芭蕉db

笈の小文

(吉野へ)


 彌生半過る程、そヾろにうき立心の花の、我を道引枝折*となりて、よしのゝ花におもひ立んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人*の 、いせにて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且は我為に童子となりて、道の便リにもならんと、自万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさま、いと興有。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書ス。
   乾坤無住同行二人*

よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠

(よしのにて さくらみしょうぞ ひのきがさ)

よし野にてわれも見せうぞ檜の木笠  万菊丸

(よしのにて われもみしょうぞ ひのきがさ)


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表紙 年表


吉野にて櫻見せふぞ檜 の木笠

 流刑中の杜国と示し合わせて、ここで合流。 杜國の刑は領国追放だから吉野に来ることがすなわち禁を破ることにはならないものの、多少の後ろめたさがありそうなものだが、ここではなんとも心浮き立つものがある。檜笠に語ったふりをして杜国に喜びを打ち明け、杜国もぴったり息の合った返しをしている。こういうのが男色説を強化することにもなるのだろう。


吉野嵐山にある句碑。牛久市森田武さん提供



西行庵跡に建つ復元庵(2003年春、牛久市森田武さん撮影)