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芭蕉db
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笈の小文
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(伊良湖崎
貞亨4年11月12日)
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冬の伊良湖崎(写真提供:牛久市森田武さん)
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保美村より伊良古崎*へ
壱里計も有べし。三河の國の地つヾきにて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故にか、万葉集には伊勢の名所の内に撰入れられたり*。此渕(州)崎*にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山*と云は鷹を打處なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など歌*にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし
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(たかひとつ みつけてうれし いらござき)
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表紙 年表
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鷹一つ見付てうれし
いらご崎
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杜国の侘び住まいを訪問した翌日、芭蕉・越人・杜国は連れだって伊良子岬に馬で出かけた。ここで芭蕉は、「伊良子崎似るものもなし鷹の声」、「夢よりも現の鷹ぞたのもしき」とうたっている。いずれも愛弟子杜国との再会を喜ぶ明るい調子が特徴的。
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ところで、この句にある鷹はどこにいたのかが論争になっている。すなわち、一羽の鷹は空を飛んでいたのか、それとも浜近くの岩場にひそんでいたのか、というわけである。もし前日のように寒くなく、寒波も去ってこの日が暖かだったのなら、鷹は冬の陽を受けてゆったりと天空を舞っていたと見ることができる。そしてこの方が句が大きくなる。
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いずれにせよ、芭蕉秀句の一つである。
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伊良子岬にある「鷹一つ・・」の句碑。牛久市森田武さん提供
- 伊良古崎:渥美半島突端の伊良子崎
- 万葉集には伊勢の名所の内に撰入られたり:『万葉集卷一』に、読み人知らずとして、「麻績王<おみのおおきみ>、伊勢の国の伊良虞<いらご>の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌」なる詞書に続いて、「打ち麻<そ>を麻績の王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」とあるによる。麻績の王は、伊良湖へ流罪の刑に処せられたとするが、未詳。貴種流離潭の一つ。
- 州崎:
崎の浜辺の意。ここで碁石貝という貝を削って白の碁石を作った。それを「伊良湖白<いらごじろ>」と呼んだ。
骨山:<ほねやま>と読む。伊良湖崎の突端の小高い山。現在では展望台などがあり、島崎藤村の『椰子の実』の詩碑などが建っている。このころここで鷹を射止めたらしい。
いらご鷹など歌よめり:芭蕉の記憶に、「巣鷹渡る伊良湖が崎を疑ひてなほ木に帰る山帰りかな」(『山家集』)、「ひき据ゑよいらごの鷹の山がへりまだ日は高し心そらなり」(『壬二集』)などの歌がよみがえってきたか。