『猿蓑』井筒屋庄兵衛版初版本
此道のおもて起べき時:<このみちのおもておこすべきとき>と読む。「此通」は、俳諧のこと。おもてを起こすとは、面目をほどこすぐらいの意味。
不變の變:不変といわれるような価値のものだけが変化に対して追随できるのであって、魂の入っていないようなものは変わり易くそれでいて変化に対応できないのだという。
五徳:『俳諧初學抄』に次の記述がある。「俳諧には連歌の徳の外に、五つまさりたる楽しみ侍るとかや。第一、俗語を用ふること。第二は自讃し侍りてもおかしき事。第三、取りあへず興をもよほす事。第四、初心のともがら学び安くして和歌の浦なみに心をよせ侍る事。第五には集歌・古事・来歴分明ならずとも、一句にさへ興をなし侍らば何事をも広く引寄せて付け侍るべき事。是、五の徳なり」
彼西行上人の、骨にて人を作りたてゝ、聲はわれたる笛を吹やうになん侍ると申されける:<かのさいぎょうしょうにんの・・>。鬼は死者の骨を集めて人を作ることができるというので、西行がそうやってみたところ人が作られはしたものの、心はなく、しかも声ときたら笛を吹くようにヒューヒューいったという。
五の聲のわかれざるは、反魂の法のをろそかに侍にや:「五の聲」はアイウエオの五音をいう。五音がちゃんと発音できなかったというのは、死者に魂を入れることができなかったからだ。
我翁行脚のころ:<わがおきなあんぎゃのころ>。芭蕉は元禄2年9月24日、伊勢から伊賀越えの折に「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句を得て、これを巻頭句としてここに『猿蓑』と名付けた句集を出版するのである。
猿に小蓑を着せて、俳諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ:<さるにこみのをきせて、はいかいのしんをいれたまいければ、たちまちだんちょうのおもいをさけびけん>。寒がっている猿に小蓑を着せることを思い、俳諧の心を集中させると、その気は猿にのりうつって断腸の声を上げ、そのまま冒頭の一句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」となる。
あたに懼るべき幻術なり:<あたにおそるべきげんじゅつなり>。「あた」は、はなはだしい事態をいう。芭蕉の俳諧は、まことに凄い力を持っている、の意。
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