伊賀蕉門の一人。伊賀上野の藩士。はじめ木白<ぼくはく>と号したが、師の芭蕉の死後「苔蘇」と改号した。本名岡本治右衛門政次。剽竹庵の持ち主で芭蕉は、『笈の小文』の旅の途中伊賀上野に滞在したとき
杜国と共にこの庵に二旬ほど滞在して「花を宿に始め終りや二十日ほど」、「このほどを花に礼いふ別れ哉」などの句を詠んでいる。芭蕉が兄松尾半左衛門に宛てた遺書にもその名が出てくる。
『枯尾花』・『猿蓑』・『星会集』などに所収。
雪汁や蛤いかす場のすみ (『猿蓑』)
聲毎に獨活や野老や市の中 (『續猿蓑』)
白雨や蓮の葉たゝく池の芦 (『續猿蓑』)