支考が奥州を旅するにつき、江戸から山形羽黒山の近藤左吉こと呂丸宛に、持たせた紹介状である。呂丸には、元禄2年6月2日より10日ちかい日数、『奥の細道』羽黒山で世話になった。末尾の尚書からみて支考に持たせた紹介状は相当多数に及ぶことが推察される。紛失を免れた貴重な一通である。
幸便之条啓上、愈御無事被レ成二御座一候哉:<さいわいびんのじょうけいじょう、いよいよごぶじになされござそうろうや>と読む。幸いに支考が奥羽の旅でそちらを伺いますのでこのたよりを御届けしますが、お元気でいらっしゃいますか、の意。
先以、日外於二御山一御懇情之事共、難レ忘奉レ存候:<まずもって、いつぞやおやまにおいてごこんじょうのことども、わすれがたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。私の「奥の細道」の旅の途次、羽黒山で受けた御懇情、今もって忘れがたく存じております、の意。
其後上方辺漂泊、仍而以二書音一不二申上一候:<そのごかみがたあたりひょうはく、よってしょいんをもってもうしあげずそうろう>と読む。その後、上方方面を放浪致しておりましたので、御無沙汰を続けておりました、の意。
和合院様へ御無音、背二本意一奉レ存候:<わごういんさまへごぶいん、ほいにそむきぞんじたてまつりそうろう>と読む。「和合院」は羽黒山若王寺別当会覺阿闍梨<えがくあじゃり>のこと。和合院様にも不本意ながら御無沙汰を続けて参りました。
誠不思義(議)清談、夢之心地仕候:<まことにふしぎのせいだん、ゆめのここちつかまつりそうろう>と読む。あの時に致しました対話は、今思い返しても夢のような気が致します、の意。
去々年は路通と申もの参:<おととしはろつうともうすものまいり>と読む。一昨年は路通が貴殿を訪れて、の意。路通は、元禄3年6月に芭蕉の奥羽旅行の跡を訪ねて旅をした。その時に、月山での句会の模様は『月山発句会(勧進牒)』として上梓した。
且此盤子と申出家奥羽一見に参候間、暫時御山に滞留被二仰付一可レ被レ下候:<かつこのばんしともうすしゅっけおうういっけんにまいりそうろうあいだ>と読む。つづいてこの盤子=支考が御山を見たいと言いまして、の意。
風雅も少相心得候間、御聞被レ遣可レ被レ下候:<ふうがもすこしこころえそうろうあいだ、おききつかわされくださるべくそうろう>と読む。支考は、俳諧についても少しは分かる男ですから、是非彼の話も聞いてみて下さい、の意。
御懐敷のみ、折々宗五と御申出し候:<おなつかしきのみ、おりおりそうごともうしだしそうろう>と読む。宗五は曾良のこと。曾良と時折懐かしく思い出しています。
命候内には今一度と願申候:<いのちそうろううちにはいまいちどとねがいもうしそうろう>と読む。命のある間にもう一度みちのくに参りたいと思っています、の意。
尚々江戸筋御出被レ成候はゞ、御尋被レ成可レ被レ下候:<なおなおえどすじおいでなされそうらはば、おたずねなされくださるべくそうろう>と読む。江戸辺りに来られた折りには是非お立ち寄りください、の意。
此度所々状数多ク御座候条、早筆申上候:<このたびしょしょかずおおうくござそうろうじょう、そうひつもうしあげそうろう>と読む。只今は、各地に多数の手紙を書かなくてはいけないので、末筆のまま、の意。