芭蕉db

曲水宛(推定)火中書簡

(元禄3年4月 芭蕉47歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


先書にもほのかに申上候隠桂、同庵可仕よし申候而こまり果申候*。高橋殿与内談仕*、貴様留主之内、彼是山庵人多キも遠慮がましく候間*、御無用被成給り候へと断り申、いよいよ山はひそかにくらし申候間、是又左様に御心得被成可下候。
路通行衛しれ不
申候由*、先茶入之行方しれ申候へば、身すがらの行衛、少は気遣もうすきやうに被存候。たとへ野ゝ末、山の奥にて死失候共、袋よりうたがはしきもの出ちらされ候半は、かばねの上の無念候処、此上のよろこびに而御座候*。先日枳風*方へも行衛いかにと尋に遣し申候。猶御心に被懸、折々御尋被成可候。
一、其元より被
仰下候御状、他見はばかり候事は別書可仰聞*
    火 中  

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 江戸表在勤中の膳所藩士菅沼曲水宛の真偽の不分明な書簡だが、路通に関わる不具合について迫真の物証でもある一通。

前半では、支考(隠桂)が幻住庵に一緒に住みたいといって困らせているが、曲水が留守の間にそんなことは出来ないからと言ってこれを断ったので、安心してくれと報じている。

 そして問題の後半では、路通がここ大津の誰彼の茶入れをくすねたらしいことの怒りを記述している。すなわち、紛失した茶入れが見つかってくれれば、路通がどこで野たれ死にしようと、彼の体からあの茶入れが出てさえこなければハッピーだというのである。

 本状は他聞をはばかって「火中止め」書簡となっていることで有名。