江戸表在勤中の膳所藩士菅沼曲水宛の真偽の不分明な書簡だが、路通に関わる不具合について迫真の物証でもある一通。
前半では、支考(隠桂)が幻住庵に一緒に住みたいといって困らせているが、曲水が留守の間にそんなことは出来ないからと言ってこれを断ったので、安心してくれと報じている。
そして問題の後半では、路通がここ大津の誰彼の茶入れをくすねたらしいことの怒りを記述している。すなわち、紛失した茶入れが見つかってくれれば、路通がどこで野たれ死にしようと、彼の体からあの茶入れが出てさえこなければハッピーだというのである。
本状は他聞をはばかって「火中止め」書簡となっていることで有名。
先書にもほのかに申上候隠桂、同庵可仕よし申候而こまり果申候:先の手紙にも書いたとおり、隠桂(支考の初期の俳号)が幻住庵に入れろといってきて困り果てています、の意 。
彼是山庵人多キも遠慮がましく候間:<かれこれさんあんひとおおきもえんりょがましくそうろうあいだ>。幻住庵にはあっちこっちから訪問者が絶えなかったので、曲水から借りた手前、 芭蕉は気がひけていたのであろう。
路通行衛しれ不申候由:<ろつうゆくえしれもうさずそうろうよし>。前便で路通の近江近在に不在の事実は曲水に知らせてあり、曲水も江戸に逃げてきているかもしれないとして路通を探したが見つからなかったという報告を芭蕉にしていたのであろう。
此上のよろこびに而御座候:至上の喜びだ、の意 。文章構文が仮定形になっていて複雑。真っ先に「もし、茶入れさえ見つかれば」があって、それならば、「路通のような馬鹿が行方不明であろうと、身柄の行方など心配の程度は少なくなる」こと、また「たとえ野山で死んでいようとも、死体の袂から茶入れが出てくるようなことであれば、それは死者としても無念であろう」、「茶入れさえいまここ近江で見つかれば」上記「仮定」は消えるので幸せだと言っているのである。
枳風:江戸の人。其角門人。
其元より被二仰下一候御状、他見はばかり候事は別書可レ被二仰聞一候:<そこもとよりおおせくだされそうろうごじょう、たけんはばかりそうろうことはべっしょおおせきけらるべくそうろう>と読む。路通に関する報告は、別の紙を使って書いて下さい。本文は、見たい人に見せる可能性がある、の意か?