深川芭蕉庵から、呂丸の訃報について書いた公羽宛第2書簡。この時点でもまだ上方からの情報が無く呂丸の死の様子は分かっていない。しかし、公羽は京都へ向かって旅立つ準備をしている模様である。書簡中、来月には死去する甥の桃印の様子が記されており、その境遇が呂丸と似ていた桃印へ芭蕉は思いをはせてもいる。
左吉被レ果候月日、未不定に候間、追々可二申参一候間、御知らせ可二申上一候:<さきちはてられそうろうがっぴ、いまだふじょうにそうろうあいだ、おいおいもうしまるべくそうろうあいだ、おしらせもうしあぐべくそうろう>と読む。この段階でも未だ洒堂からの第一報は未着ですが、間違い無く知らせて来るでしょうから、その折には御知らせいたしましょう、の意。
羽黒にて初而逢申刻:<はぐろにてはじめてあいもうしとき>。『奥の細道』の旅で羽黒山を訪れたときに芭蕉と呂丸(近藤左吉)は初めて会ったのである。
此人生死之論、拙者兎角に不レ及とは夢聊不レ存事に御座候に、誠無レ定二世中一、又是程不便成事も近年覚不レ申候:<このひとしょうじのろん、せっしゃとかくにおよばずとはゆめいささかぞんぜざることにござそうろうに、まことよのなかさだめがたく、またこれほどふびんなることもきんねんおぼえもうさずそうろう>と読む。この人の死について私が語るなどということは努々思いませんでしたのに、世の中まことに定め難く、またこれほど残念なことも近頃にないことです。の意。
廿一日御立可レ被レ成旨、其内御案内可二申上一候:<21日おたちなさるべきむね、そのうちごあんないもうしあぐべくそうろう>。前便で21日に京に向け出発されるとのことですが、それまでには詳細をお知らせできると思います。
与風御尋とは申ながら:<ふとおたずねとはもうしながら>と読む。突然話が変わりますが、の意。以下の一文は、確かに唐突だが、芭蕉の気持ちとして呂丸の身の上と猶子桃印の身の上が鮮やかに重なってしまっていたのであろう。
手前病人も国本出候而十年餘、終一人の母に其後対面不レ仕、大方十死と相見え候:<てまえびょうにんもくにもといでそうらおうてじゅうよねん、ついにひとりのははにそのごたいめんつかまつらず、おおかたじゅっしとあいみえそうろう>と読む。桃印も、くにを出てから十余年、ついに母親にも会わず、もはやこのまま死んでいくものと思われます、の意。
何様昨今は少心持宜御座候間、若しや若しやと頼母敷罷有候:<なにさまさっこんはすこしこころもちよくござそうろうかん、もしや・・とたのもしくまかりありそうろう>と読む。どうしたわけか桃印は少し病状がよく、ひょっとしたら直るかもしれないと思ってもいるのですが、の意。
右之仕合に候間、御尋之義(儀)難レ定奉レ存候:<みぎのしあわせにそうろうかん、おたずねのぎさだめがたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。そういうような訳で、ご訪問の日にちも定め難く思います。