芭蕉db

杉山杉風宛書簡

(貞亨5年2月中旬 芭蕉45歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 其元御無事と見え候而、歳旦伊勢にて一覧、珎重に存候*。拙者無事に越年いたし、今程山田に居申候*。二月四日参宮いたし、当月十八日親年忌御座候付*、伊賀へかへり候て、暖気に成次第、吉野へ花を見に出立んと心がけ、支度いたし候。尾張の杜国もよし野へ行脚せんと伊勢迄来候而、只今一所に居候。卯月末、五月初に帰菴可致候*。木曽路と心がけ候*。深川大屋吉御逢候はば可然奉願候*。よく御伝被成可下候*。いまだ爰元にても発句も不致候。
  参宮

 何の木の花とはしらず匂ひ哉

追付、二見・浅熊へ参候*。爰元方々馳走残る所もなく*、萬御気遣被成まじく存候*
一、濁子丈*・御子達・御奥方御堅固に被御座候哉。拙者無事の旨御告可下候。其元別条無御座候はゞ、御状不及候。若急に御しらせ之事御座候はゞ、関の地蔵*にて笠屋弥兵へ(衛?)と申方迄飛脚便に御状可遺候。二月十八日より三月十四五日迄*はいがに居申候。 以上
    杉風さま                  はせを
尚々猪兵衛*相勤候哉、無心元候。

 伊勢山田の嵐朝亭から江戸の杉山杉風宛に出した書簡。2月4日以降であるが18日より以前に書かれたもの。伊勢参宮や吉野の花見の計画、杜国がすでに同道していること、信州への旅の計画もすでにある事などが伺える。