芭蕉db

笈の小文

(伊勢神宮)


 神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと、神司*などに尋ね侍ば、只何とはなし、をのづから梅一もともなくて、子良の館*のうしろに一もと侍るよしをかたりつたふ
 

御子良子の一もとゆかし梅の花

(おこらごの いっぽんゆかし うめのはな)

神垣や思ひもかけずねはんぞう

(かみがきや おもいもかけず ねはんぞう)


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表紙 年表


御子良子の一もとゆかし梅の花

 子らの館の裏にひっそりと一本だけ梅の木がある。なお、『真蹟懐紙』・『蕉翁全伝附録』では、「梅稀に一もとゆかし子良の舘」とある。こちらが初案。『猿蓑巻の四』では、「子良の後に梅有といへば」としてこの句を掲出する。

神垣や思ひもかけずねはんぞう

伊勢神宮は、当時仏教との混交を忌み嫌っていた。かつて『野ざらし紀行』でも半僧半俗の芭蕉は神域に入れてもらえなかった。それなのになんとこんな所に佛の涅槃像があるとは。この日、2月15日は涅槃会で、釈迦入滅の日とされる。ちなみに、日蓮はこの日に死亡して尊敬されることになる。


三重県伊勢市朝熊町剛証寺奥の院の句碑。牛久市森田武さん提供