芭蕉db

岸本八郎兵衛(公羽)宛書簡

(元禄6年3月7又8日 芭蕉50歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


   岸本八郎兵衛様                      芭桃青
        貴報
 
御返翰具拝見仕候*。左吉被果候月日、未不定に候間、追々可申参候間、御知らせ可申上*。羽黒にて初而逢申刻*、此人生死之論、拙者兎角に不及とは夢聊不存事に御座候に、誠無定世中、又是程不便成事も近年覚不申候*。廿一日御立可成旨、其内御案内可申上*。与風御尋とは申ながら*、手前病人も国本出候而十年餘、終一人の母に其後対面不仕、大方十死と相見え候*。何様昨今は少心持宜御座候間、若しや若しやと頼母敷罷有候*。左吉同前之仕合に御座候*。右之仕合に候間、御尋之義(儀)定奉存候*

 深川芭蕉庵から、呂丸の訃報について書いた公羽宛第2書簡。この時点でもまだ上方からの情報が無く呂丸の死の様子は分かっていない。しかし、公羽は京都へ向かって旅立つ準備をしている模様である。書簡中、来月には死去する甥の桃印の様子が記されており、その境遇が呂丸と似ていた桃印へ芭蕉は思いをはせてもいる。