路通は、素行が悪く、
いわゆる茶入れ事件やら、芭蕉の著作権に係る問題*やらを出来し、勘気を蒙ったことがある。元禄3年、陸奥に旅立つ路通に、芭蕉は「草枕まことの華見しても来よ」と説教入りの餞の句を詠んだりしてもいる。
芭蕉の死んだ元禄7年ごろにはすでに芭蕉の勘気は解けたとされている。
『俳諧勧進帳』、『芭蕉翁行状記』がある。
火桶抱ておとがい臍をかくしけり
我まゝをいはする花のあるじ哉 (『あら野』)
はつ雪や先草履にて隣まで (『あら野』)
元朝や何となけれど遅ざくら (『あら野』)
水仙の見る間を春に得たりけり (『あら野』)
ころもがへや白きは物に手のつかず (『あら野』)
鴨の巣の見えたりあるはかくれたり (『あら野』)
芦の穂やまねく哀れよりちるあはれ (『あら野』)
蜘の巣の是も散行秋のいほ (『あら野』)
きゆる時は氷もきえてはしる也 (『あら野』)
いねいねと人にいはれつ年の暮 (『猿蓑』)
鳥共も寝入てゐるか余吾の海 (『猿蓑』)
芭蕉葉は何になれとや秋の風 (『猿蓑』)
つみすてゝ蹈付がたき若な哉 (『猿蓑』)
彼岸まへさむさも一夜二夜哉 (『猿蓑』)