川家康に柿を進呈した。後に家康から褒美を貰ったという。「つくりどり」は、年貢を免除されて、耕作した田畑の全収穫を自分のものとすること。さくどり。(『大字林』)この寺、家康に柿をやって大いにとくをしたというだけあって、なかなかがめつい。作どりの寺領の田んぼに麦を植えて、無税の収穫をしっかり貯めこんでいるようだ。
麥の穂と共にそよぐや筑波山 千川
<むぎのほと ともにそよぐや つくばさん>。関東平野のど真ん中。一面の麦畑。その先に筑波山が立っている。風に揺れる穂波を見ていると目が回ってお山も一緒に揺れているように見える。
麥跡の田植や遲き螢とき 許六
<むぎあとの たうえやおそき ほたるとき>。麦を刈り取ると、そこに直ぐに田植えをする。少しでも麦の刈り取りが遅くなると、それだけ田植えが遅くなる。折りしも蛍の季節だから、まごまごしていると蛍が来てしまう。そんなとき、蛍が早すぎるのか、麦刈りが遅れすぎたのか。
翁の旅行を川さきまで送りて
刈こみし麥の匂ひや宿の内 利牛
<かりこみし むぎのにおいや やどのうち>。前詞は、芭蕉最後の西上も旅の折。芭蕉は、元禄7年(1694)5月11日江戸を出発した。門人たちは川崎の宿まで見送った。その折の、一句。麦が刈り取られて、その匂いが川崎の宿にまで匂っていたのである。芭蕉は、「麦の穂を力につかむ別れかな」と詠んだ。
おなじ時に
麥畑や出ぬけても猶麥の中 野坡
<むぎはたや でぬけてもなお むぎのなか>。街道筋は何処までも麦の畑が続いていた。
おなじこゝろを
浦風やむらがる蝿のはなれぎは 岱水
<うらかぜや むらがるはえの はなれぎわ>。道中うるさく付きまとってきた蝿どもが、川崎の海風に吹かれるようにして離れていきます。私たちも、師に蝿のように追いすがってここまで来ました。離れていくハエのさみしさが今はよく分かります。
五月雨や傘に付たる小人形 其角
<さみだれや かさにつきたる こにんぎょう>。「小人形」は、端午の節句の飾り。幟を立てたり、よろい甲冑の武者人形などを男児のある家の前に作りつけた。現代の五月飾りの原型。五月雨が降ってきたので、普段はかぶと飾りの下に飾っていた小人形に今は笠をかけていることよ。
さうぶ懸てみばやさつきの風の音 大坂洒堂
<しょうぶかけて みばやさつきの かぜのおと>。端午の節句、民家では軒端にショウブの葉をさして健康を祈った。その青い葉に五月の風が吹き付けるのを見たいものだというのである。この時代、ショウブを葺いたのは、5月4日であった。
五日迄水すみかぬるあやめかな 桃隣
<いつかまで みずすみかぬる あやめかな>。菖蒲池からショウブを抜いて、これを軒端に飾る。みんなで池のショウブを抜くものだから、池水が濁ってしまって、明日の端午の節句には澄みそうもない。
文もなく口上もなし粽五把 嵐雪
<ふみもなく こうじょうもなし ちまきごわ>。親しい友人からチマキが5わ届けられた。しかし、持参した小僧に口上もなく、文も無い。チマキを5把持参したら、かならず添え状が無くては風流ではない。というのは、松永貞徳と木下長嘯の間で、チマキ5把のやり取りがあって、そこに添え状のあった有名な話があるのだから。
みをのやは首の骨こそ甲なれ 仙花
<みおのやは くびのほねこそ かぶとなれ>。「みをのや」は、三保谷四郎国俊は、平安末期の武将。屋島の合戦で平景清に錏(しころ)引きちぎられた。この話は、謡曲や歌舞伎に脚色され、後世景清の武勇伝として語り継がれたのだが、一句は逆に三保谷四郎の方向から語られ、しころは破られたが、首の骨が兜みたいなものだったのだと言っている。
帷子のしたぬぎ懸る袷かな 素龍
<かたびらの したぬぎかかる あわせかな>。帷子は夏用の着物。端午の節句ではそのうち浅葱色の帷子を着るのがならわしだった。端午の節句なので、浅葱の帷子を頭から着て、下から袷を脱ぎ捨てる。
並松をみかけて町のあつさかな 臥高
<なみまつを みかけてまちの あつさかな>。旅の途次、市街地に入って松並木見かけて歩くのだが、(かえって?)その暑くるしいこと。
枯柴に昼貌あつし足のまめ 斜嶺
<かれしばに ひるがおあつし あしのまめ>。枯れた樹木に昼顔のつるが巻きついている。これはこれで暑苦しい景色だが、私の足にはまめができてこれも暑苦しい。
二三番鶏は鳴どもあつさ哉 長崎魯町
<にさんばん とりはなけども あつさかな>。一番鳥どころか二番三番も啼いたというのに、一向に涼しくならない熱帯夜の夜が明ける。
はげ山の力及ばぬあつさかな 猿雖
<はげやまの ちからおよばぬ あつさかな>。禿山なのだから涼しかろうものを、ここは日陰が無いので歩くには暑いこと暑いこと。
するが地や花橘も茶の匂ひ 芭蕉
この句は島田よりの便に
さみだれやとなりへ懸る丸木橋 素龍
<さみだれや となりへかける まるきばし>。五月雨で増水して隣家との道が水びたしになった。そこへ丸木橋を架けて行き来をする。
五月雨の色やよど川大和川 桃隣
<さみだれの いろやよどがわ やまとがわ>。「大和川」は、奈良県笠置方面から泉州八尾に流れてくる川。淀川は瀬田川、鴨川、桂川の下流の河川。五月雨の季節ともなればそれぞれ上流の土砂を流して、それぞれの色に流れる。
さみだれに小鮒をにぎる子供哉 野坡
<さみだれに こぶなをにぎる こどもかな>。五月雨に増水した草叢で、子供が小鮒を捕まえた。どこかの川から逃げ出してきた魚だろう。
五月雨や露の葉にもる(やまごぼう) 嵐蘭
この句は嵐蘭より書てよこしぬ
<さみだれや つゆのはにもる やまごぼう>。ヤマゴボウの大きな葉っぱに五月雨の雨が溜まって玉になっている。
五月雨や顔も枕もものゝ本 岱水
<さみだれや かおもまくらも もののほん>。「ものの本」は、学問的な堅い本のことで、草紙のような読み物と区別する。五月雨に退屈してお堅い本を取り出して読み始めたが直ぐに眠気に襲われた。気がついてみたら、顔の上にも顔の下にも本。つまり、目隠し用にも、枕にも本を使っていたのである。
川中や根木によろこぶすヾみ哉 芭蕉公羽
<かわなかや ねきによろこぶ すずみかな>。「根木」は根のついた大木のこと。流木である。洪水があったのだろう。川中に根っこのついた大木が倒れている。その上に寝転んで寝そべって川涼みをしている。「よろこぶ」は、意味不明だが、横になっている、横になって寝ている、などの意味であろう。
月影にうごく夏木や葉の光り 女可南
<つきかげに うごくなつきや はのひかり>。照葉樹の葉を月の光が照らしている。その反射した光が月の動きにつれて動いている。
涼しさよ塀にまたがる竹の枝 長崎卯七
<すずしさよ へいにまたがる たけのえだ>。塀の向こうに生えた若竹は夏になってすくすく育つ。ついに若い枝を塀のこちら側に垂らすまでになって、その瑞々しい葉の涼しげなこと。
行燈をしいてとらするすヾみかな 探芝
<あんどんを しいてとらする すずみかな>。夕涼みに行燈を側におくと、その暖色の灯りが暑苦しい。家人に遠くへ持っていってもらってやっと夕涼みができることだ。
崎風はすぐれて涼し五位の聲 智月
<さきかぜは すぐれてすずし ごいのこえ>。「崎風」は、琵琶湖周辺の言葉で、春から夏にかけて吹く南風をいう。この風に乗って遠くの五位鷺の声が聞こえてくる。これもまた涼を呼ぶ。
すヾしさをしれと杓の雫かな 備前兀峯
<すずしさを しれとひしゃくの しずくかな>。茶室の脇のつくばい(蹲)に水飲み用の柄杓がかけてある。その柄を伝って雫が落ちている。その光景だけで涼しくなる。
すヾしさや浮洲のうへのざこくらべ 去来
<すずしさや うきすのうえの ざこくらべ>。「浮州」は、池・沼・湖・川などで、浮遊物などが集まり、木・草が生えて島のように見えるもの(『大字林』)。中州ともいう。そこで子供たちは、捕まえた魚をお互い見せびらかして遊んでいるが、その光景が実に涼しい。
夕すヾみあぶなき石にのぼりけり 野坡
<ゆすずみ あぶなきいしに のぼりけり>。夕涼みは、風のよく通るところがよい。川岸の高いところや突端になるところが適地である。しかし、あまり固執しすぎると、薄暗いところなので危険な目にも遭うのである。
三か月の隠にてすヾむ哀かな 素堂
<みかづきの かげにてすずむ あわれかな>。隣家と軒を接している貧しい庵。その縁側で三日月を見ながら夕涼みだが、月は直ぐ隣の屋根に隠れてしまう。そんなひっそりした隠遁の夕涼みというのも実にあわれをもよおすものだ。他にも解釈はあるだろうが。
橘や定家机のありどころ 杉風
<たちばなや ていかづくえの ありどころ>。花橘の季節、粋な書院造の窓辺に藤原定家が好みそうな机が一つ。どんな粋人の隠れ家であろうか。
熨斗むくや礒菜すヾしき嶋がまへ 正秀
<のしむくや いそなすずしき しまがまえ>。「熨斗」は、ノシアワビのことで、アワビの肉を薄く長く切り、よく伸ばして干したもの。もと儀式用の肴(さかな)に用い、のち贈り物に添えた。うちあわび。貝肴(かいざかな)。鮑熨斗(『大字林』。また、磯菜は、磯辺に生えて食用となる植物の総称。いそなぐさ(『大字林』)。浜辺で女たちがノシアワビを作っている。その浜辺にはイソナが生えて、その緑が涼しげな、そんな島の様子である。
世の中や年貢畠のけしの花 里東
<よのなかや ねんぐばたけの けしのはな>。「年貢畠」とは地主から小作として使用権を与えられて耕作する畠。毎年使用料として年貢を納めるので、小作は一年中あくせくと働いて、地主のために働くのか自分のために働くのか分からなくなる。その畠に、ノーテンキに芥子の花が場違いに美しく咲いたりするから、人事を超えた面白さもあるのである。
早乙女にかへてとりたる菜飯哉 嵐雪
<さおとめに かえてとりたる なめしかな>。意味不明。菜飯は、刻んだ青菜を炊き込んだ塩味の飯。また、炊き上げた飯に、刻んで塩味をつけた青菜を混ぜたもの(『大字林』)。早乙女が、稲を植える手をかえて、同じ手で菜飯を摂っているのか?
木曽路にて
やまぶきも巴も出る田うへかな 許六
<やまぶきも ともえをいずる たうえかな>。木曽義仲は、平家追討のため木曽から京に攻め上った時に、巴と山吹という愛妾を引き連れていったという。いま、許六は彦根へ帰るために木曽を歩いているが、ちょうど田植え時。村内には人っ子一人いず、村人総出で田植えの最中。きっと、木曽殿の田んぼでは巴御前も山吹御前も田植えに駆り出されていることであろう。
ひるがほや雨降たらぬ花の貌 智月
<ひるがおや あめふりたらぬ はなのかお>。ひるがおという顔は、何時も雨が足りないといっているそういう顔つきだ。ひるがおは陽が出ないと開花しないので、こう言ったのである。
はえ山や人もすさめぬ生ぐるみ 北鯤
<はえやまや ひともすさめぬ なまぐるみ>。「すさむ」は、心を寄せること。「山高み人も―・めぬ桜花いたくなわびそ我見はやさむ(古今集春上)(『大字林』)。禿山でなく、木のうっそうとよく茂った山に、胡桃が青い実をつけたところだが、誰一人として木を止める人も居ない。
曉のめをさまさせよはすの花 乙州
<あかつきの めをさめさせよ はすのはな>。蓮の花は早朝に咲く。しかも、その花弁の幾何学的な形状はパッチリ開くというイメージにぴったり。そこで古来、蓮の花と目覚めとが対句になるのである。
雨乞の雨氣こはがるかり着哉 丈艸
<あまごいの あまけこわがる かりぎかな>。雨乞いのために借り着を借りてきたものの、もし霊験鮮かに雨が降ってきたら、衣装が濡れてしまう。どうしよう。
螢みし雨の夕や水葵 仙花
<もたるみし あめのゆうべや みずあおい>。「水葵」は、ミズアオイ科の一年草。水田などの水湿地に生える。根生葉は深緑色卵心形で柄が長い。夏、花茎を立て青紫色の六弁花を十数個総状につける。古くは葉を食用にした。古名ナギ(『大字林』)。水葵が生えた田んぼに雨が降って、蛍を見た。確実に夏がやってきた。
一いきれ蝶もうろつくわか葉哉 楚舟
<ひといきれ ちょうもうろつく わかばかな>。夏の熱気のこもった草叢。さすがの蝶さえもそのムッとする暑さに叢に入りかねている。
なりかゝる蝉がら落す李かな みの残香
<なりかかる せみがらおとす すももかな>。蝉が土中から出てきてスモモの木上で脱皮している。そこへスモモのみが落ちてきて蝉も一緒に落ちていったのか????意味不明の句。
猪の牙にもげたる茄子かな さが為有
<いのししの きばにもたげる なすびかな>。猪に荒らされたナス畠。きっと猪の牙でもぎ取られたのであろう、茄子が一つ落ちている。
團賣侍町のあつさかな 怒風
<うちわうる さむらいまちの あつさかな>。侍屋敷の立ち並ぶ通りを団扇売りが涼しげな声を出して売り歩いている。しかし本当は、とても暑いのだ。
けうときは鷲の栖や雲の峯 祐甫
<きょときわ あしのすみかや くものみね>。「きょうときわ」は、京都市右京区の地名。双ヶ岡(ならびがおか)の南西方に位置する。左大臣源常(ときわ)の山荘があったことからいう(『大字林』)。ここは雲の峰に続く高い山で、大鷲の巣がある。
一枝はすげなき竹のわかば哉 仙花
<ひとえだは すげなきたけの わかばかな>。竹の枝というのは、一枝スーッと伸びて、葉っぱは丸めてあるからなんとも唐突に出てくる。
竹の子や兒の歯ぐきのうつくしき 嵐雪
<たけのこや ちごのはぐきの うつくしき>。竹の子をしゃぶっている幼児の口に歯が生えて、その白さの美しいこと。
さるべき人、僕が酒をたしむ事を、かたく戒め
給ひて諾せしむ。しかるにある会にそれをよく
知て、あらきあはもりなど、名あるかぎりを取
出て、あるじせられければ、汗をかきて
改て酒に名のつくあつさ哉 利牛
<あらためて さけになのつく あつさかな>。前詞では、ある人の家僕が酒を好きなのでそれをたしなめていた。あるとき自家で宴会があって、その席上で主人は出す酒の解説などをしている。酒好きを、僕にはたしなめたばかりなので、。。。。改めて、酒の講釈を客人にすると、自分の酒好きがばれてしまいそうで、なんと暑さ以上に汗の出ることよ。
ある人の別墅にいざなはれ、盡日打和て物がた
りし其夕つかた、外のかたをながめ出して
行雲をねてゐてみるや夏座敷 野坡
<ゆくくもを ねていてみるや なつざしき>。ある人の別荘に招かれて、親しく話をしていたその夕方のこと、二人で座敷に寝そべりながら、同じ流れていく雲を追っている。