(草加)
ことし元禄二とせにや*、奥羽長途の行脚*、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬ*といへ 共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ*、若生て帰らばと定なき頼の末をかけ*、其日漸草加*と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩*にかゝれる物先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ*、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞*などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ*。
芭蕉と曾良が宿泊せず通り過ぎた草加の宿、今なお、当時の面影を色濃く残す。(写真と文提供:牛久市森田武さん)
呉天に白髪の恨を重ぬ:<ごてんにはくはつのうらみをかさぬ>と読む。「五(呉)天に至らん日まさに頭白かるべし」(三体唐詩)などから引用。白髪の老人となろうとも、の意。呉天は呉の国の空の意で、転じて 遠い異郷の地を意味する。
若生て帰らばと定なき頼の末をかけ:<もしいきてかえらばとさだめなきたのみのすえをかけ>と読む。この旅で死んでしまうのではないかと思っているというのだが,これはもちろん文学的装飾である。
其日漸草加と云宿に:<そのひようようそうかというしゅくに>。草加は埼玉県草加市。日光街道で江戸から2番目の宿駅。ただし、この夜芭蕉一行は草加に宿泊したのではなく春日部に一泊している。
帋子一衣は夜の防ぎ:<かみこいちえはよるのふせぎ>と読む。渋紙で作った防寒具。身一つの軽装でと思っても、こればかりは当時の旅の必携夜具であった。庶民が利用する旅宿では、明治中期に至るまで夜具の用意はなかったので、旅人自身が携行しなければならなかった。
全文翻訳
今年は元禄二年だとか。このみちのくへの長旅も、ただなんとなく思いついたまでのことだった。が、たとえ旅の苦しみにこの髪が白髪に変じようとも、話に聞くだけで未だこの目で見たことのない土地をぜひ訪ねてみたい。その上、生きて帰れるのであればこれ以上の望みはないと、あてにはならない期待をもって、この最初の日、ようやく草加の宿に到着した。痩せた肩には旅の荷物は堪える。身一つでと思いながらも、紙子は防寒のための夜着であってみれば持たざるを得ない。浴衣・雨具・墨や筆等々、あるいはまた断りきれない餞別などは、簡単に捨てるというわけにもいかず、足手まといとなるのは如何ともし難い。