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芭蕉db
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笈の小文
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(吉野へ)
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彌生半過る程、そヾろにうき立心の花の、我を道引枝折*となりて、よしのゝ花におもひ立んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人*の
、いせにて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且は我為に童子となりて、道の便リにもならんと、自万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさま、いと興有。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書ス。
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乾坤無住同行二人*
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(よしのにて さくらみしょうぞ ひのきがさ)
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よし野にてわれも見せうぞ檜の木笠 万菊丸
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(よしのにて われもみしょうぞ ひのきがさ)
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表紙 年表
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吉野にて櫻見せふぞ檜
の木笠
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流刑中の杜国と示し合わせて、ここで合流。
杜國の刑は領国追放だから吉野に来ることがすなわち禁を破ることにはならないものの、多少の後ろめたさがありそうなものだが、ここではなんとも心浮き立つものがある。檜笠に語ったふりをして杜国に喜びを打ち明け、杜国もぴったり息の合った返しをしている。こういうのが男色説を強化することにもなるのだろう。
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吉野嵐山にある句碑。牛久市森田武さん提供
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いらご崎にてちぎり置し人:杜国のこと。伊良湖崎の保美畠村での再開のことを指している。
杜國の判決は、ところ払いなので、尾張領内にいなければよいので、吉野を歩くことは違法ではなかったのである。しかし、尾張領内は通行できないので、伊良湖から船で伊勢に渡り、吉野に来たものである。
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我を道引枝折:<われをみちびくしおり>と読む。西行の歌「吉野山昨年の枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ」(新古今和歌集)にかけている。「枝折」は、道標のこと。特にそこらにある枝の残っているような自然の木の枝を使って作った簡素な道標をいう。
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乾坤無住同行二人:<けんこんむじゅうどうぎょうににん>と読む。
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西行庵跡に建つ復元庵(2003年春、牛久市森田武さん撮影)