(室の八島 元禄2年3月29日)
室の八島に詣す*。同行曾良*が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て富士一躰也*。無戸室*に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと*生れ給ひしより室の八島と申。又煙を読習し侍もこの謂也*」。将、このしろ*といふ魚を禁ず。縁起の旨世に伝ふ事も侍し。
当日は関東平野全体に靄がかかり、室の八島に朝霧が立つところを狙って写真を撮ろうと、夜明け前に出かけたのですが、現地に到着した時には、既に靄は消えていました。(以上、文と写真提供:牛久市森田武さん、2002年5月19日)
同行曾良が曰:<どうぎょうそらがいわく>と読む。同行とは、単なる道づれのことではなく、共に同じ道を修業する者を意味する。曾良は、故事来歴に通暁した教養人であった。曾良についてはWho'sWho参照
富士一躰也:<ふじいったいなり>と読む。富士は、富士山本宮富士宮浅間神社のこと。この神社の祭神は、 木花之開耶姫<このはなさくやひめ>であり、富士浅間神社の祭神と同一です、の意。
無戸室:<うつむろ>と読む。瓊々杵尊<ににぎのみこと>と一夜の交わりで木の花さくや姫は懐妊したため、その貞操が疑われた 。それに怒って、姫は出口を塞いだ産室に入り、もし不貞のことがあれば胎児もろとも焼け死ぬが、真実であるならば母子ともに生きているであろうと言って、火を放ち猛火の中で<火々出見の尊(ほほでみのみこと)>を出産し、生きてその不貞の疑いをはらしたとする神話(『日本書紀』)がある。
又煙を読習し侍もこの謂也:<またけむりをよみならわしはべるもいわれなり>と読む。ここでの古歌が煙を題材にしているのもこの無戸室の神話によるのである。
将、このしろと云魚を禁ず:<はた、このしろといううおをきんず>と読む。「このしろ」はコハダによく似たヒカリモノの魚の名前。このしろを焼くと死体を火葬したような匂いがするところから忌み嫌われた。ここにいう縁起とは、次のとおりである(『菅菰抄』)。ある国に美しい娘が住んでいた。その国の主がその娘を所望したが、一人娘のこととて親も本人も渋って出さなかったところ、国主からは矢の催促。そこで一計を案じ、このしろを沢山棺に詰めて野焼きしたところ、そのにおいが人の死体を焼くのと似ていて、国主も娘が死んだものと納得したというのである。以来、このしろという魚は、<子の代>として縁起のあるものになったというのである。
全文翻訳
室の八島に参詣した。同行の曾良は、「ここの本尊は、木之花開耶媛
(コノハナサクヤヒメ)といって、富士浅間神社と同一神です。瓊瓊杵命(ニニギノミコト)との一夜の交わりで姫が懐妊したため、その貞操を疑われ、これに怒った姫は無戸室という出口を塞いだ産室に入って、もし不義があったのなら胎児もろとも焼け死ぬが、そうでなければ母子共に生きて還るであろうと言い残して、そこに火を放ち、猛火の中で火々出見尊
(ホホデミノミコト)を出産し、生きてその疑いをはらしたといいます。だから、ここを室の八島というのです。また、このような謂れがあったからこそ、ここが煙を主題とする歌枕となったのです」と言う。さらにまた、焼くと死臭がするというので、このしろという魚を食べることが禁じられている。ただし、このにおいを利用して、娘が死んだと、娘の提供を強要する国の守敵をあざむき、子の命を救った「子の代(このしろ)」という縁起伝説もあるという。