伊勢山田の嵐朝亭から江戸の杉山杉風宛に出した書簡。2月4日以降であるが18日より以前に書かれたもの。伊勢参宮や吉野の花見の計画、杜国がすでに同道していること、信州への旅の計画もすでにある事などが伺える。
親年忌御座候付:<おやねんきござそうろうにつき>と読む。この親は、父与左衛門のことで、明暦2年2月18日が命日であったから、これが33回忌ということになる。
卯月末、五月初に帰菴可レ致候:<うづきすえ、ごがつはじめにきあんいたすべくそうろう>と読む。四月の末か五月の初めには江戸深川に帰る予定である、というのだが、『更科紀行』なども敢行して、実際に芭蕉が帰庵したのは八月の末であった。
深川大屋吉御逢候はば可レ然奉レ願候:<ふかがわおおやきちにおあいそうらはばしかるべくねがいたてまつりそうろう>と読む。大屋吉は大屋殿ともあるので深川の草庵の家主らしいが詳細は不明。いずれにしても帰庵の準備のためによろしく頼むといっているのである。
爰元方々馳走残る所もなく:<ここもとほうぼうちそうのこるところもなく>と読む。ここ伊勢ではもはや訪問すべき家はありません、皆廻ってしまいましたので、の意。
萬御気遣被レ成まじく存候:<よろずおきづかいなさるまじくぞんじそうろう>と読む。だから、ここについてはもう気を遣って頂かなくて結構です、の意。芭蕉が訪れた土地での宿泊できる家や催し物などを杉風達江戸の蕉門の高弟達が手配してもいたのであろう。
濁子丈:Who'sWho参照。
猪兵衛:<いべえ>についてはWho'sWho参照。猪兵衛はあなたの店にちゃんと勤めていますか、の意。