(貞亨5年2月19日 芭蕉45歳)
書簡集/年表/Who'sWho/basho
宗波と杜国がはるばる伊賀までやってきた。彼らを御馳走するために造り酒屋主人の宗七(宗好)にお酒を無心した残存する唯一の書簡。伊勢で合流した杜国は、芭蕉とはここだけ別行動で一日遅れて伊賀に入った。
から口壱升乞食申度候:<からくちいっしょうこつじきもうしたくそうろう>と読む。言うまでもなく辛口は酒の味のこと。宛先の宗七は酒造業であったから、遠来の客の接待用に無心したのである。
江戸・参川よりばんに二人来候而:土芳の著『蕉翁全伝』によれば、この時江戸から来たのは宗波であり、三河から来たのは杜国である。そして、宗波は翌日出立して奈良へ向かった。
明日奈良へ通候間:明日奈良へ出発するのは宗波だけで、杜国は芭蕉と3月19日迄伊賀に滞在する。
宗無:伊賀上野に生まれて後に江戸に出て禅を学んだ僧。宗無と宗波はすでにこの時面識があった。